第89話 嘘をつき通すこと
「大きい声を出すと周りの迷惑になるから、小さめの声で練習せなあかんね」
「うん。そうだね」
雅の助言に従って、二人は小声で読み合わせを始めた。
「地図であなたの故郷を探しているんだけど見つからないの」
「そうだね……僕の故郷はほらここに」
「あら本当……なんで気付かなかったのかしら」
「地図なんか必要ないさ、自分の目で見たものがすべてだ」
「私は地図で世界を見ているの。それしか方法がないから」
雅と読み合わせをしていると、自然とセリフが出てくる。会話として成立しているから、次のセリフを予想しやすいのかもしれない。
その後も二人で登場するシーンをいくつか練習すると、初めよりはマシになった。
「前の練習の時よりも、だいぶスムーズに進むようになったなぁ」
「うん。これなら流れを止めることはなさそう」
「ほんなら次は、どれだけ役に入るかやな」
「役に入る?」
千颯が首を傾げると、雅は補足をする。
「自分の演じる役がどんな目標を持っていて、どんな葛藤を抱いているのか考えると、ちょっとは役に近付けるんやない? 役に入りきれば、演技ももっと自然になると思うで」
「なるほど……」
いままでは一語一句間違えないようにセリフを言うことだけに捕らわれていたけど、それだけでは演技がぎこちなくなる。たふん、千颯の演技が下手くそに見えるのは、その辺りも影響しているのだろう。
「劇での出来事と、自分が実際に体験した出来事を結びつけると、イメージしやすくなるらしいで? うちもそうやってジャスミンの気持ちを理解しようとしとるし」
「体験した出来事と結びつけるか……」
千颯は両手を組んで考え込む。アラジンと自分との共通点を探してみると、真っ先にある出来事と結びつく。
嘘をついてお姫様に近付くという展開は、いまの千颯と通じるものがあった。
そのことに気付いた途端、とてつもない罪悪感に襲われた。思わず頭を抱えて項垂れる。
「ん? 急にどしたん?」
雅は不思議そうに千颯の顔を覗き込む。
そこで千颯は、胸の中に渦巻いていたモヤモヤを正直に打ち明けた。
「いまさらだけどさ、みんなに嘘をついてまで偽彼女なんてやらせてごめん」
「んん? なんで急にそんな話になるん?」
「アラジンの話を考えてたら、嘘をついて騙すのって良くないなって思って……」
思いつきでお願いした偽彼女だったけど、いまやクラスメイトだけでなく、お互いの家族まで巻き込んだ事態に発展している。ここまでの大事になるなんて、初めは思ってもみなかった。
あらためて自分がとんでもないことをしていると思い知らされた。同時にこのまま嘘をつき通してもいいのかと不安になる。
俯く千颯の隣で、雅は深々と溜息をつく。
「そんなん気にしとったん? しょうもな」
「しょうもないって、そんな言い方……」
眉を顰める千颯だったが、雅は呆れ顔で言葉を続けた。
「千颯くんの嘘は誰も傷つけとらん。うちも納得した上で千颯くんの嘘に付き合ってる。それでええやん」
「でも、いつまでもみんなを騙しているのはよくないんじゃ……」
「いまさら『うちらは偽カップルでした』なんて言ってもみんなの反感を買うだけや。それに愛未ちゃんの気持ちはどうなるん? うちらが付き合っているっていう前提があるから、愛未ちゃんは安心して千颯くんに近付けてるんやないの?」
「それは、そうだけど…」
「一度ついた嘘を最後まで突き通すのも優しさやと思うで?」
雅の言うことは一理ある。愛未と和解してから、千颯は自分なりに愛未の心境を考えてみた。
愛未が蛙化現象を起こしたのは、恐らく自己肯定感の低さが原因だ。自分は愛される資格がないと思い込んでいたから、突如向けられた重すぎる愛を受け止めきれずに拒絶したのだろう。
要するに、千颯からの愛を一人で受け止めるだけの器がなかったのだ。
だけど雅という彼女が現れたことで、愛未一人で受け止める必要がなくなった。分散された愛だったら、引き受けるだけの余裕があったのだろう。だからいまのような関係性が成り立っている。
そんな事情を考えると、いまさら嘘でしたなんてバラすのは危険な気がした。愛未との関係を壊すことにも繋がりかねない。
千颯が考え込んでいると、雅はにやりと笑いながら顔を覗き込んだ。
「まあでも、王子様の嘘はお姫様には通用せんかったみたいやけどな」
「……どういうこと?」
千颯が尋ねると、雅は得意げな顔をして語った。
「劇の話や。千颯くんは気付いとった? ジャスミンは王子様の正体がアラジンだと気付いたから恋に落ちたんよ」
「え? そうなの?」
「魔法の絨毯で空中散歩をしている時に、市場で助けてくれた男とお城にやってきた王子様が同一人物やって気付いた。だから心を許したんやで」
そう言われてみれば、空中散歩のシーンで急速に二人の距離が縮まった気がする。単純に空中散歩が楽しかったから距離が縮まったのだと思い込んでいたけど、それだけではなかったらしい。
千颯が納得していると、雅は言葉を続ける。
「うちも同じ。千颯くんに騙されて付き合っとるわけやない」
「……と言いますと?」
「千颯くんを王子様なんて思っとらんもん」
その言葉はグサッと刺さる。確かに自分は王子様なんていう柄ではないけど、こうもはっきりと言われると傷つく。
「そ……そうだよね。俺なんて雅にとっては取るに足らない存在だよね……」
肩を落として凹む千颯を見て、雅が咄嗟にフォローする。
「別に悪口で言っとるわけやないで。うちは等身大の千颯くんしか見てへんってこと」
「等身大?」
「うちは千颯くんのしょうもないところも知っている。もちろん、優しいところもカッコいいところもな。全部知った上で、隣におるんよ」
雅はすべてを包み込むような穏やかな笑みを浮かべている。その笑顔を目の当たりにした瞬間、心臓の奥が狭まる感覚になった。
慌てて視線を逸らすと、雅は千颯の丸まった背中をポンと叩いた。
「だから自信持ってな。大嘘つきさん」
「なんだよ、大嘘つきって……」
「嘘ついてるのは事実やし」
雅はイシシっと揶揄うように笑った。その笑顔を見ていると、なんだか勇気が湧いてきた。
千颯は気を強く持ちながら、顔を上げる。
「自分でついた嘘は、最後までつき通すよ」
「うん」
「それで、劇も頑張る」
「そやな。それがええ」
雅は子供を見守るような、穏やかな笑みを浮かべている。その表情にもちょっと心を揺さぶられた。
千颯は浮ついた気持ちを追い払うように、お茶らけてみた。
「俺、王子になるよ」
「…………んん?」
これまで穏やかに頷いていた雅だったが、千颯の突拍子のない発言に思わず聞き返した。面食らった顔をする雅を見て、千颯はにやりと笑う。
「みんなを欺けるくらいの王子になってやる」
馬鹿馬鹿しすぎて自分でも笑ってしまうような宣言をしながら、千颯はベンチから立ち上がった。
「もう遅いし、帰ろっか?」
振り返りざまにそう尋ねると、雅は目を丸くしながらも小さく頷いた。
「そやね」
脚本を鞄にしまって立ち上がろうとする雅の前に、千颯はわざとらしく手を差し出す。
「お手をどうぞ、お姫様」
「なっ……!」
悪ノリする千颯とは対照的に、雅の顔はみるみるうちに赤くなる。
あからさまに動揺している雅の姿がおかしくて千颯は思わず吹き出した。その瞬間、雅も冗談だと察したのか、差し出された手を思いっきり引っ叩いた。
「そういうのやめてって言うたやん」
「はいはい」
千颯は空返事をしながら駅までの道のりを歩く。雅は不服そうに眉を顰めながらも、千颯の後を追いかけた。
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