第78話 井の中の蛙/雅side③

 あの日から由紀ゆきとは教室でもよく話すようになった。みやびと打ち解けたことで、由紀はクラスで孤立することはなくなった。


 とはいえ、他のクラスメイトはいまだに由紀と距離を取っている。クラス全員と打ち解けるのは、簡単なことではなさそうだ。


 何年間も同じ環境下で過ごしてきたクラスメイトからすれば、外部からやって来た由紀はどうみても異質な存在だ。警戒するのも仕方ないことだと思っていた。


 それに由紀は、思ったことをストレートに伝える癖がある。そうした言動も周りから敬遠される要因になっていた。


 雅もはじめは由紀の言葉にグサッと来ることもあったけど、しばらく接しているうちにそうした言動にも慣れていった。


 由紀と関わるようになって約1ヶ月。放課後に由紀に髪をいじられるのも恒例になっていた。


 由紀は雅の髪を結いながら、照れた表情で明かした。


「私ね、将来は美容系の仕事に就きたいんだ」


 夢を語る由紀は、いつも以上に眩しく見えた。だからこそ、応援したくなった。


「由紀ならなれる! うちが保証する!」


 笑顔で応援すると、由紀は恥ずかしそうに微笑んだ。


「ありがと」


 由紀がクラスのみんなから避けられても、自分が傍にいればいい。雅はそう思っていた。気付けば由紀は、大切な友達になっていた。


*・*・*


 そんな穏やかな日々も、ある事件がきっかけで崩れ去ることになる。


 放課後、雅はいつものように教室で由紀を待つ。由紀はホームルームの直後に先生に呼ばれて職員室へ行っていた。


 椅子に座って由紀を待っていると、教室に残っていたクラスメイト達が雅のもとにやって来た。


「雅ちゃんも大変やなぁ」


 一人の女子生徒が同情するように雅を見つめる。


「大変って何が?」

「倉科さんのことや。聞いたで? 先生から倉科さんと仲良くするように言われたんやろ」


 彼女の言葉で、自分が担任から相談されて由紀と関わり持ち始めたことを思い出した。そんな話、いまのいままで忘れていた。


 由紀と関わっていたのは義務感からではない。いまは自分の意思で由紀と関わりを持っていた。


 しかし、そんな事情を知らないクラスメイトは、口々に雅を同情する。


「委員長やからって、そんな面倒ごと押し付けられてもなぁ」

「倉科さんって物言いきついし、雅ちゃんも苦労してるんやないの?」

「うちらで良ければ、なんでも相談してなぁ」


 やはりと言うべきか、彼女たちは由紀に対して批判的だ。由紀のことを理解すらしようとしない彼女たちに、ちょっと腹が立った。


 だけど彼女たちは、ただ由紀を悪者にしたくて言っているわけではないことも理解できる。小中高と共に過ごしてきた子たちだから、気心は知れている。彼女たちは単純に雅を心配して声をかけてくれたのだろう。


 そんな事情が分かっていたからこそ、邪見に扱うことはできなかった。


 それにこの学園で上手くやるには、波風立てないことが一番大事だ。保身のためにも、雅は彼女たちに調子を合わせた。


「心配してくれてありがとう。たしかに倉科さんは余所さんやし、ちょっと物言いきついところあるけど、うちは委員長やからみんなと仲良くせなあかんからねぇ」


 彼女たちは「雅ちゃんは優しいなぁ」「尊敬するわぁ」と感心する。穏便に対処できたことに雅はほっとした。


 しかし、教室の扉に視線を向けた瞬間、雅は凍り付いた。


「由紀……」


 由紀は扉の前に佇み、冷めた視線で雅を見つめていた。目が合うと、由紀は静かにその場から去っていった。


(まさか、いまの会話聞かれた?)


 心配するクラスメイトを適当にあしらってから、雅は由紀を追いかけた。

 廊下を早足で歩く由紀。その背中を走って追いかけた。


「待って、由紀!」


 ようやく追いついて腕を掴むと、勢いよく振りほどかれた。そして背筋が凍るような冷たい視線を向けられる。


 軽蔑したように見下ろされた後、由紀は低い声で呟いた。


「仕事だったんだね」

「え?」

「先生から頼まれた仕事だったから、私と仲良くしてたんだね」

「そうやない!」


 雅は咄嗟に否定する。たしかにきっかけは先生からの相談だった。だけど由紀と関わり続けたのは、紛れもなく自分の意思だ。


 そう伝えようとしたところ、由紀が先に口を開いた。


「どうせ雅も、私のことを余所者だと思ってたんでしょ?」

「思ってへん!」


 それは嘘だ。心のどこかでは由紀のことを余所者とカテゴライズしていた。クラスのみんなと同じように。


 もちろん見下していたわけではない。だけど、生まれも育ちも違う由紀が、周囲から距離を置かれてしまうのは仕方ないことだと思っていた。


 由紀の誤解を解くために、雅は笑う。悪意がないことを示したかった。


「余所者なんて思ってへん。うちは純粋に由紀と仲良くなりたかったんや」


 角を立てないように、穏やかに伝える。しかしその言葉は届かなかった。

 由紀は冷ややかな視線で雅を見下ろす。そして低い声で言い放った。


「雅の笑顔は信用できない。お腹の中では何を考えているか分からなくて、気持ち悪い」


 鋭利な刃物のような言葉を突きさすと、由紀はその場から去っていった。

 遠ざかる由紀の背中を見つめながら、雅は思った。


(うち最低や。大事な友達を傷つけた……)


*・*・*


 それから1ヶ月ほど経った頃、由紀は学園を去った。


 理由は分からない。あの日以来、由紀から避けられていて、話しかけることすらできなかったからだ。


 結局最後まで、本当のことを伝えられずにいた。謝ることもできなかった。

 それがずっと心残りだった。


(由紀、いまごろ何してはるんやろか)


 由紀に教えてもらった髪型を練習しながら、何度も彼女のことを思い出していた。


*・*・*


 季節は流れ、冬が始まる。ちょうどその頃、父の東京転勤が決まった。


 当初の予定では、父だけが東京に行くことになっていた。だけど、転勤の日が近付くにつれて、こんな風に思うようになった。


(これは変わるチャンスなのかもしれない)


 いままでの自分は、狭い世界の常識がすべてだと思っていた。常識にとらわれて、流されたせいで、大事な友達を傷つけた。


 だけど、狭い世界から抜け出せば、変われるような気がした。いろんな人と関わって、いろんな考えに触れる。そうすれば、いまとは違った自分になれるような気がした。


 由紀との一件があってから、雅はずっと思っていた。いまの自分は本当の意味で優しい人間ではない。優しいふりをしているだけのただの偽善者だ。


 そんな醜い自分だけど、凝り固まった考えを捨てて、いろんな人を受け入れられるようになれば、本当の意味で優しい人間になれる気がした。


 反対されるのは分かっていた。それでも雅は、家族に東京に行きたいと打ち明けた。


 案の定、父と兄からは猛反対された。「わざわざ転校してまですることやない」「東京に行っても苦労するだけや」と散々言われた。


 二人が自分のことを思って言ってくれていることは分かっている。だけど簡単には諦めたくなかった。


 すると、それまで静観していた母が話に加わる。


「ええんやないですか?」


 その言葉で二人はぴたりと反論を止める。母の真意を探るように、じっと言葉を待っていた。


 母は淡々と告げた。


「広い世界を知ることも大事なことや。それがあんたのためになるんやったら、お母さんは応援するで」


 散々反対していた二人だったが、お母さんの一声で東京行きが決まった。


 ――そして高校2年の春、雅は千颯ちはやと出会った。

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