第107話 たとえ愛されていなくても
それならいっそ、その環境から連れ出してあげればいい。根本的な解決にはならないけど、母親のもとから離れられれば苦しみからは逃れられる。
だけど高校生の分際ではそんなことはできるはずがなかった。いまはただ、無力な自分を呪うことしかできない。
「ごめんね、愛未……」
「なんで千颯くんが謝るの?」
愛未は目を丸くして問いかける。愛未の姿を横目で見ながら、自分の無力さを打ち明けた。
「もし俺が
愛未は何度も瞬きしながら千颯の顔を見つめる。それからすぐに首を横に振った。
「千颯くんに何かしてもらいたいなんて考えてないよ。そういう目的で話したわけじゃないの」
「分かってる。だけどやっぱり、好きな子の力になりたいって思うんだよ」
「好きな子……」
愛未は千颯の言葉を繰り返す。丸くて大きな瞳は千颯の真意を確かめるようにじっと見つめていた。
千颯は自分にできることを探す。できることは限られているけど、その中でもしてあげられることをしたかった。
そんな中でひとつの手段を思いつく。行動で示せないのなら、せめて言葉で伝えてあげればいい。
これから伝えようとしている言葉は、ただの気休めかもしれない。それどころか気持ち悪いと拒絶される可能性もある。
だけど愛未の苦しみを少しでも拭ってあげたくて、千颯は心の内を晒した。
「愛未はさ、誰かから愛される人間じゃないって言っていたけど、そんなことはないよ」
大きくて丸い瞳が、千颯をじっと見つめる。鼓動が高鳴るのを感じながら、千颯は伝えた。
「俺はちゃんと愛未のことが好きだから」
愛未に真正面から好きと伝えたのは二度目だった。心の中では、また拒絶されたらどうしようと気が気ではなかった。
案の定というべきか、愛未は表情を曇らせた。俯きながら、自虐地味に笑う。
「こんな私のどこが好きなの? 千颯くんは恋愛感情と性欲を混同しているだけじゃない? 千颯くんが私を好きだと思っている感情は、多分偽物だよ」
その言葉で千颯は固まる。愛未を好きだという感情は偽物。そんなことあるはずがない。
(愛未は本当に何も分かっていない……)
どうやら自分の気持ちは、まったくもって愛未に伝わっていないらしい。そのことが無性に悔しくて、奥歯と噛み締めた。
このままではいけない。
千颯は意を決して愛未を向き合った。そして愛未の細い肩を両手でがっしり掴む。
突然肩を掴まれた愛未は、驚いたようにビクッと身体を跳ね上がらせる。それから驚いたように千颯の表情を伺った。
「どうしたの? 千颯くん」
驚く愛未を見つめながら、千颯は宣言する。
「分からないなら教えてあげるよ。俺がどれだけ愛未のことが好きか」
「へ……?」
突然の出来事に愛未は戸惑いを露わにしていた。
自分の感情を正直に伝えたら、またしても蛙化されるかもしれない。嫌われるかもしれないと思いながら気持ちを伝えるのは、怖くて仕方がなかった。
だけどここで逃げるわけにはいかない。愛未に自分の存在価値に気付いてもらえる方法はこれしか思い浮かばなかったからだ。
愛未の瞳を見据えながら、想いの丈をぶつけた。
「まずは外見編」
「が、外見編!?」
そこから千颯は一気に語り始めた。
「愛未に初めて興味を持ったのは、中学の入学式だよ。あの頃の愛未は髪が短かったけど、まっすぐで綺麗な黒髪だなって思った」
「……そういえば中学の入学式の頃は、まだ肩にも届かない長さだったね」
「その時も十分可愛かったけど、それからどんどん可愛くなっていくから驚いた。髪を伸ばした時は、もう本当に俺の好みのど真ん中で、クラスの誰よりも可愛く思えた」
「それは、千颯くんが黒髪セミロングの清楚な女の子が好きだって聞いたから、それに寄せただけだよ」
「ええ? 俺のために髪を伸ばしてくれたってこと? それは嬉しすぎる! まあ、それはいったん置いとくけど、そのほかにも好きなところはたくさんあるよ。大きくて丸い瞳とか、細くて華奢な腕とか、笑ったときに吊り上がった唇の角度とか、大きすぎず小さすぎない胸とか、ふくらはぎの絶秒なカーブとか!」
「ちょっ、ちょっと待って! 処理が追い付かない」
「とにかく存在自体がもう好き。見ているだけで幸せな気分になるんだよ!」
我ながら気持ち悪い。だけどここまで来たら引き下がれなかった。千颯は言葉を続ける。
「次に内面編!」
「内面編!?」
愛未は引き攣った表情をしている。引かれているのはうっすら気付いていたが、構わず続けた。
「初めて好きだと自覚したのは、愛未に嘘告白をしようとした時だよ。クラスメイトに告白を強要されて困っていた時、愛未はこういうのは辞めようって注意してくれたよね。普段は大人しい愛未が、あんな風にバッサリ言ってくれたのには本当に驚いた。あの行動を見て、愛未のことをカッコいいって思ったんだよ」
それは愛未への恋心を自覚した瞬間だった。以前
愛未は視線を泳がせながら言い訳をする。
「あ、あの時はただの八つ当たりというか……。見ていて不快だったから言っただけで……」
「そうだとしても俺は嬉しかった。あの頃の俺は、人に流されやすくてはっきり自分の意見を言えなかったけど、愛未を見て変わった。嫌なことは嫌だってはっきりと言わないといけないって分かったんだ」
以前の千颯はクラスメイトからの過剰ないじりにただ我慢しているだけだったけど、愛未の言葉でこのままではダメだと気付いた。変わるきっかけを与えてくれたのは愛未だ。
「それだけじゃないよ。みんなで京都に行った時には、
凪の我儘にうんざりすることはあったが、兄だから仕方ないと諦めていた。だけど愛未がバシッと言ってくれたことで胸がスカッとした。
愛未の言葉がきっかけかは分からないが、あれ以降凪もほんの少しだけ千颯に優しくなった気がする。
「言いたいことをはっきり言える愛未の性格は本当に好き。俺も愛未みたいに強くなりたいとずっと思っていた」
そこまで伝えると、愛未は恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「そ、そんな風に思ってくれてたんだね……」
「こんなもんじゃないよ。他にもまだまだ語れる。分からないなら全部伝えるけど」
「も、もういいです! もう十分分かったから……」
愛未は慌てて千颯にストップをかける。
ちゃんと伝わったのか不安だったけど、それ以上は心の内に留めておくことにした。そして最後に、一番伝えたかったことを伝える。
「たとえ愛未が親から愛されてなかったとしても、俺は愛未のことが好きだから。それだけは覚えておいて」
自分なんかの愛が、親の愛の代わりになるとは思っていない。そこまで自惚れてはいないつもりだ。
だけど愛未の自尊心がほんの少しでも高まるなら、何度だって愛の言葉を伝えるつもりだ。
愛未の瞳がじんわりと滲む。潤んだ瞳から、大粒の涙が頬に伝った。
涙を拭うことも忘れ、愛未はボロボロと泣き続ける。千颯はその涙を指先で拭った。
「だからさ、自分は愛されてないなんて言わないでよ」
愛未は泣きながら頷いた。
「うん。ありがとう。千颯くん」
*・*・*
涙が収まった後、千颯は愛未を家まで送った。アパートの前までやって来ると、千颯は穏やかに微笑みながら手を振る。
「じゃあね、愛未。また明日」
「うん。送ってくれてありがとう」
愛未は千颯の背中が見えなくなるまでアパートの前で見送っていた。完全に見えなくなってから、アパートの外階段をゆっくり登る。
鍵を開け、しんと静まり返った真っ暗な部屋に入ってから、愛未は脱力するようにしゃがみ込んだ。
燃え上がりそうなほどに熱くなった頬を両手で覆う。心臓はいまにも破裂しそうなほどに高鳴っていた。
千颯から好きだと伝えられた。それだけでなく好きなところも馬鹿正直に伝えてくれた。
そのことを思い出すと、恥ずかしさと嬉しさで胸が締め付けられた。
同時に自分の中に起きた変化にも気付く。
(あれ、もう気持ち悪いとは思わないや……)
好きだと真正面から伝えられたにも関わらず、以前のような嫌悪感は一切感じなかった。
感情の変化に驚きを隠せない。もしかしたら、千颯から包み隠さず伝えられたことで気付いたのかもしれない。
――自分が愛されてもいい存在だと。
これは喜ぶべきことなのかもしれない。だけど別の感情も芽生えた。
千颯と雅が笑い合っている姿を思い返すと、心の中がざわざわする。
嫉妬、なのかもしれない。存在を否定できないほどの独占欲が胸の内を支配した。
「千颯くんの一番になりたい……」
真っ暗なアパートの中で、愛未は本音をこぼした。
◇◇◇
ここまでをお読みいただきありがとうございます!
「面白い!」「続きが気になる!」と思ったら★★★、「まあまあかな」「とりあえず様子見かな」と思ったら★で評価いただけると幸いです。
♡や応援コメントもいつもありがとうございます。
ついに愛未が蛙化現象を克服し、千颯の一番になりたいと願うようになりました。千颯を取り巻く環境は、ここからどう変化するのか!?
次回はちょこっと季節が飛んでクリスマス編がスタートします。
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