第82話 あの日伝えられなかったこと

 カフェで小一時間ほど待っていると、私服に着替えた由紀ゆき千颯ちはやたちのもとにやって来た。


「バイト終わったけど……」


 由紀は依然として冷ややかな表情を浮かべている。そんな由紀の態度に戸惑いながらも、みやびは立ち上がった。


「時間作ってくれてありがとう」

「まあ、別に予定もなかったしね。ここじゃなんだから外で話そう」


 由紀は店の外を指さすと、スタスタと席から離れていった。お会計を済ませてから、千颯たちも由紀の後を追った。


 三人は桂川沿いを歩く。ゆったりと流れる大きな川は、陽の光が反射してキラキラと輝いていた。


 由紀に続いて歩いていると、川沿いに設置されたベンチの前で足を止める。由紀はベンチに座りながら、素っ気ない口調で尋ねた。


「で、話ってなに? 暑いから簡潔に話してね」

「うん。分かった」


 雅は戸惑いながらも、ベンチに腰掛ける。千颯はベンチから少し離れた場所に移動して、二人の様子を見守っていた。


 簡潔に話してと言われたせいか、雅はすぐに本題に入った。


「由紀、あの時は本当にごめんなさい」


 雅は頭を下げる。その姿を、由紀は冷ややかな視線で見下ろしていた。


「謝罪とか求めてないんだけど」

「でも、うちは由紀を傷つけたから……」

「じゃあ聞くけどさ、あの時私がなんで傷ついたと思う?」

「そ、それは……」


 由紀から真っすぐ見つめられて、雅は怯む。強い視線に耐えられなくなったのか、雅は両手を強く握りながら俯いた。


「……クラスのみんなと一緒になって、由紀の悪口を言ったから」


 雅の言葉を聞いた由紀は、呆れたように溜息をついた。


「全然分かってないじゃん」

「え?」

「言っとくけど、別に私は悪口を言われたくらいじゃ傷つかないよ。嫌われても仕方ない態度を取っている自覚はあるし、どうでもいい人に好かれようとする努力もしてないし、するつもりもない」


 きっぱり言い切る由紀の言葉に、雅は面食らっていた。


「そんなら、どうして……」


 顔を上げた雅が尋ねると、由紀は目を伏せる。そして淡々とした口調で心の内を明かした。


「友達だと思ってたのに、そうじゃないと気付かされたから」

「え?」

「だって雅は、先生から言われて私と仲良くしてたんでしょ? そんなのただの仕事じゃん。気を遣って余りものとペアを組む先生と一緒。そんなのは友達とは呼べない」


 そこまで聞いて、由紀が失望した理由が分かった。由紀は雅との間に生まれた友情が偽物だと気付いて、ショックを受けたんだ。


 友達だと思っていた相手が、本当はそうではなかったとなれば裏切られた気分になる。それはきっと、関係の薄い人から悪口を言われるよりもキツイことだろう。


 由紀の本音を知った雅は、目を大きく見開きながら固まる。何度も瞬きをしてから、ベンチから立ち上がった。


 由紀の目の前に移動すると、小さな手で由紀の両肩を掴む。そしてはっきりと伝えた。


「何言うとるん? 由紀はうちの大事な友達や」


 その言葉で由紀は固まる。だけどすぐに雅の言葉を受け入れることはなかった。


「嘘。どうせ私のことを余所者だと思ってたんでしょ?」


 雅は一瞬怯む。だけど、はぐらかすことはしなかった。


「そやね。確かにうちもはじめは由紀のこと余所者やと思ってた。余所者だからクラスに馴染めなくても仕方ないと思ってた」

「ほら、やっぱり」


 由紀はバカにするように鼻で笑う。それでも雅は引かなかった。


「だけど、それだけやない! 由紀に髪をいじってもらって、可愛くしてもらえて、ほんまに嬉しかった。由紀のおかげでうちは前に進めた。あの日から、うちはずっと由紀が大好きやった! その気持ちに嘘はない!」


 由紀は驚いたように固まる。色素の薄い瞳は、雅の真意を確かめるかのように真っすぐ見つめていた。


「……仕方なく付き合ってたんじゃないの?」

「そんなわけないやろ! 嫌やったら毎日のように放課後付き合わん! 由紀といる時間が楽しかったから、一緒にいたんや!」


 必死で気持ちを伝える雅は、まったく笑っていない。真剣な表情で、由紀の瞳を見つめていた。


「何度でも言う。由紀はうちの大事な友達や! そこに建前なんてない!」


 興奮気味に捲し立てる雅の肩は、上下に揺れていた。息も少し上がっている。飄々とした態度で笑顔を浮かべる雅は、ここにはいなかった。


 その態度で、ようやく由紀の心が動いた。


「じゃあ、クラスの子に言ってたのは……」


 由紀が尋ねると、雅はきっぱり言い切った。


「あれは建前や!」


 自ら建前だと言い切る雅。その反応は妙におかしかった。


 由紀も同じことを思ったようで、真面目な表情が少しずつ崩れていく。口元に手をを添えて、堪えるように笑った。


「あーあ、なるほど。そっちが建前だったんだ……」


 由紀はクスクスと笑っている。笑いが収まって顔を上げた時、由紀の表情から毒気が抜けていた。


「京都人って、めんどくさいね」


 由紀の言葉で雅は吹き出すように笑う。


「そんなん偏見やわぁ」


 二人の間に温かな空気が流れる。穏やかな表情で笑い合う二人を見て、千颯はホッと安堵した。


 それから由紀は、雅の髪に触れる。


「髪、綺麗に結べるようになったんだね。前は三つ編みだってろくにできなかったのに」

「由紀がいなくなってから猛特訓したんよ。ヘアアレンジの動画を何十回も見ながらね」

「へー、偉いじゃん」

「この髪型をしてる時が、一番可愛く見えるからなぁ」

「自分で言っちゃうんだ。ウケる……」


 由紀は再びクスクスと笑う。一方雅は、本音を晒しすぎて恥ずかしそうに俯いていた。


 ほんのり頬を赤らめる雅を見つめながら、由紀は穏やかな表情で呟いた。


「あーあ、やっと雅とちゃんと話せた気がする」

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