第90話 研究
劇の練習を終えて帰宅した
「凪! 頼みがある!」
「ひゃっ! なに急に?」
ベッドの上でスマホを眺めていた凪は、慌てて飛び起きる。それから膨れっ面で千颯に抗議した。
「せめてノックくらいしてよ!」
「ノックしないで入ってくるのはお前も同じだろ。それより頼みがあるんだけど」
突然の兄の襲来に不服そうにしていた凪だったが、渋々ながらも話を聞く姿勢になってくれた。
「頼みってなに?」
「王子様キャラが出てくる少女漫画を貸してほしい」
「…………なんで?」
「俺、王子様にならないといけないんだ」
真面目な顔で宣言する千颯を見て、凪はわなわなと震え出す。
「千颯……ついに頭の具合が……」
本気で心配し出す凪を見て、千颯は慌てて補足をする。
「あれだよ! 劇で王子様役をやるから役作りのために研究したいだけで」
「ああ、なるほど。そういうこと」
そこまで説明すると、凪は合点がいったように頷いた。
「でも私、少女漫画なんてほとんど持ってないよ。どちらかといえば少年漫画の方が好みだし」
「そっか……」
あてが外れて引き返そうとした千颯だったが、話はそこで終わらなかった。
「だけど、少女漫画よりもいい教材はある」
「本当?」
期待で目を輝かせる千颯に、凪はにんまり笑いかける。引き出しをごそごそと漁った後、大量のDVDを千颯に差し出した。
「虎の子ファイブのライブDVDじゃ! これをそなたに授けよう」
「おーお……。ってこれ、お前らの推しじゃん。ただの布教活動なんじゃ……」
虎の子ファイブとは、凪と
疑いの眼差しでライブDVDを見つめていると、凪は得意げな顔で語り出した。
「千颯は知らないと思うけど、虎の子のメンバーは役割分担がされているの。キャラ付けとも言えるかな。私の推しのユッキーは頼れる兄貴キャラ。他にも天然不思議ちゃん系とか、元気いっぱいの仔犬系とか、あざとい弟系がいるんだよ」
「へー……そうなんだー……」
結局布教活動じゃねーか、と受け流そうとしたところで、凪は本題に入る。
「その中でも断トツで人気なのは、正統派王子様キャラの潤ちゃん!」
凪は鼻息を荒くしながら、センターに移った色白の塩顔イケメンを指さす。
「あー、雅の推しな」
「そう! 雅さんの最推し! 雅さんは潤ちゃんの王子様スマイルを生きる糧としてるんだよ!」
「なんでお前にそんなことが分かるんだよ?」
「分かるよ! 雅さんのタイムライン追ってたら大体! 夏休みの後はあんまり推し関連の呟きはなかったけど」
SNS上では繋がっていない千颯には、雅の投稿内容は分からないが、凪の口ぶりから推しに関連することを定期的に呟いていることを察した。雅は相当潤ちゃんにご執心なのだろう。
ほんの少しだけもやっとしたが、気付かなかったことにした。
「で、その潤ちゃんがどうしたって?」
「もー! 千颯は勘が鈍いな! 王子様になりたいなら、潤ちゃんを参考にすればいいんだよ!」
「潤ちゃんを?」
「そう! 慈愛に満ちた王子様スマイル、育ちの良さを感じさせる美しい立ち居振る舞い、京都弁交じりの穏やかで紳士的な口調。そういうのを完コピできれば千颯だって王子様になれる!」
「な、なるほど……」
ようやく凪の意図を汲み取った千颯は、まじまじとライブDVDを見つめる。確かにこれは良い教材になりそうだ。
「俺、研究してみるよ」
単純な千颯はあっさりとその気になった。意気込む千颯を見て、凪はふむふむと満足げに頷く。
「さっき渡したDVDの中には、潤ちゃん主演の恋愛映画も入ってるから、女の子の扱いに関してはそっちを参考にして」
「分かった! ありがとう凪!」
千颯は満面の笑みを浮かべながら、凪の部屋を出た。そしてテレビのあるリビングに直行した。
*・*・*
千颯はさっそくテレビをつけてDVDを見始める。テレビには潤ちゃんがキラキラした王子様スマイルが映し出された。同じ男からしても、その笑顔は眩しい。
だけど、どこか引っかかるところがある。
(この笑顔、どっかで見たことがあるんだよなー……)
千颯は腕組みをしながら考える。知人の中から思い当たる人物を探してみた。
学校には該当する人物がおらず、学外の知り合いを探していた時、ハッと気づく。
(
潤ちゃんの王子様スマイルは、どこか由紀と通じるものはある。性別の違いはあれど、余裕に満ちた表情で穏やかに笑う姿は瓜二つだった。
モヤモヤが晴れてスッキリした千颯だったが、別の疑惑も浮かび上がってくる。
(待てよ。由紀さんに似たアイドルを推してるってことは……)
とんでもない事実に気付いて、千颯は口元を覆った。
雅が潤ちゃんを推している理由は、由紀の面影を追い求めてのことなのかもしれない。意識してのことか、無意識なのかは分からないが、雅にとって由紀は趣味趣向に多大な影響を与える人物だったのだろう。
千颯は脱力したようにリビングの床に倒れこむ。
(雅も少なからず由紀さんのことを……。いやー、でも、
雅の初恋の相手である宗司を思い浮かべる。
宗司は男前な性格をしているものの、外見は少年らしさの抜けきらない幼い顔立ちをしている。正直、王子様という柄ではない。
そんなことを本人に指摘したら、冷ややかな薄ら笑いを浮かべながら刺されると思うが。物理的にではなく言葉で。
由紀と宗司の共通点はどうにも見当たらない。そこで千颯はもう一度、テレビの中でキラキラの笑顔を振りまく潤ちゃんに注目した。
じーっと潤ちゃんを観察していると、ふとあることに気付く。
(この人、背筋がスッと伸びてて姿勢いいな。ステージを歩く姿も優雅で綺麗だ)
確か凪は、潤ちゃんは育ちの良さも魅力だと話していた。その言葉からハッとある可能性に気付いた。
ライブDVDでは所作までは分かりずらかったため、潤ちゃん主演の恋愛映画に切り替える。二倍速で映画を見ていると、疑惑が確信に変わった。
(所作の美しさは宗司さんに似ているんだ)
バイトをしている中で密かに感じていたが、宗司は人の目を惹きつける美しい所作をしていた。和菓子を作るときだってそうだ。ひとつひとつの動きが丁寧で美しかったからこそ自然と目が奪われた。
おまけに素の潤ちゃんは、はんなりとした京都弁で喋る。そんなところも宗司と共通していた。
(要するに、潤ちゃんは由紀さんと宗司さんのハイブリットってことか?)
そう考えると、雅が潤ちゃんを推している理由が何となく理解できた。
リアルな知り合いにお手本がいるのは都合だ。あの二人の振る舞いを参考にすればいいのだから。
千颯はスマホを手に取る。由紀とは連絡が取れないが、宗司とだったら取れた。バイトの最終日に、宗司の方からLIEN交換を求められたからだ。
『千颯くんと雅が結婚したら俺の弟分になるからなぁ。仲良くしとかな』
なんて人懐っこい笑みを浮かべながら、スマホを差し出してきた。
あの時は戸惑いしかなかったが、まさかこんなタイミングで役に立つとは思わなかった。千颯はさっそく宗司にLIENを送る。
『宗司さんのように美しくなるにはどうしたらいいですか?』
送った直後、速攻既読になる。しかしすぐに返事が返ってくることはなかった。
忙しいのか、と思いつつ待っていると、3分ほど経過した頃に返事がきた。
『あかん。まったく話が読めへんのやけど』
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