第97話 名誉挽回

「お友達といる時のお兄さんは、とても愉快なんですね……」


 隣を歩いていた芽依めいがポツリと呟く。


 先ほどの失態を「愉快」の一言で済ませてくれるなら、これほどまでに有難いことはない。心なしかいつもより距離が遠い気がするのは気になるが。


「いやっ、いつもはもっと普通だよ!」

「そーなんですね……」


 イマイチ信用されていない気がする。芽依の中では、学校での千颯ちはやはクラスメイトの前でおかしなことを口走るお調子者だと思われているのかもしれない。


 このままではせっかく築いてきたお兄さんの地位が失墜してしまう。千颯は芽依の好感度を回復させるための策を探した。


 するとバスケのユニホームを来た女子生徒からチラシが手渡される。


「女バスでフリースローゲームをやってまーす! 3回成功した人には景品をプレゼント!」


 千颯は差し出されたチラシを受け取る。すると女バスの女の子が「あ」と声を漏らした。


相良さがらさんの彼氏だ」


 どうやら他のクラスの女子からは、みやびの彼氏という認識をされているらしい。雅は学校内でも人気だから、隣にいる千颯も必然的に認知されていた。


 女バスの女の子は、ポニーテールを揺らしながら訝しげに千颯を見つめる。


「え、なに? 堂々と浮気? 引くわー……」


 彼女は芽依をチラチラ見ながら毒づいた。どうやらとんでもない誤解をしているらしい。


「浮気じゃないよ! この子は妹の友達で、一緒に回ることは雅も承諾してるから!」

「めちゃくちゃ必死じゃん。ウケる」


 必死に弁解する千颯を見て、彼女はクスクスと笑った。


「まあいいや。千歳くんだっけ? 女バスの出し物に来てよ」

「千颯です」

「千颯くんね。ぶっちゃけさ、うちらの出し物全然人来なくて困ってたの。だから遊びに来てー」


 女バスの子から強引に腕を掴まれ、そのまま連行されそうになる。


「ちょっと、そんな急に!」


 慌てて抵抗する千颯だったが、女バスの子は千颯の顔を覗き込みながらにやりと笑った。


「あの子にカッコいいところを見せるチャンスだよ?」

「え?」


 千颯は咄嗟に芽依に視線を送る。芽依はどこか冷めた瞳で屋外の出店を見下ろしていた。


(これは失墜した好感度を上げるチャンスなのかもしれない……)


 千颯が揺らぎかけたのを、勧誘する彼女は見逃さなかった。こそっとさらなる誘い文句を囁く。


「フリースローをバシッと決めたらカッコいいだろうなー。やっぱりさ、バスケできる男はカッコいいんだよ」

「カッコいい……」


 いまの千颯にはその言葉は魅力的だった。


「分かった。行くよ」


 真面目な顔で千颯が答えると、女バスの女の子は視線を逸らしながら堪えるように笑った。


「チョロすぎでしょ。この子」


*・*・*


 まんまと誘いに乗った千颯は、芽依と共に体育館に向かう。教室棟から離れている体育館は閑散としていた。


 椅子に腰かけながら退屈そうにスマホを弄っていた女バスの面々だったが、千颯たちがやってきたことで一斉に顔を上げた。


「お客さん連れてきたよー!」

「でかした! 西ちゃん!」

「あれ? その人、相良さんの彼氏じゃん」

「他の女の子連れてるってことは、まさか浮気?」

「誤解です! この子は妹の友達で、一緒に回ることは雅も承諾済みです!」


 またしても浮気を疑われた千颯。実はここに来るまでの間も、3回は似たようなやりとりを繰り返していた。


 いちいち訂正するのも面倒だから、いっそのこと『浮気ではありません』と書かれたプラカードを首から下げて歩きたいくらいだ。そんなことをすれば、芽依からさらに冷たい視線を向けられそうな気もするが。


 何とか弁解した後、千颯たちを勧誘してきた子(通称 西ちゃん)からゲームの説明を受ける。


「ルールは簡単。フリースローを3回連続で決めたら、景品をプレゼント! 一人でチャレンジしてもいいし、二人で交互に投げてもいいよー」

「分かった」


 千颯は制服のシャツをまくりながらボールを受け取った。


「せっかくだし、芽依ちゃんも投げる?」


 見学に徹するつもりだった芽依は、驚いたように目を丸くする。


「わ、私もですか? 私、運動は得意ではないので、足手まといになってしまうかもしれませんよ?」

「大丈夫。コツは教えるから」


 千颯はフリースローラインでボールを構える。狙いを定めながら高くボールを投げた。


 ボールは綺麗なアーチを描いて、スポンとネットに収まる。一回目のフリースローは見事成功した。


 フリースローが決まった瞬間、芽依の瞳に光が宿る。千颯は上手くいった達成感から芽依に笑いかけた。


「入った」


 すると芽依は瞳をキラキラさせながら千颯に近付く。


「凄いです! お兄さん! 綺麗に決まりましたね!」

「久々だったけど、勘が鈍ってなくて良かった」


 成功を喜ぶ二人を眺めながら、西ちゃんも「千颯くん、やるじゃん」と賞賛していた。二人の女の子から賞賛されて、自然と頬が緩む。


(これでも中学時代はバスケ部だったんだ。補欠だったけどっ)


 自分の得意分野で芽依の好感度を回復させることに成功した。芽依のキラキラした瞳を見ながら、心の中でガッツポーズを決める千颯だった。


「次は芽依ちゃんが投げてみる?」

「は、はい。お兄さんが教えてくれるなら……」


 芽依は緊張した面持ちでボールを受け取る。フリースローラインに立った芽依は、肩に力が入った状態でボールとゴールを交互に見つめていた。


 その様子を見かねて、千颯はそっと芽依の肩に触れる。


「肩の力を抜いてリラックスして」

「ひゃいっ」

「ひゃい?」

「ご、ごめんなさい! いまのは忘れてください!」


 芽依は真っ赤な顔で振り返る。それから心を落ち着かせるように何度か深呼吸した。肩の力が抜けてきたところで、千颯はさらにアドバイスする。


「リングに真っすぐ投げるんじゃなくて、ボールが弧を描くのをイメージして投げて」

「わ、分かりましたっ」

「あとは絶対に決めるんだって集中して」

「はい!」


 もう一度深呼吸してから芽依はボールを構える。ふわりとスカートを揺らしながら、ボールを放った。


 ボールはアーチを描きながらゴールに向かう。落下したボールがリングの端に当たってバウンドする。外したか、とヒヤッとしたが、再び落下したボールはスポンとネットに収まった。


「や、やりました! お兄さん!」


 芽依は満面の笑みを浮かべながら嬉しそうに跳びはねる。そのままハイタッチを求めてきた。


「すごいね! 芽依ちゃん」


 千颯もつられて笑いながらハイタッチに応じる。軽く手が触れるだけと思いきや、芽依は指を絡ませてきてギュッと千颯の手を握った。よっぽど嬉しかったのか、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「まさか本当に入るとは思いませんでした。お兄さんのアドバイスのおかげです!」


 全身で嬉しさを表現する芽依は、本当に可愛かった。同時にやわらかな手の感触が伝わって、ドキッとする。自分の顔がみるみる赤くなっているのも感じた。


「そんなに喜んでもらえるとは、思わなかった」


 恥ずかしそうに視線を逸らす千颯を見て、芽依はきょとんとする。

 ……が、すぐに自分が千颯の手を握っていることに気がついた。


「ご、ごめんなさい! お兄さん! 感極まって手なんて……」

「全然いいよ! ちょっとびっくりしたけど」


 気まずい空気のまま向かい合う二人。そんな千颯たちを眺めながら、西ちゃんが声をかける。


「盛り上がってるとこ悪いんだけど、あと一回あるよー」


 その言葉で現実に戻ってくる。


「そうだよね! あと一回は俺がやるよ!」


 千颯は芽依からボールを受け取り、もう一度フリースローラインに立つ。浮ついた気持ちを振り払うように深呼吸した。


(絶対に決める)


 そう決意しながら、ボールを投げた。

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