第115話 夜明け前に待ち合わせて
元旦の朝。
早朝ということもあり人はまばらで、駅の中はしんと静まり返っている。冷たい風が吹きつけると、思わず身震いした。少しでも寒さを紛らわせるように、ダウンコートのポケットに手を突っ込んだ。
スマホを開いて時間を確認する。時刻は5時を迎えようとしている。たぶん、もうすぐ雅が来る。
階段に視線を向けると、アイボリーのチェスターコートに身を包んだ雅が降りてきた。千颯はベンチから立ち上がって、雅のもとへ向かう。
「おはよう。いや、あけましておめでとうか」
千颯は小さく笑いながら新年の挨拶をする。もっとも年越しの瞬間を布団の中で過ごした千颯には、新年を迎えたという実感がまだないのだが。
雅はどこか浮かない表情で、千颯を見上げる。
「あけましておめでとう。こんな朝早くに呼び出してごめん」
「いいよ。なんでも言うこと聞くって約束だったし」
千颯は気にしていないことをアピールするように両手を振って笑って見せたが、雅は依然として浮かない表情をしていた。
「どうしたの? 元気ない?」
心配して尋ねてみるも、雅は小さく首を振るだけ。
「元気やで。ただ、眠たいだけや」
「そっか……」
それだけとは思えないが、ひとまずはそういうことにしておいた。時間はきっとあるのだろうから、別のタイミングでさりげなく聞いてみよう。
「それで、こんな朝早くに呼び出して何するの?」
千颯が尋ねると、雅はまだ星が浮かぶ薄暗い空を見上げながら答えた。
「初日の出を見ようと思って」
それなら夜明け前に待ち合わせをしているのも頷ける。元旦に初日の出を拝むというのは、なかなか粋なデートプランだ。
早起きしなければならない煩わしさと、寒さに耐えなければならないしんどさは伴うけど、一年に一度しかない貴重な瞬間だと思えば我慢できる。
「どこで見るかは決まってるの?」
「うん。海の方に行けば見えると思うで。葛西の方とか」
「葛西海岸公園とか?」
「そや」
巨大な観覧車がトレードマークの東京湾に面した公園でなら、初日の出も拝めるかもしれない。確かあそこは無料開放していたはずだから、早朝でも入れるだろう。雅の最寄り駅からもそう遠くはない。
「そっか。じゃあ行こっか」
千颯が承諾すると、雅はほんの少しだけ頬を緩めた。
*・*・*
それから二人は電車に乗り込む。普段通学で使っている電車に、夜明け前に乗っているのは奇妙な感覚だった。
椅子に座っている雅は、俯き加減で黙り込んでいる。ちょっとでも笑顔を見せてほしくて話を振った。
「年末年始は京都には帰らないの?」
雅はハッとしたように顔を上げる。自分の態度がぎこちない空気を作っていることに気付いたのか、咄嗟に笑顔を浮かべた。
「今日の夕方には帰るで。両親は先に京都に行っとるし」
「じゃあ雅一人で東京にいたの? なんで?」
「勉強に集中したいって話したから承諾してもらえた。あと一人やない。お兄ちゃんも東京に来とる」
「
「ホンマになぁ。さっさと彼女でも彼氏でも作って、妹離れしてほしいわぁ」
雅はうんざりした様子で苦笑いを浮かべた。
「朔真さんのことだから、雅が早朝に出かけたと知れたら大騒ぎになるんじゃない?」
「そやろなー。一応、千颯くんと出掛けるってメモ書きを残して来たけど、起きたら顔面蒼白やろな」
朝起きて雅がいないことに気付いた朔真の姿を想像すると、ちょっと笑えてきた。
そんなやりとりをしているうちに、雅の表情も徐々に柔らかくなってくる。話のネタになってくれた朔真には感謝しなければならない。
だけど、ちゃんと聞いておきたいこともあった。これを聞いたらまた雅の表情が曇ることも分かっていたけど、なあなあにしておくことはできなかった。
「東京にいたんだったらさ、なんでクリスマスの約束断ったの?」
責めるつもりはない。ただ、わざわざ嘘をついてまで断ったのか理由が知りたかった。
案の定、雅は笑顔を引っ込めて、曇った表情を浮かべる。視線を落としながら、小さな声で呟いた。
「ドタキャンしたのはごめん。でも、うちなりに色々考えて、行くべきではないって判断したんよ」
それはクリスマスイブに変に意識してしまったせいなのか?
確かにあの時は、どんな顔をして雅と会えばいいのか分からなかった。雅も同じような感情を抱いていたとしたら、少し納得できる。
クリスマスイブまでは雅も自分のことが好きなのではないかと思っていたけど、日数経ったいまは雅の気持ちがよく分からない。
クリスマスデートを断られたことで、やっぱり勘違いだったのではという気持ちも大きくなっていた。
千颯は気まずさを振り払うように笑って見せる。
「この前は変な空気にしてごめんね。そのことで悩ませちゃったんだよね?」
「まあ、それもあるけど……」
雅は歯切れの悪い返事をする。雅のことだからきっと気を遣っているのだろう。
気まずい沈黙が流れた後、千颯は小さく溜息をついた。
「なんか難しいね。俺たちの関係って」
力なく笑って見せると、雅も頷いた。
「ホンマやね」
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