第88話 放課後の自主練

 放課後、千颯ちはやは誰も居なくなった教室で脚本と睨めっこしていた。


「王宮の外には広い世界があるんだ。……君も見てみたくない?」


 脚本を見てはセリフを言い、躓いては脚本を見返してを繰り返していた。


(次の練習までには、せめてセリフくらいは覚えておかないと……)


 前回の失敗を反省して、密かに自主練をしていた。とはいえ、まだ完璧とはほど遠い。チラチラと脚本をカンニングしなければ、セリフが出てこなかった。


「ほんっとに、自分がアホ過ぎて辛い……」


 机に突っ伏して項垂れていると、不意に教室のドアが開いた。


「千颯くん、こんな時間まで何してはるん?」


 振り返ると、目を丸くして佇むみやびがいた。


「なんだ雅か……。今日は茶道部だったんじゃないの?」

「もう終わった。そんで教室に忘れ物を取りに来た」

「そっか。もう6時になるんだ。集中してて気づかなかった」

「もしかして千颯くん、ずっと劇の練習しとったん?」

「うん。せっかくみんな頑張ってるのに、俺の演技で台無しにしたくないから。やるからには絶対成功させたい」


 その言葉に嘘はなかった。ジャスミン役の雅やジーニー役の陣野じんのは完璧な演技を披露していたし、侍女役の愛未あいみだってセリフをちゃんと覚えていた。ほかの演者だって、流れを止めることなくスムーズに演じていた。


 頑張っているのは演者だけではない。裏方も休み時間や放課後を使ってコツコツ準備している。


 脚本担当の羽菜はなは演者がやりやすいように随時セリフを改変しているし、大道具担当の水野みずのもクラスメイトを率いながら劇のセットを製作している。


 衣装担当の女子は家庭科室に籠って衣装を作っているし、振り付け担当のダンス部員は曲に合わせたダンスを演者に指導していた。


 みんながそれぞれの役割をこなして、劇を成功させようとしている。だからこそ、千颯も自分の役割をまっとうしたかった。みんなの努力を無駄にしないためにも。


 千颯の言葉を聞いた雅は、ふわりと微笑みながら小さく頷いた。


「千颯くんのそういうとこ、嫌いじゃないで」

「ん? ありがとう」


 唐突に褒められて戸惑いつつも、千颯は素直にお礼を伝える。その直後、下校時刻を知らせるアナウンスが流れた。


「もう帰らないとか。もっと練習したかったんだけど……」

「家で練習すればええんやないの?」

「家だとなぎが邪魔してくるから」

「あーあ、それは何となく想像できるなぁ……」


 千颯の苦悩を知る雅は、同情したように苦々しい表情を浮かべた。

 そんなやりとりをしながらも、千颯は手早く荷物をまとめる。


「まあでも、いつまでもここで練習しているわけにもいかないし、帰るよ」


 千颯は雅の隣を通り過ぎて教室を出る。廊下を歩いていたところで、不意に後ろから声をかけられた。


「よかったら、一緒に練習しいひん? ここじゃなくて公園とかで……」


 視線を泳がせながら、そう提案する雅。そのお誘いに千颯は目を輝かせた。


「本当!? 助かる!」


 嬉しさのあまり、雅の両手を掴んでブンブンと上下に振る。


「やー、雅がいれば心強い! ビシバシ指導をお願いします!」

「ちょっ……千颯くん。手……」

「て?」


 その言葉で自分が雅の手を握っていることに気付いた。だけど手を繋いだくらいでは、いまさら動揺しない。


「手なんてもう何度も繋いでるじゃん。いまさらどうってことなくない?」


 何気なく指摘すると、雅はみるみるうちに顔を赤くした。


「いつからそんな余裕で居られるようになったん? 信じられへん!」

「ご、ごめん。そんなに怒るとは思わなかった」

「急に手を握られたらこっちの心臓がもたんわ! そういうのやめてな!」

「分かった。気を付ける……」


 ふと、心臓がもたないとはどういうことだ、と疑問に思ったが深く追求するのは辞めた。また怒られそうな気がしたからだ。


 雅はスタスタと早足で廊下を歩き出す。


「とりあえず場所を移動しよ。いつまでも校舎に居たら、先生に怒られる」

「そうだね。行こうか」


 千颯は雅の後を追いかけて、昇降口に向かった。

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