第91話 衣装合わせ

 みやびとの練習から数週間が経ち、文化祭まで一週間を切った。その間、千颯ちはやは特訓を重ねた。


 鏡の前で王子様スマイルを何度も練習し、宗司そうじに事情を説明して美しい立ち振る舞いを伝授してもらった。その甲斐もあり、以前と比べると役に入り込めたように思える。


 そして、ようやく特訓の成果を見せる時が来た。千颯は渾身の王子様スマイルをクラスメイトの前で披露する。


「僕が新しい世界を見せてあげるよ」


 決まった、と心の中でガッツポーズを決める千颯。


 ……が、周囲からの反応は冷ややかなものだった。一部、憐みの視線も混ざっている。


「キメ顔で言ってるところに水を差すようで悪いが、パンイチで言っても全然締まらねーぜ、相棒」


 ジーニー役の陣野じんのから、可哀そうなものでも見るような目で突っ込まれた。


 ここは男子更衣室。千颯たちは衣装合わせのために更衣室で着替えをしていた。当然のことながら、周りには男しかいない。


 冷静に突っ込まれたところで、千颯も現実に戻ってくる。


「いやさ、俺だって好きでパンイチでいるわけじゃないんだよ。衣装が複雑すぎて、着方が分からないの」


 千颯は目の前にある衣装を指さし、いま直面している問題を明かした。


 アラジン通常Verの衣装は、白シャツにベストというシンプルな造りだったから問題なく着用できたが、王子様Verの衣装はパーツが多すぎてどう着ればいいのか分からなかった。


「なにこの布の量? この紐はなに? この装飾はどこに付ければいいの?」


 衣装を持ち上げながら首を傾げると、陣野が「あーあ、それな」と憐れむような視線を向けた。


「衣装担当の子がアラジン王子様Verとジャスミンの衣装にはこだわりまくったらしい。だからこんなに複雑になっているんだ。正直、原作の衣装よりも凝ってる」


「だからジーニーはそんなに低予算なんだ。こっちとの落差がエグすぎだろ」


 陣野の衣装を上から下まで観察する。ジーニー役の陣野は、青のピチピチのTシャツに、青のハーフパンツ姿だ。これがジーニーだなんて誰も想像できまい。


 その割に陣野本人は、そこまで衣装のクオリティについては気にしていない様子だった。


「まあ、俺の衣装はネタでいいんだよ。演技とのギャップで観客をあっと驚かせるから。出オチなんて言わせねーよ」


 それは演技に自信があるからこそ出る発言だ。実際、陣野の演技は凄まじい。


 演劇部というだけのことはあり、舞台の上では恥じらいを一切浮かべず、堂々と演じている。変幻自在に変える表情と華やかさのある身振り手振りで、その場にいる人間のハートを鷲づかみにしていた。だからこそ、衣装が簡素でも様になる。


 一方、特訓を重ねたとはいえ、まだまだ演技力に自信のない千颯は着飾るしかなかった。しかしいまは、それすらもままならない。


「もう本当これ、どうやって着ればいいの? 誰か助けて!」


 千颯が喚いていると、陣野は苦笑いを浮かべながら助けを呼んだ。


「こういうときは菩薩様だな。水野みずの~、千颯が服着られなくて困ってるから助けてあげて」


 他の演者の衣装チェックをしていた水野が、千颯に視線を向ける。パンイチで騒いでいる千颯を見ると、小さく溜息をついた。表情は笑っているが、どこか呆れられているように思える。


「そんなことだろうと思ったよ。衣装担当の子に着方を聞いておいて良かった」

「ふく、ひとりじゃきれない。てつだって」

「まさかの幼児化? ほら、手伝うから、ばんざーい」

「ばんさーい」


 千颯の着替えを手伝う姿を見て、クラスメイトが一言。


「ありゃ、菩薩というよりおかんだな」


*・*・*


 水野の手助けもあり、なんとか王子様の衣装に着替えられた千颯。

 教室の前まで戻ってきたところ、扉の影で数名の男子生徒がひそひそと話しているのに気がついた。


「あの衣装はやべーな。アラジンにして正解だった」

「まさかあの谷間を合法的に拝めるとは……」


 何やら猥談を繰り広げているであろう男子生徒の輪の中に、千颯も加わろうとする。


「何の話~?」


 いつも通りに話しかけたつもりだったが、男子生徒は「マズいっ」と言いたげに顔を引き攣らせた。


「おー、千颯。何でもない。何でもないから」

「んだよ教えろよー。谷間がなんだって?」

「どうしてそういうワードだけ敏感に聞き取るんだよ!」


 ニマニマしながら話を聞き出そうとする千颯とは対照的に、男子生徒たちはそそくさと退散した。わけがわからず首を傾げる千颯だったが、教室の状況を見てすぐに事情を察した。


 教室では既に着替えを終えた女子生徒が、仲良く談笑している。その中心には雅がいた。


 雅が着ているのは、ターコイズブルーのアラビアンテイストのドレス。光沢のある生地と金色の刺繍が引き立っていて華やかな印象に仕上がっていた。


 そこまではいい。問題はここからだ。


 雅の着ているドレスは上下がセパレートしている。下はゆるっとしたパンツなので問題はないが、上は直視するのを躊躇うほどに肌が露出していた。


 ほっそりとしたウエストと可愛らしいおへそが露わになっているトップス。視線を上げると、存在のある膨らみが視界に飛び込んだ。半球型の柔らかそうなソレは、鎖骨の下でむぎゅっと谷間を形成していた。


 いつぞや覗いてしまった下着姿と近しい光景が目の前に広がっている。千颯は顔を真っ赤にしながら後退りした。


 ふと、周囲を見渡すと他の男子生徒もチラチラと雅を見ている。その瞬間、劇の演目で『アラジンと魔法のランプ』を推していた意図に気がついた。


(あいつら……こうなることが分かって……)


 男子生徒の浅ましさに怒りを覚える千颯。幸か不幸か、女子とのお喋りに夢中になっている雅は、やましい視線には気付いていないようだった。


(これ以上、晒して堪るか……!)


 千颯はダッシュで更衣室に戻る。ロッカーからブレザーを掴んでから、急いで教室に戻った。


 教室に入ると、クラスメイトを押しのけて雅のもとに向かう。そして肩からわさっとブレザーをかけた。


 目を逸らしながらブレーザーをかける千颯を、雅は不思議そうに見つめる。


「何なん? 急に?」


 目をぱちぱちさせながら千颯とブレザーを交互に見る雅。こちらの事情に気付いていない雅に、千颯はおずおずと伝えた。


「あんまりその恰好でうろつかない方がいいよ……」

「なんで?」

「だって、その……胸が……」


 そこまで伝えると、雅も千颯の意図を察した。ブレザーでばっと胸元を隠しながら、真っ赤な顔で睨みつけられる。


「何考えとるん? 変態!」

「いや、俺がどうこうってわけじゃなくて……」

「そんな目で見てたなんて信じられへん! 劇が始まるまで近付かんといて!」


 雅はぷいっとそっぽを向いてから、教室の隅に移動した。

 その一方で、変態と罵られた千颯は、その場で崩れ落ちる。


「なんで俺が一番悪いことになってんの……? 俺が言い出したわけじゃないのに……」


 項垂れる千颯の肩を、水野がポンと叩く。


「千颯は間違ってないよ。ただちょっと、気付くのが遅かっただけだ」


 菩薩のような穏やかな微笑みを前にして、千颯の気が緩む。


「水野ー! 俺の味方はお前だけだー!」


 感極まってハグをしようとしたが、サッと交わされた。水野は相変わらず人の良さそうな笑みを浮かべながら言った。


「男とのハグはお断りだよ」

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