第77話 井の中の蛙/雅side②
髪いじらせてよ。そう告げられた日の放課後、帰り支度をしていた
「美術の時間にした約束、いましてもいい?」
突然の言葉に雅は驚く。
「え? いま?」
「うん。もしかして予定あったりする?」
「別にあらへんけど……」
茶道部は今日はお休みだ。この後は、普通に帰宅するだけだった。
予定がないと知ると、由紀はふっと口元を緩めた。
「良かった」
クラスメイトが教室から立ち去るのを待ってから、由紀は窓際の席を指さす。
「そこ、座って」
雅は警戒しながらも、由紀に促されるまま席に着いた。由紀は雅の後ろにまわるとそっと髪に触れる。それから、スルスルとゴムを解いた。
両サイドのゴムを解かれて、ふわりと長い髪が広がる。それから由紀は櫛を取り出して、ゆっくりと雅の髪を梳かしはじめた。その手付きは、自分で髪を梳かすよりもずっと丁寧だった。
雅は後ろの様子をチラチラ伺う。由紀は穏やかな表情で髪を梳かしていた。
窓の外から差し込んだ夕日が、由紀の頬を照らす。その顔は、まるで王子様のように美しい。雅は鼓動が高鳴るのを感じながら、されるがままに髪を梳かされていた。
教室の外からは、運動部の掛け声と吹奏楽部の演奏が聞こえる。他の生徒は当たり前のように過ごしている中、教室で二人きりで髪を梳かしているというのは異様な光景に思えた。
「相良さんって、髪綺麗だね」
「そ、そう?」
「うん。すごく触り心地がいい」
由紀はふわりと口元を緩める。その笑顔を直視しただけで、なぜか顔を熱くなった。
髪を梳かし終えると、由紀はポーチを取り出す。そこからヘアクリップとゴムを取り出すと、もう一度雅の髪に触れた。
それから髪を分けたり、結んだり、くるくる巻いたりしながら、まとめ髪を作っていく。しばらくすると、由紀は「できた」と呟いた。
どうやら髪が完成したらしいけど、自分ではどうなっているのか確認できない。すると由紀は、スマホを取り出して雅の真横から写真を撮った。
「どう?」
由紀は写真を見せる。そこに写っていた自分を見て驚いた。
「この髪どうなっとるん?」
ぱっと見は、低い位置でまとめたシニオンだけど、よく見ると毛束をくるくると巻き込んでいる。まとめた部分の上部も複雑に絡み合っていた。
いつもの地味なおさげとは異なり、上品かつ華やかにまとめられている。多分この髪型で着物を着たら、凄く映える。感動している雅に、由紀が告げた。
「これはギブソンタックっていう髪型だよ。慣れれば簡単にできる」
「仰々しい名前やなぁ」
「ふふ、たしかにそうかも」
とてもじゃないが自分には真似できないと思いながらも、短時間でセットした由紀に感心していた。
「すごいなぁ。倉科さん、こんな特技あったんや」
素直に賞賛すると、由紀は嬉しそうに微笑んだ。それからポーチからいくつかのコスメを取り出す。
「せっかくだしさ、メイクもしてみようよ」
「でも、校則違反じゃ……」
「あとは帰るだけなんだし、大丈夫でしょ」
由紀に促されるまま、メイクも施してもらった。ブラウンのアイラインを引いて、マスカラを塗って、淡いピンクのリップを付ける。
由紀から鏡を手渡され、自分の顔を見た時、先ほどよりも大きな衝撃を受けた。
「これがうち? 大人っぽくなった気がするわぁ」
鏡に映っていたのは、地味な自分ではない。キラキラと輝く、垢抜けた女の子だった。
雅の反応を見て、由紀は満足げに微笑む。
「やっぱり思った通り。磨けば光る原石だった」
可愛くなった自分を見て、自信が沸いた。いままではおしゃれなんて興味ないと切り捨てていたけど、由紀に可愛くしてもらったことで考えが変わった。
おしゃれは誰かのためだけにするのではない。自分自身を前向きな気持ちにするためにするものだということに。
雅はあらためて由紀と向き合う。
「倉科さん、よかったらこれからも、うちにいろいろ教えてくれへんかな?」
すると彼女は、目を細めて笑った。
「由紀」
「え?」
「これからは由紀って呼んで。私も雅って呼ぶから」
そう言い残すと、由紀は荷物を手早くまとめて教室から出て行った。
*・*・*
夕暮れに染まる中、雅は家までの道を歩く。おしゃれをしているせいか、いつもより顔を上げて歩けている気がする。背筋もしゃんと伸びている。ただ家に向かっているだけなのに、なんだか心が弾んだ。
甘夏屋の前を通りかかったとき、偶然表に出てきた
「おー! 雅、おかえり!」
宗司は人懐っこい笑顔を浮かべながら手を振る。
「宗ちゃん……」
宗司の笑顔を見た瞬間、胸の奥がキリっと痛んだ。封じ込んでいた恋心が蘇ってきそうになった。
雅にとって宗司は、憧れの対象だった。強くて、明るくて、カッコ良くて、昔から大好きだった。自分も宗司みたいになりたいとずっと思っていた。
恋心をはっきり自覚したのは、小学4年生の時だ。太陽のようにいつも明るく笑っている宗司が、泣いている姿を見たのがきっかけだった。
それは宗司の母親である
当時高校生だった宗司は、斎場の隅で声を押し殺しながら泣いていた。誰にも見つからないようにひっそりと。
気丈に振舞っていた宗司の弱い一面を見て、自分が支えてあげたいと胸に誓ったのを覚えている。
中二の夏に想いの丈を全部ぶつけたが、あっさりと振られた。いつものように笑ってはぐらかすのではなく、真剣な表情で。その瞬間、「ああ、これはどう足掻いても無理やな」と悟った。
フラれた気まずさから、しばらくは宗司を避けていた。宗司は微塵も気にしていない様子だけど。
雅が近付くと、宗司は目を丸くしながら雅を見つめた。
「なんや、今日は綺麗やなぁ」
宗司の何気ない言葉にズキっと胸が痛む。屈託のない笑顔を浮かべる宗司を、雅は軽く睨みつけた。
「フった相手にそんなん言うんは、性質悪いで?」
宗司は一瞬驚いた表情をしたが、すぐにいつものように笑った。
「可愛い妹がおめかししとるから褒めただけや」
「宗ちゃんにとっては、うちはただの妹やからね」
「そやで。朔ちゃんも雅も俺の大事な家族や」
またもや脈なしであることを思い知らされた。もう追いかけるのはやめようと決めたはずなのに、優しくされるとやっぱり意識してしまう。
落ち込む雅に、宗司は告げた。
「きっと雅には、俺なんかよりもいい人が現れる。こんな風に綺麗にしとったら、すぐに彼氏もできるやろ」
宗司が励ましてくれているのは何となく伝わった。でもその優しさは、ちょっとだけ辛い。
いつもだったら微妙な空気のまま宗司と別れていた。だけど、この日は少し違う。
いつもよりも前向きな気分でいられた。たぶん、おしゃれという魔法がかかっていたからだと思う。
雅は顔を上げて、にっこり笑う。そしてはっきりと言ってやった。
「そやね。いまよりもっと可愛くなって、宗ちゃんを見返したるわ。うちに彼氏ができてから後悔しても遅いで!」
おしゃれして、可愛くなって、自分を変える。そうやって努力した先で、新しい恋を見つけられたらいい。
そして彼氏ができたら、真っ先に宗司に見せびらかしてやりたい。逃した獲物は大きかった、と思ってもらえたら最高だ。
雅の強気な発言を聞いた宗司は、吹き出すように笑う。
「そら、楽しみやわ。彼氏ができたら、俺にも紹介してな」
そう言いながら、宗司は店に戻っていった。
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