第87話 劇の練習が始まる

 文化祭の出し物が決まってから1週間が経過した。その間、裏方チームでの話し合いが行われ、脚本が完成した。


 今回の劇は、みやびが主役ということもあり、脚本はジャスミンの出番が多くなるように改変したらしい。王宮に閉じ込められ、親の言いなりに生きるジャスミンの心の葛藤にフォーカスしたと聞いている。


 そして各々セリフを頭に叩き込み、初の読み合わせが行われることになったのだが……。アラジンとジャスミンが出会う市場のシーンを演じている中で、致命的な問題が露呈した。


「パンのお代はこのネックレス……じゃなくて、ブレスレットで十分だろ? ついでにりんごもあげるよ。じゃあな」

「待って! あれは大切なブレスレットなの」

「大丈夫。ブレスレットはここに…………ってあれ? ないや……」


 千颯ちはやは手に何も持っていないことに気付き、商人役の女子に視線を向ける。彼女は冷めた視線で、千颯から手渡されたブレスレットをゆらゆらと揺らしていた。


「なんで本当に渡してるの? 馬鹿なの?」

「そっか……本当に渡しちゃダメだよね。ここは渡すフリだったね……」


 痛恨のミスをして千颯は苦笑いを浮かべる。するとジャスミン役の雅からも冷ややかな視線を向けられた。


「うちのブレスレット、勝手に売り飛ばさんといてくれる?」

「ごめん……」


 千颯が謝ると、クラス中から大きな溜息が聞こえた。それからうんざりしたように、千颯の演技の批評をする。


「正直、ここまで酷いとは思わなかった」

「演技は下手、セリフは飛ぶ、大事なシーンで噛む。どーしようもねえな」

「うう……。返す言葉がありません……」


 千颯はヨロヨロとその場で膝をつき、クラスメイトに土下座する。クラスメイトの批評通り、千颯の演技は散々だった。


 短いセリフだったらなんとか覚えられるが、長いセリフだと頭が真っ白になる。セリフのことだけを考えていると、表情がどんどん固くなり、仕草もおぼつかなくなった。


 対する雅は、きちんとセリフを覚えており、シーンに合わせた表情を演じられる。

 そしてジーニー役の陣野も、演劇部ということもあり、セリフも仕草も完璧だった。


 そんな二人を前にしたら、千颯はお荷物でしかない。あらためてアラジン役を引き受けたことに後悔した。


「雅もごめん……。こんなんが相手で……」


 雅にも土下座をする。頭上からは、はあーっと大きな溜息が聞こえた。


愛未あいみちゃんと芽依めいちゃんが蛙化した気持ちが分かるようになったわ」

「まさかの雅まで蛙化!?」


 千颯はギョッとした表情で顔を上げる。その表情には、失望や呆れが色濃く映っていた。


 この数日間、雅は相変わらず千颯と距離を取っていたが、いまは別の意味で距離を取られている気がする。


(確かにこれじゃあ蛙化されても仕方ないか……)


 千颯が溜息をつくと、目の前に手が差し出される。呆れ顔を浮かべながらも、雅は千颯を見捨てないでいてくれた。


「せやけど、いい意味で現実を見られたから良かったわ。会われへん期間で変に美化しとったけど、千颯くんはやっぱり千颯くんやね」

「……どういうこと?」

「こっちの話や」


 雅の真意は掴めなかったが、呆れられて捨てられたわけではなさそうだ。千颯は差し伸べられた手を取って立ち上がった。


 パタパタとズボンに付いた埃をはらっていると、脚本を担当している白鳥しらとり羽菜はなが近付いてきた。クラスで三番目に可愛いと言われている美少女だ。


 羽菜は真面目な表情で千颯を凝視する。


「セリフ、覚えられませんか?」


 羽菜に声をかけられた瞬間、千颯は九十度に頭を下げた。


「ごめんなさい! せっかく脚本書いてくれたのに、覚えられなくて本当にごめんなさい!」


 てっきりセリフを覚えられていないこと咎められているのかと思いきや、羽菜はそうじゃないと言わんばかりに首を振った。


「責めているわけではありません。セリフが覚えられないのは、脚本に問題があるのかもしれないです」

「脚本に?」

「はい。長いセリフは覚えるのが大変です。登場シーンの多いアラジンなら余計に」

「まあ、確かに……長いセリフのシーンでは躓くことが多いかも……」

「それならセリフを短くします。短くても意味が伝わるように書き換えます」


 羽菜はスマホを取り出すと、ポチポチとメモをし始めた。それからペコっと頭を下げると、水野の隣でちょこんと体育座りをした。


「あれは、俺をフォローしてくれたのか?」


 羽菜の行動原理が読めずにポカンとする千颯だったが、隣にいた雅が解説してくれた。


「羽菜ちゃんなりに千颯くんを助けてくれたんやない。後でちゃんとお礼言っとき」

「そっか。白鳥さんって結構いい人だね」

「惚れたらあかんで?」

「惚れないよ! そんなことになったら水野の逆鱗に触れる!」


 水野綾斗と白鳥羽菜がいい雰囲気なのは、千颯だって知っている。横取りするつもりは一切ない。むしろ密かに二人の恋路を応援していた。


 千颯のヘマで中断されてしまった読み合わせだが、クラス委員が仕切り直したところで再会する。なんとか役をこなし、千颯は一度舞台から引いた。


 それからジャスミンと侍女が舞台に上がる。侍女に髪を梳かれながら、ジャスミンが心の内を明かすシーンだ。


 雅と愛未が仲睦まじく髪を梳く姿を見て、一部の男子生徒から「ほう……」と感嘆の溜息が漏れた。


「なにあの百合展開、神過ぎるだろ……」

「美少女二人が仲睦まじくしてるのって最高だな。つーかこれ、アラジンいらなくね?」

「俺、今年の文芸部の部誌は、あの二人をモデルにした二次創作を書こうかな」


 盛り上がる男子生徒の会話を聞いて、千颯は拳を握りしめて震えていた。


(あいつら……雅と愛未をそんな目で見やがって! 大体、文化祭の演劇で二次創作ができるってどういうことだよ! …………けど、まあ、万が一そんな本が出たら売り上げに貢献してあげないこともないけど)


 京都駅で由紀にこっそり囁かれた告白のせいで、不覚にも百合属性に目覚めてしまった千颯。そんな彼にとっても、二人が仲良くしているのは美味しい展開だった。


 結局その日の読み合わせは、前半のみで終了となった。劇の見せ場である絨毯で飛び回るシーンは別日に行なうことになった。


 後半のセリフがあやふやだった千颯は、ほっと胸を撫でおろしたのであった。

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