第113話 ついに動き出す

 微妙に気まずい空気を残しながら、クリスマスパーティーは幕を閉じた。後片づけはこっちでやるからいいよと声をかけたが、みやび達は気を利かせて片付けを手伝ってくれた。


 キッチンでは、千颯ちはやと雅が洗い物をする。先ほどのなぎの言葉が尾を引いていて、話しかけづらい空気になっていた。


 とはいえ明日の予定についてはちゃんと確認を取っておく必要がある。千颯は声を潜めながら雅に尋ねた。


「あのさ、さっきは成り行きでデートするって言っちゃたけど、本当にする?」

「へ?」


 雅は驚いたように顔を上げる。それから顔を赤らめながら、うろうろと視線を巡らせた。


「別に本当にせんでもええやろ。千颯くんが適当に外で時間潰していれば、凪ちゃんはごまかせる」

「……それもそうだね」


 雅の言う通り、本当にデートをする必要なんてない。一人でふらっと出かけて、頃合いを見て帰れば、デートをしていたように装えるだろう。


 頭ではそれでいいと思いながらも、どこかがっかりしている自分がいた。


 視線を落としながら食洗器に皿を詰め込んでいると、雅は視線を逸らしながら呟いた。


「まあでも、明日はうちも暇やし、付き合ってあげないこともないけど……」


 それはつまり、本当にデートをしてもいいということか? 雅の意図に気付いた千颯は表情を明るくした。


「じゃあ良さそうな場所探して、LIENで送るよ」

「……うん」


 雅は顔を真っ赤にしながら小さく頷く。その直後、何かに気付いたかのようにハッと顔を上げた。


「先に言っとくけど、そういうのはナシやからね」

「そういうのとは?」

「だからその、凪ちゃんが言ってたような……」


 そこまで言われれば何のことを指しているかはっきり分かる。


「しない! しないから!」


 千颯は真っ赤になりながら否定する。デートに誘いはしたが、そこまでするつもりはない。ただ会って遊ぶだけのつもりだった。


 身の潔白を証明していると、隣で洗い物をしていた雅は上目遣いで千颯を見つめる。


「うちは婚前交渉しいひん主義やから。そういうのは、あかん……」


 その表情を見た瞬間、千颯は息を飲んだ。目の前で千颯の顔を覗き込む雅は、いままで見たこともないような顔をしていた。


 ほんのり上気した頬、じんわりと潤んだ瞳、悩まし気にひそめる眉。それはこちらの理性を崩壊しかねない煽情的な表情だった。


 劇の練習で見せられた恋する乙女の表情とはまた少し違う。それよりもずっと刺激が強かった。


(その顔は反則だ……)


 心臓が暴れまわり、思わず視線を逸らす。このままではどうにかなってしまいそうだった。


 冷静さを取り戻すため、千颯は流し台から離れてフラフラと食器棚に向かう。熱に浮かされた頭を、ゴツンと食器棚に打ち付けた。


 当然のことながら、偽彼女である雅をどうこうするつもりはない。するつもりはないのだけれど、もし二人きりの状況であんな顔をされたら理性を保っていられる自信がなかった。


 さすがに本番まで進むことはないだろうけど、その一歩二歩手前までは進んでしまうような気がした。


 ましてや明日はクリスマス。ロマンティックな雰囲気にあてられたらと考えると恐ろしくなった。


 食器棚に額を打ち付ける千颯を見て、雅はギョッとした表情を浮かべる。


「何しとるん、千颯くん」

「……いやさ、男ってろくでもない生き物だなって思っただけだよ」


*・*・*


 片付けを終えると、雅、愛未あいみ芽依めいは荷物をまとめて玄関に向かう。


「今日は楽しかったよ。誘ってくれてありがとね、千颯くん」

「私もとっても楽しかったです。ありがとうございました」


 愛未と芽依はパーティーの余韻に浸っているような楽し気な表情でお礼を告げる。そんな二人の後ろをワンテンポ遅れて雅が続いた。


 三人はローファーに履き替えて玄関を出ようとする。そこで雅は、玄関まで見送りに来てくれた千颯に視線を向けた。


 千颯は心ここに在らずといったような、ぽーっとした表情を浮かべている。洗い物を終えたあたりからずっとこの調子だ。


 洗い物をした時に交わした会話がきっかけで、おかしなモードに入ってしまったのだろうと雅は予想していた。


 自分がそういう対象として見られていることは、雅だって気付いている。だけど相手が千颯だと、不思議と嫌な気分にはならなかった。


 むず痒いような、息苦しいような、変な感覚になる。そんな自分に気付いたとき、堪らなく恥ずかしくなった。


(何考えとるん、うち!)


 邪念を振り払うように、雅は無理やり笑顔を作った。


「お邪魔しました! 千颯くん、また明日~」


 ひらひらと手を振ると、千颯はハッとしたように我に返る。うろうろと視線を巡らせた後、どこか熱のこもった瞳のまま頷いた。


「うん。また明日……」


 その瞬間、雅は心の中でのたうち回る。


(そんな顔せんといてよ、もう!)


 千颯の些細な言動に振り回されている自分に気付いて嫌になった。


 これ以上ここに居たらおかしくなる。雅はそそくさと玄関を出た。


 藤間家を出て、冷たい空気に晒されると、熱に浮かされた頭が少しずつ冷静になっていく。雅は二人に気取られないように深呼吸をした。


 誰が喋るわけでもなく、三人は街灯に照らされた住宅街を並んで歩く。先ほどまで賑やかな場所にいたせいか、静寂が妙に際立っていた。


(なんでみんな喋らへんのやろ?)


 黙り込む二人を見て不審に思っていると、不意に愛未が足を止めた。


「あのさ、二人に言っておきたいことがあるの」


 いつになく真剣な表情で二人を呼び止める愛未。直感的に良くないことを告げられるような気がした。


「ん? どしたん、愛未ちゃん」


 できる限り場を和ませるように笑って見せるも、愛未は表情を崩さない。その反応で余計に嫌な予感がした。


 その先は聞きたくない。そう感じたが、雅の願いも虚しく愛未は口を開いた。


「私ね、千颯くんの一番になりたい」


 嫌な予感は当たってしまった。


*・*・*


 三人が帰った後、千颯は自室のベッドにうつ伏せで倒れこんでいた。頭の中では雅の表情ばかりが浮かんでくる。


(やっぱり雅は、俺のことが好きなのか?)


 あんな表情を見せられたら、誤解するなという方が無理な話だった。


 それに文化祭でのキスも、そう思わせる要因になっている。あの時は、観客を沸かせるためのファンサだと言っていたが、それだけとは思えない。身持ちの固い雅が、劇のためだけにキスなんてするだろうか?


 文化祭のキスも、先ほどの表情も、雅が自分を好きという前提があれば納得できる。


 雅からの好意を自覚すると、全身が燃え上がりそうなほど熱くなった。心臓ははち切れそうなほど暴れまわっている。


 もし雅が本当に自分を好きなら、考えなければならないことは山ほどある。だけどいまは何も考えられないほどに熱で浮かされていた。


(明日、雅とどんな顔して会えばいいんだよ……)


 明日のデートが楽しみな反面、戸惑いもあった。会って再びあんな顔をされたら、自分の気持ちもどうにかなってしまいそうだった。


(本気になってはいけないってずっと抑えていたけど、向こうが本気になったらどうすればいいんだ?)


 対処法が分からず、千颯はベッドの上で悶えていた。


(とりあえず、明日の行先を決めないと)


 千颯はベッドから起き上がり、スマホに手を伸ばす。画面を開いてから『クリスマス デート』と検索をした。


 検索結果には、イルミネーションやクリスマスマーケットなど都内のデートスポットが煌びやかな写真と共に表示されている。上位の記事から順番に目を通していったが、スクロールしているだけで全然内容が頭に入って来なかった。


 ぼーっとスマホを眺めていると、不意にLIENの新着メッセージの通知が来る。メッセージを開くと、雅からメッセージが届いていた。


『ごめん、千颯くん。明日京都に帰省することになった。デートは行かれへん(。>ㅅ<。)』


 それは雅からのお断りのメッセージだった。

 メッセージを見て、力が抜ける。そのままバタンとベッドに倒れ込んだ。


(そっか。京都に帰るなら仕方ないか……)


 仕方ないと頭では分かっていたが、どうしようもなく落胆している自分がいた。


◇◇◇


ここまでをお読みいただきありがとうございます!

「面白い!」「続きが気になる!」と思ったら★★★、「まあまあかな」「とりあえず様子見かな」と思ったら★で評価いただけると幸いです。

♡や応援コメントもいつもありがとうございます。


楽しかったクリスマスパーティーから一変して、重々しい空気に……。千颯を取り巻く人間関係は、今後どのように変化していくのか?


作品ページ

https://kakuyomu.jp/works/16817330659490348839

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