第86話 様子がおかしい

 放課後。千颯ちはやはそそくさと帰り支度をするみやびを呼び止めた。


「雅、一緒に帰ろー」


 ただ声をかけただけなのに、雅はビクッと肩を飛び上がらせる。そのままギギギっと錆びた機械のようなぎこちない動きで振り返った。


「そ、そやね。帰ろかぁ」


 笑顔を浮かべているものの、どこか表情が固い。千颯は疑いの眼差しで、雅をじーっと凝視した。


「なんかさ、最近変じゃない?」

「なんにも変やないで。いつも通りや」

「そうは見えないけど……」


 見つめられた雅は、みるみる顔が赤くなっていく。それから千颯を追い払うようにパシンと肩を軽く叩いた。


「そんな見んといて!」

「怒らなくたっていいじゃん」


 ただ見ていただけだけで叩かれるなんて、まったく酷い扱いである。

 そのまま雅は、千颯から逃げるように愛未あいみに駆け寄った。


「愛未ちゃん、一緒に帰ろかぁ」

「え? うん、まあ、いいけど」


 切羽詰まったような頼み方をする雅を見て、愛未は不思議そうに千颯と雅を交互に見つめた。


*・*・*


 学校を出て、駅までの道のりを歩く。


 いつもは横並びでお喋りしながら歩いていたが、この日は千颯と愛未が前を歩き、雅が後から付いてくる状態になっていた。距離を置かれてるのがバレバレだ。


 愛未も不審に思ったのか、こそっと事情を尋ねてきた。


「雅ちゃん、どうしたの?」

「分からない。夏休みが終わってから変なんだよね。どこかよそよそしいというか……」

「京都で何かあった? 私達が帰った後に」


 何かあったかと聞かれれば、あった。雅の友達と再会して、誤解を解いた。


 だけどその出来事と距離を置かれている理由は、どうにも結びつかない。千颯が言い淀んでいると、愛未が真面目な表情で顔を覗き込んできた。


「もしかして、一線超えた?」

「なっ……」


 突如飛び出した危険ワードに千颯は顔を真っ赤にする。


「ないないない! 絶対ない!」


 両手を振りながら全力で否定する千颯を見て、愛未はクスっと笑う。


「千颯くん、その反応って『自分は経験ありません』って宣言しているようなものだよ?」

「うっ……」


 痛いところを突かれて、千颯は胸を押さえる。事実そうなのだけれど、好きな子から指摘されると情けない気分になった。


(まあ、ヤリチンと思われるよりは百倍マシなんだけど、さ……)


 千颯の微妙な男心を知ってか知らずか、愛未は口元に手を添えながら妖艶に微笑んだ。


「まあ、そっちの方が都合良いんだけどね」

「それはどういう意味?」

「扱いやすくて可愛いってこと」


 可愛いと言われてガックリ肩を落とす。好きな子からの「可愛い」は基本的に誉め言葉と受け取れるが、この文脈では馬鹿にされているとしか思えない。


 自分の不甲斐なさをひしひしと感じて、千颯は小さく溜息をつく。それからささやかに宣言した。


「いつかあなたを見返してやります。可愛いなんて言わせないくらいに」


 悲壮感を漂わせる千颯を見て、愛未はクスっと吹き出した。それからにやりと微笑んだ。


「それは楽しみだ」


 話しが一区切りついたところで、愛未は雅に話題を振る。


「そういえば、ジャスミン役なんて雅ちゃんも大変だね」


 愛未の言葉で、蚊帳の外だった雅が戻ってくる。


「ホンマに厄介なことになったわぁ。頑張って練習せな」


 雅は愛未に対しては普通に接している。やはり警戒されているのは千颯だけらしい。虚しさを感じながらも、女子二人の会話に耳を傾けた。


「雅ちゃんは演劇の経験はないの?」

「ないなぁ。前の学校ではそんなイベントはなかったから」

「そうなんだー。じゃあこれから特訓しないとね。千颯くんと」


 愛未の言葉で、雅の顔があからさまに引き攣る。


「ち、千颯くんと?」

「だってそうでしょ? 二人は主役なんだから。一緒に舞台に上がるシーンも多いんだし、仲良く練習しないとね」


 愛未はわざとらしくにっこり笑う。暗に仲良くしろよと命じているようにも聞こえた。


 確かに、これから劇の練習をするには、この距離感ではやりにくい。どうにかしていつもの雅に戻ってもらいたかった。


 千颯はチラッと雅の表情を伺う。目が合った瞬間、瞬時に逸らされた。


 その様子を見ていた愛未は足を止める。二人を交互に見ながら溜息をついたかと思うと、わざとらしく声を上げた。


「あ、いっけなーい。学校に忘れ物しちゃった」

「え?」

「私、取りに戻るから、二人は先に帰ってて。じゃあねー」


 愛未はくるりと踵を返して、もと来た道を早足で歩いて行った。


「あ、愛未ちゃん、待って! うちを一人にせんといてー!」


 遠ざかる愛未に手を伸ばすも、戻ってくることはない。愛未は振り返りもせずに、ずんずん先に進んでいった。


「あれは絶対わざとや……。忘れ物なんて絶対嘘や……」


 雅は俯きながら、ボソボソと愛未への恨みつらみを並べている。


 こんなに取り乱している雅を見たのは初めてだ。千颯は戸惑いながらも、雅に話しかけた。


「まあ、愛未も愛未なりに、俺たちの関係がおかしいことを察してくれたんだよ。だから二人で話す時間をくれたんだと思うよ」

「それは……分かるけど……」


 雅は千颯と視線を合わせることなく、早足で駅までの道を進む。千颯は急いでその後を追いかけた。


「ちょっと待ってよ! というかさ、京都で話したこと忘れたの?」

「話したことって?」

「本音で話してって言ったじゃん」


 京都駅で雅と別れる直前、千颯は雅に伝えた。自分の前では変に気を遣わず本音で話してほしいと。てっきり承諾してくれたとばかり思っていたが、いまの様子を見る限り伝わっているようには思えない。


「忘れたわけやない。うちも千颯くんとは本音で話そうと思っとるよ」

「じゃあ、どうして避けてるのか教えてよ」

「それは言われへん」

「なんで? 俺が傷つくかもとかは考えなくていいから」

「そうやない。これはうちの問題やから」


 雅は頑なに口を閉ざす。こうもあからさまに拒否されると、それ以上立ち入ることを憚られた。


 千颯が黙り込むと、雅はチラチラと様子を伺いながら告げる。


「本音で話すけど、内緒だってあってええやん。なんでもかんでも聞き出そうとせんといて」

「ごめん……」


 雅から強めに注意をされて、千颯は咄嗟に謝る。たしかに本音を話せと無理やり迫るのは違うような気もしてきた。


 千颯がシュンとしているのに気付いた雅は、フォローするように言葉を続ける。


「別に千颯くんのことを嫌いになって避けとるわけやないから。それは本音や。ただ……」

「ただ?」


 雅は「ぐうう」と悶えるように頭を抱えてから、真っ赤な顔で告げた。


「千颯くんとどんな距離感で接すればいいか分からなくなっただけや。その……会われへん間で変な夢も見るし……」

「夢?」


 千颯は考える。そしてピンときた。


「それってエロイ夢?」


 直球に尋ねる千颯を見て、雅はみるみるうちに顔が赤くなる。


「はあ? 何言って……」


 真っ赤な顔で口をパクパクする雅を見ながら、千颯は合点がいったように何度も頷いた。


「なるほど、ようやく理解した。要するに雅は、俺とエロイ事をする夢を見て、どう接していいか分からなくなったってことか。あるある、そういうこと」


「ちょっと……何勝手に納得しとるん?」


「そういう夢を見た後って、罪悪感が半端なくてどう接していいか分からなくなるよね。でも大丈夫。俺はそれくらいじゃ引いたりしないから。俺だって雅が夢に出てきたことあるし」


「なにしれっと暴露しとるん? 信じられへん!」


 雅は顔を真っ赤にしながら本格的に怒り出す。ムキになる雅を宥めるように、千颯はうやうやしく頭を下げた。


「夢の中の俺が無礼を働いたようですいません。だけど現実世界の俺は、常識的な距離感で接するのでご安心を」


 笑いを堪えている千颯とは対照的に、雅は俯きながらプルプルと震える。


「ホンマにっ……この男は……」


 マズイ、揶揄い過ぎたと息を飲んだが、時すでに遅し。雅はプイっとそっぽを向きながら、ずんずんと歩き出した。


「もう知らん! 帰る!」


 どうやら本格的に怒らせてしまったらしい。千颯は慌てて雅の後を追いかけた。


「ごめんって! 待ってよ!」

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