第102話 舞台上で君を想う/雅side②

 劇が進み、魔法の絨毯で空中散歩をするシーンに差し掛かった。


 バルコニーにやってきた千颯ちはやは、王子様のような笑顔で手を差し伸べる。ちょっと前まではそんな表情なんてしたことなかったというのに、一体どうしてしまったのだろうか。


(ホンマにずるいわぁ……)


 みやびは昂る感情を抑えながら千颯の手を取る。千颯の温かい手に包まれると、いつぞやのふしだらな夢を思い出した。


 その手でもっと触れられたい。抱きしめられたい。キスしてもらいたい。その先は結婚するまでダメだけど、夢で見た行為までだったらギリギリ……なんて想像をして途端に恥ずかしくなった。


(なに考えとるん? 本番中に!)


 不埒な考えを振り払いながら、雅は魔法の絨毯に飛び乗った。


 絨毯の上で並んで座ると、周りの景色が流れるように城や木のセットがゆっくりと移動する。自分達は動いていないが、周りの景色が変わることで飛び回っているように演出していた。


 ドラマチックな音楽に合わせて、二人は絨毯の上で揺れる。千颯は雅の様子を伺いながら、そっと肩に手を回した。


(またしれっとこんなことして……。全然分かっとらんやん)


 劇の演出上仕方ないということは理解していたが、千颯に触れられると取り乱してしまいそうになった。


 これではどんどん好きになってしまう。

 だけど、手放しに好きになれない事情もあった。


(愛未ちゃんのこともあるし、本気になったらあかん)


 千颯と雅は偽カップルだ。二人の間には愛未という大きな存在がいる。


 蛙化現象に悩む愛未は、千颯の愛を一人では受け止めきれない。だから雅という正妻を確立することで、分散した愛を受け止めていた。


 たぶんそれが、愛未にとっては一番居心地がいい関係だったのだろう。


 だからこそ、千颯を独り占めするわけにはいかない。それに芽依だって千颯のことを好きだと打ち明けてくれた。好きでいてもいいと承諾したのだから、いまさら裏切ることはできない。


 本当に千颯の彼女になって、独り占めしたいなんて、あってはならないのだ。


 だけど、こう考えてしまう自分もいる。


(愛未ちゃんも、芽依ちゃんも、クラスの子も、うちらがホンマに付き合ってると思っとる。これって本当に好きになってもいいんじゃ……)


 ゆっくりと千颯を見上げる。目が合うと千颯は王子様のような笑顔を浮かべた。そのまま胸元に引き寄せられた。


(千颯くん、またこんなこと……)


 こてん、と千颯の胸板に頭を預ける。力が抜けて抵抗する気力も起きなかった。千颯の心地よい匂いに包まれると、頭がぼーっとしてくる。


(本気になってもええの? 千颯くん)


 蕩けきった表情で千颯を見上げる。すると千颯は、王子様スマイルを崩して赤面しはじめた。


 オロオロと視線を泳がせる。突き放されるかな、と覚悟をしていたけど、雅の想像とは裏腹にギュッと雅を抱きしめた。


 そして観客には聞こえない小さな声で、耳元で囁かれた。


「その顔は反則だよ」


 身体を離した時、千颯は顔を赤らめながら困ったように笑っていた。千颯の照れた表情も堪らなく愛おしい。


 空中散歩のシーンが終わり、バルコニーに戻る。ここでは千颯から「おやすみ」と囁かれて、場面転換する。


 脚本ではキスをするなんてとんでもないことが書かれていたけど、無理にする必要はない。千颯との事前の打ち合わせではしない取り決めをしていた。


 だけど目の前で微笑む千颯を見ていると、もっと近付きたいと思ってしまった。もっと千颯の体温を感じたい。そんな思いから千颯の腕を掴んだ。


 千颯は驚いたように目を丸くしている。視線を落とすと薄い唇が視界に入った。


 さすがにそこに行く度胸はない。


 千颯がしたのと同じようにおでこにしようかとも考えたが、自分の身長では届きそうになかった。


 それなら選択肢はひとつしかない。雅は背伸びをして、千颯の頬に唇を這わせた。


 唇からやわらかな感触が伝わる。ふりなんかじゃない。本当に千颯の頬にキスをしていた。


 一瞬だけ触れるような軽いキス。だけどその一瞬で、心を全部持っていかれたような気がした。


「きゃーーーーーー!」


 客席から黄色い歓声が沸く。誰もが二人のキスに興奮していた。


 千颯は何が起こったのか理解できないと言わんばかりに固まっている。セリフもすっかり抜け落ちているようだった。


 だから代わりに雅がセリフを言う。


「おやすみ、王子様」


 キスもセリフも完全に逆転していた。だけどストーリーとしては上手くハマっていた。

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