第96話 文化祭スタート

 千颯ちはやたちの高校では、二日間にかけて文化祭が行われる。一日目は平日に開催されることもあり学校内で完結するが、土曜日に開催される二日目は一般公開される。


 一日目は一般公開に向けたリハーサルのようなもので、正直そこまで盛り上がらない。本番は二日目からだった。


 千颯たちのクラスの劇も、二日目の夕方に予定されている。そのため、一日目は劇の準備に徹していた。直前に大道具の一部が足りないというトラブルが発生したため、千颯は材料を集めるために奔走していたが……それはまた別のお話。


 そして迎えた二日目。千颯は教室の窓から来場客を眺めながら、緊張した面持ちを浮かべていた。


「ついに来たか……」


 まるでこれから決戦でも控えているようなピリッとしたオーラを放つ千颯。その隣で、陣野じんのがへらっと笑っていた。


「そんなに固くなるなって相棒! 練習通りにやれば大丈夫だ」


 陣野とは文化祭準備期間で急速に親しくなった。アラジンとジーニーという役柄も影響して、普段から相棒と呼ばれるようになった。まさにご機嫌なベストフレンドだ。


「俺の演技、ちょっとはマシになったよね?」

「ああ。ぎこちなさが抜けてだいぶ自然になってきた。自信を持て」

「ありがとう。演劇部にそう言われると心強い」


 千颯が微笑むと、陣野も安心したように千颯の肩を叩いた。

 その直後、クラスメイトの女子からお呼びがかかる。


「千颯! お客さんだよ」

「ん?」


 誰だ? と疑問に思いながら振り返ると、教室の入り口にお人形のような可愛らしい美少女が居た。芽依めいだ。


 秋らしいブラウンカラーのワンピースをまとった芽依は、遠慮がちに教室を覗いている。可愛らしい芽依の姿に、男子だけでなく女子も釘付けになっていた。


「芽依ちゃん! 来てくれたんだ!」


 思いがけないお客さんを前にして、千颯は表情を明るくさせる。咄嗟に駆け寄ると、芽依は顔を赤らめながらお辞儀をした。


「急に押しかけてしまってすいません。学校でのお兄さんの姿が見たくて、来ちゃいました」

「謝らなくていいよ! 来てくれて嬉しい」


 素直にそう伝えると、芽依はさらに顔を赤くした。


(相変わらず芽依ちゃんは可愛い。見ているだけで和む)


 芽依の可愛さを見てほっこりしていると、ふとあることに気付く。


「あれ? 芽依ちゃん一人? なぎと一緒に来たんじゃないの?」


 たしか昨日、凪も文化祭に行くと息巻いていた。だからてっきり凪と一緒に来たのかと思っていたが、目の前に居るのは芽依一人だった。


 千颯が尋ねると、芽依は苦笑いを浮かべる。


「凪ちゃんはイケメンをハントするって目を輝かせていました。今頃別の友達と回っているかと……」

「あいつ……文化祭を何だと思ってるんだ……」


 そういえば昨日凪は、やけに熱心に服を選んできた。ミニスカートと膝丈のワンピースのどっちがいいか訊かれたから膝丈のワンピースを指さしたところ、「これだから清楚好きは……」と呆れたのを覚えている。


 訊かれたから答えただけなのに、呆れられる羽目になるなんて、まったく失礼な話だ。


 とはいえ、凪のことはいまはどうでもいい。問題は芽依が一人で校内に居るということだ。


 言うまでもなく芽依は可愛い。そんな可愛い芽依を一人にしていたら、いつぞやのようにナンパ男に絡まれてしまうだろう。このまま芽依を放置するのは危険に感じた。


 千颯が心配していると、芽依は恥ずかしそうに俯きながら、あるお願いをしてきた。


「あの、お兄さん。京都での借りを返していただけませんか?」

「借り?」

「は、はい……」


 そういえば芽依にも借りを作っていた。何をお願いされるのかと身構えていると、芽依は上目遣いで千颯を見つめた。


「お兄さんと一緒に文化祭を回りたいです。案内してくれませんか?」


 可愛らしいお願いをされて思わず頬が緩む。


「お安い御用だよ」


 千颯がそう答えると、芽依はパアアと笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます!」


 芽依を一人にはしておけないと思っていたところだから、案内してほしいというお願いはちょうどよかった。


 劇は夕方からだから、日中は暇を持て余している。芽依を案内することも十分可能だった。


 にやけてしまいそうな顔を抑えながら振り返ると、陣野を含む男子生徒が冷ややかな表情でこちらを見つめている。


「お前……相良さがらさんが居ながらよくも堂々と……」


 完全に誤解されている。千颯は慌てて弁解した。


「違うよ! これは浮気とかじゃないから! この子は妹の友達で、やましい関係じゃないから! 今日だって妹がとても馬鹿らしい理由でこの子と別行動しているから、心配になって一緒に回ろうとしているだけで! ねえ、みやびからも何とか言ってやって」


 藁にも縋るような思いで雅に助けを求める。雅はスマホを弄りながら、素っ気なく返した。


「芽依ちゃんと千颯くんは何でもあらへんよー。一緒に回るのもお好きにどうぞ。うちは茶道部の当番があるから、千颯くんとは回られへんし」


 怒っているのか、シンプルに興味がないのか判別はできなかったが、雅はあっさり芽依と回ることを許可してくれた。


 その流れで愛未にも視線を送る。愛未は溜息をつきながらも、小さく頷いていた。声には出さなかったけど「いいよ」と口パクで言っているのが伝わった。


 二人から許可を得たことで、千颯はもう一度クラスメイトに視線を向ける。


「ほら、本当にやましい関係ではないから……」


 身の潔白を証明する千颯だったが、男子からの視線は依然として冷たかった。


「このヤリチン野郎が」


 つい先ほどまでは相棒と呼んで慕ってきた陣野までも、ゴミでも見るような視線を向けてくる。何とか信頼を回復させたいがために、千颯は大声で叫んだ。


「誤解だ! 俺はまだ童貞だー!」


 クラスメイトの前で、しなくてもいい告白をしてしまった千颯。ハッと我に返った時、死にたくなるほどの羞恥心に苛まれた。


(俺は何を言っているんだ! よりにもよって女の子の前で……)


 恐る恐る芽依の反応を伺うと、引いたような冷ややかな表情を浮かべている。完全に蛙化されていた。咄嗟に雅にも視線を向けるも、こちらも芽依と似たような反応だった。愛未にいたっては、もう怖くて見ることもできない。


 千颯はその場で膝をつく。不用意な発言で女子達の好感度を著しく下げてしまった。


 絶望する千颯だったが、男子の反応は違った。


 先ほどまでゴミを見るような目をしていた陣野が、千颯のもとに歩み寄る。そしてポンと肩を叩いた。


「まあ、なんだその……いつか大人になれるといいな、相棒」


 千颯を見つめる視線は、憎しみから憐みへと姿を変えていた。

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