第104話 文化祭の余韻を残して

 文化祭というビックイベントが終わり、平凡な日常が訪れる。千颯ちはやは秋風を感じながら、教室の窓から中庭を見下ろしていた。


 文化祭が想像以上に楽しかったこともあり、時々余韻に浸ってしまうことがある。いまもまさに、その状況だった。


 数あるイベントの中でも鮮明に記憶に刻まれているのは、みやびからのキスだ。雅本人からは劇の演出だと聞かされたが、そんな事情では片付けられない。


 千颯は当時の感触を思い出しながら頬に触れた。


(まさか雅からキスをされるとは思わなかった。え? なに? もしかして雅って、俺のこと好きなの?)


 そんな妄想をしてしまうほどに雅を意識していた。


 教室の中から雅を探す。雅は何人かの女性生徒に囲まれて、楽しそうに話をしていた。


 あんなに可愛くて人気者の雅が、自分のことを好きになるのだろうか? いままでだったら浮かれるなと一蹴していたが、キスの事実が有った以上、無いとは言い切れない。


 頭を抱えながらぐるぐると悩んでいると、誰かにぽんと背中を叩かれる。そこには、文化祭以降急速に距離が縮まった二人の男子生徒がいた。


 文化祭でジーニー役を演じていた陣野じんのと、クラスメイトから菩薩と慕われている水野みずのだ。二人は取り乱している千颯を怪訝そうに見つめていた。


「大丈夫か、相棒?」

「具合でも悪いの?」


 二人から気にかけてもらったことで、千颯の心は一気に緩む。緩み切ったことで悩みをそのまま打ち明けていた。


「雅ってさ、俺のこと好きなのかな?」


 その発言を聞いた瞬間、二人はポカンと口を開けた。それから陣野は千颯を睨みつけ、水野は呆れ顔を浮かべる。


「んだそれ、惚気なら聞かんぞ!」

「どう見たって好きでしょ。何を不安になってるの?」


 その反応を見て、二人に相談したのは間違いだったと気付く。この二人は千颯と雅が本当に付き合っていると思っている。好きかどうかなんて聞くこと自体がおかしかった。


「やっぱ何でもない……」


 千颯は深々と溜息をついた。


 苦悩する千颯を見て、陣野はにやりと不敵に笑う。それから声を潜めながら尋ねてきた。


「ぶっちゃけた話、相良さんとはどこまで進んでんだよ」

「……ノーコメントで」


 どこまで進んでるも何も、文化祭でのほっぺにキスが最先端だ。だけどそんな事実が知れ渡ったら馬鹿にされるに決まっている。テンションの低い千颯を見て、陣野は妙な勘ぐりを入れた。


「まさかとは思うが、ほっぺにキスまでとは言わねーよな?」


 千颯の視線が揺らぐ。その反応で水野に悟られてしまった。


「本当にそうなんだ……」

「え! マジかよ!」


 あっさりと見破られてしまい、二人の顔がまともに見られなくなった。千颯は顔を覆いながら嘆願する。


「この件に関しては、弄らないでいただける嬉しいです」


 中学時代だったらボロクソに弄られていたであろう事案だったが、精神的に大人な二人はそれ以上弄ってくることはなかった。


「まあ、焦って事を進めることはないと思うよ。二人のペースで進めればいいと思うし」


「菩薩様の言う通りだ! 文化祭以降、カップルが急激に増えて経験済みの奴も結構出てきたけど、周りに流されることはないと思うぜ、相棒」


「二人とも、おっとな……」


 水野と陣野の配慮に感謝しつつも、軽い口調で話を受け流した。

 それから千颯は、水野に話題の矛先を向ける。


「そういう水野は、白鳥さんとはどこまで進んでんの?」

「え?」


 水野は一瞬驚いた顔をしたが、瞬時にいつも通りの穏やかな笑みを浮かべた。


「ノーコメントで。だけど千颯よりは進んでいると思うよ」


 余裕に満ち溢れた顔でそう言われると、完全に敗北した気がした。

 それから話題は別の方向に進んでいく。


「そういえば、千颯は今日三者面談じゃない」

「…………あ」


 咄嗟に黒板で日付を確認する。水野の指摘した通り、今日は千颯の三者面談が行われる日だった。


 三者面談は一週間かけて数人ずつ行われていたが、今日はまさに千颯の番だった。そんなことはすっかり頭から抜け落ちていた。


 千颯はその場でワナワナと震える。


「進路……何も考えてない……」


 その反応を見て、二人はガックリ肩を落とした。


「彼女の事より、まずはそっちを先に考えろ、相棒……」


*・*・*


 放課後、千颯は教室の窓から校門を見つめる。校門には保護者と見られる大人達がぞろぞろとやってきた。


 大人達は昇降口まで颯爽と歩いていく。その中に、見覚えのある人物がいた。


 着物を綺麗に着こなした美人、雅母だ。流れるような美しい歩き方に見惚れていると、雅母は不意に視線を向けた。


 千颯と目が合うと、雅母は小さくお辞儀する。挨拶をされたことで千颯も慌てて頭を下げた。


(雅も今日、三者面談だったんだ……)


 そんなことを思いながら、雅母が昇降口に入っていくのを見届けた。


 その直後、もっと見覚えのある人物を見かけた。千颯の母、颯月さつきだ。


 活発さを感じさせるショートカットの黒髪に、パリッと着こなしたネイビーのパンツスーツ。ヒールのないフラットシューズで、早足で昇降口に向かっていた。


 昇降口に入る直前に千颯と目が合う。その瞬間、颯月は目を輝かせながら両手を振って叫んだ。


「千颯ー!」


 恥ずかしげもなく息子の名前を大声で叫ぶ母。呼ばれたこちらの方が恥ずかしくなり、千颯はその場にしゃがみ込み、身を隠した。


「随分パワフルな母ちゃんだな」


 陣野が笑いを堪えながら揶揄う。


「いい人そうじゃん。バリキャリって感じでカッコいいし」


 水野は穏やかな笑みを浮かべながらフォローする。

 千颯は恥ずかしさを噛み殺しながら、言い訳をした。


「あの人は無尽蔵のエネルギーがあるんだよ。アホみたいにテンション高いし、アホみたいに働いてる」

「なんの仕事をしてる人なの?」

「グルメ系の雑誌で副編集長をしてる」

「あー、ぽいわー」


 陣野は納得するように頷いていた。

 その直後、あまりよろしくない事態になっていることにも気付いた。


「えー! もしかして雅ちゃんママですか? 私、藤間千颯の母です! 息子がいつもお世話になってますー!」


 最悪だ。雅母とも接触してしまった。千颯は床にへたり込みながら頭を抱えた。


 ちなみに凪のハイテンションは、紛れもなく母親譲りだ。凪ほど破天荒ではないが、颯月も似たような節はある。だから雅母に興味を示すのも当然の流れだった。


 できることなら、あの二人は接触させたくなかったが、いまとなればあとの祭りだ。颯月が余計なことを吹き込まないよう祈るばかりだった。

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