第92話 特訓の成果は……

 衣装合わせのついでに、王宮のパレードのシーンから練習することになった。ここではジーニー役の陣野じんのが大いに盛り上げている。


 陣野は身振り手振りを交えた派手な演技で、クラスメイトの注目を集めている。そのせいもあり、王子様役の千颯ちはやは見向きもされなかった。


(別にいいんだけどさ。俺の見せ場はここじゃないし……)


 虚しさを感じながらも、千颯は役割をこなした。


 そして千颯の見せ場である、魔法の絨毯での空中散歩のシーンがやってくる。いよいよ特訓の成果を披露する時が来た。


 バルコニーに見立てた白い柵の前で、千颯は片手差し出しながら渾身の笑顔を浮かべる。


「僕を信じて」


 みやびの推しを完コピした王子様スマイル。この笑顔を作るために、何度も鏡の前で練習してきた。それをいま、雅の前で初披露している。


 推しと瓜二つの笑顔を前にした雅は、目を丸くしている。それから次第に表情が緩み、最終的にはいつぞや推しに向けていたとろけた笑顔を浮かべた。


「その笑顔はあかん……」


 雅はセリフをまるっきり無視して、個人的な感想を口走る。特訓の成果が現れたようで、千颯は密かにほくそ笑んでいた。


 それから二人は絨毯に座り、飛んでいるように見せる演技をする。曲に合わせながら左右にゆっくりと揺れてみたり、時折肩を支えたりと、それっぽい演技をしていた。


 女の子に対する仕草も研究済みだ。表情だけでなく、仕草も王子様に寄せていった。


 そんな二人の演技を見ながら、クラスメイトは感想を言い合う。


「相良さん、マジで千颯に恋してんだなー」

「あんな可愛い顔晒しちゃって、ちくしょう」

「もう嫉妬する気も起きん」


 雅が恋する表情になっているのは、傍から見てもバレバレだった。

 その一方で千颯、まったく別の解釈をしていた。


(推しの効果は絶大だな。本当に恋してる表情になっている)


 頬を染めながら、とろんとした瞳で見つめる雅。これらは全て推しに向けられた表情だと解釈していた。


 自分に恋しているわけではないと頭では分かっていても、目の前の雅を見ているとどうしても意識してしまう。こんなに可愛い表情をされたら、冷静でいることなんて不可能だった。


 千颯は演技の一環として雅の肩に手を伸ばす。そのまま自分の胸元に引き寄せてみた。


 雅の焦げ茶色の瞳が驚いたように揺らぐ。潤んだ瞳で千颯を見上げてから、コトンと千颯の胸元に頭を預けた。


(やばい……可愛すぎる……)


 反射的ににやけてしまった口元を隠すように手で覆う。胸元で大人しく頭を預けている雅を見ていると、理性が吹き飛びそうになった。


 ダメと分かっていながらも、もっと触れたいという衝動に駆られてしまう。そんな時、ふと次のシーンが脳裏に過った。


 空中散歩が終わり、お姫様をバルコニーに送り届けるシーンでは、脚本にこんな指示がされている。


『別れ際におやすみのキスをする(無理だったら省略しても構いません)』


 原作ではこのタイミングで二人がキスを交わしている。それを再現したいのだろう。


 だけどキスというのはハードルが高すぎる。脚本を担当した羽菜はなもそのことを理解しているからこそ、省略しても構わないと補足をしていた。


 キスなんて、できるはずがない。これまでも、ずっと無視をし続けてきた。

 だけど、いまならできる気がする。雅が役に入りきっているこのタイミングなら。


 雅がバルコニーに降りてから、千颯はこっそり目配せをする。雅は相変わらず、ぽーっとした表情を浮かべていた。


「いい?」


 千颯はクラスメイトに気取られないように、こっそり尋ねる。雅はとろんとした瞳のまま、こくりと頷いた。


(許可されちゃったよ……)


 雅からの許可を得たと判断した千颯は、おずおずと雅の後頭部に手を伸ばす。それから自分のほうに引き寄せてみた。


 ふっくらとした薄紅色の唇が視界に入る。……が、さすがにそこに行く勇気はない。他の場所を探していると、綺麗に切りそろえた前髪が視界に入った。


 千颯はゆっくりと近付き、雅の前髪をかき分ける。そして、額にキスをする………………ふりをした。


 本当にするのは無理だった。寸でのところで歯止めをかけた。


 破裂しそうな心臓を抑えながら、ゆっくり身体を離す。余裕がないのを気取られないように千颯は笑顔を作った。


「おやすみ」


 その瞬間、「きゃーーーーーー!」と黄色い歓声が沸く。女子生徒たちは興奮気味で二人に注目していた。


 その反応を見て、さすがにやり過ぎたと察した千颯。本当にキスはしていないが、周囲からは本当にしたように見えたのかもしれない。


 実際には、唇にほんの少しだけ髪に触れただけで、肌には一切触れていなかったのだが。


 とはいえ、事前の打ち合わせもなしにこれはやり過ぎだったのかもしれない。千颯は恐る恐る雅の反応を伺った。


 雅は口元に手を当てながら真っ赤な顔で震えている。


「なっ……なっ……なにを……」


 セリフを忘れてただ驚く雅。いままで見たことがないくらい慌てふためいていた。


 これはマズい。謝ろうとした次の瞬間、肩に衝撃が走った。


「調子に乗り過ぎや!」


 肩にグーパンチがもろに入る。予想以上に衝撃が強くて、千颯はその場で蹲った。


 痛みに悶え苦しみながらも、雅の指摘がごもっとも過ぎて何も言い返せなかった。

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