第76話 井の中の蛙/雅side①

 相良さがらみやびは狭い世界で生きてきた。同じような価値観の人間に囲まれて、ぬくぬくと穏やかに暮らしていた。


 しっかりものの両親にちょっと過保護な兄、そして和菓子屋で働く優しい親戚たち。その中に溶け込んでいるのはとても居心地が良かった。


 子どもの頃は、その場所こそが世界のすべてだと思い込んでいた。まさに井の中の蛙だ。


 小学校に上がってからも、小さな世界が壊れることはなかった。雅が進学したのは、地元にある小中高一貫の私立校だ。


 両親も、伯父さんも、従妹も、兄も、全員そこに通ってきた。だから雅がそこに通うのも、当然の流れだった。


 お受験の末、無事に合格でき、学園生活が始まった。そこでも同じような価値観の友達がたくさんできた。


 とくに仲が良かったのは、京都市内に店を構える老舗呉服店の娘と扇子屋の娘だった。家が近所で親同士も仲が良かったこともあり、すぐに打ち解けた。


 初等部の頃は分け隔てなくみんなで仲良く過ごしていた。しかし中等部に上がると、カーストのようなものができはじめた。


 判断基準は、家柄、親の職業、住んでいる地域など。本人の実力というよりは、生まれ持った条件で判断されていた。


 老舗和菓子店の孫娘、父親は京都に本社を構える大企業に勤務、住んでいる地域は京都の中心部……。条件が揃っていた雅は、気付いたらカースト上位に君臨していた。


 とはいえ、そのことで威張り散らかすわけではない。ただ、みんながチヤホヤしてくれる環境はとても居心地が良かった。


 何事もなく中等部を卒業し、雅は高等部に進学した。洛中学園はほとんどが中学からの持ち上がりだ。外部からの編入試験は非常に難易度が高く、毎年数名しか入れなかった。


 そんな中、倉科くらしな由紀ゆきが編入してきた。


 中性的な雰囲気を持つ由紀は、クラスでも目立っていた。入学早々からクラスメイトは由紀のことを噂していた。


「あんな綺麗な子、見たことないわぁ」

「どこの子なんやろ」

「外部編入できるなんて、頭がええんやろなぁ」


 期待に満ちた瞳で由紀を見つめる。しかし、自己紹介で由紀が口を開いた瞬間、彼女を見る目が変わった。


「はじめまして。倉科由紀です。高等部から編入してきました。よろしくおねがいします」


 標準語で話す彼女を見て、クラスメイトは瞬時に察した。


(ああ、余所さんや)


 この学園の生徒は内輪では仲がいいが、外の人間には驚くほど冷たい。自分たちのテリトリーを壊されたくないという意識が働いているのだろう。


 そして雅も、クラスメイトと概ね同じ感想を抱いていた。


 羨望の眼差しで見られていた由紀は、あっという間にカースト下位に転落した。


 あからさまにいじめられることはなかったけど、彼女と接するときはみんなどこかよそよそしかった。由紀は次第にクラスで浮いた存在になっていた。


(外部編入で地方出身。この環境じゃあ、ああなるのもしゃあないなぁ)


 一匹狼のごとく一人で行動をする由紀を見て、雅はそう感じていた。


 そんな中、雅は担任からある相談を持ち掛けられる。


「倉科さんとも仲ようしたってな」


 それは雅がクラス委員だったことも影響していたのだろう。クラスで浮いている由紀を仲間に入れてあげてほしいと相談を持ち掛けられた。


 雅はもともと責任感が強かったこともあり、担任からの依頼を引き受けた。

 その日から、雅は由紀を気にかけるようになった。


 美術の時間。自由にペアを作って似顔絵を描く授業で、由紀はあぶれていた。そこで雅は、由紀に近付く。


「倉科さん、良かったらうちとペアにならん?」


 由紀の警戒心を解くように、にっこり笑いながら誘う。由紀は驚いたように目を見開いていたが、すぐに頷いた。


「いいよ」


 二人は向かい合って似顔絵を描く。由紀の顔を観察していると、あらためて綺麗な子だと感心した。


 すると由紀は、ふと手を止めて雅に話しかけた。


「ねえ、なんで髪型、そんな適当なの?」

「え?」


 雅は咄嗟に髪に触れる。当時の雅は、長い髪を低い位置でおさげにした地味な髪型だった。


 髪型のことをこんな風に直接的に指摘されたのは初めてだ。恥ずかしさを押し殺しながら、雅は笑って見せた。


「うち、髪巻いたりするの苦手なんよ。三つ編みとか編み込みとかもできひんくて」


 それは本当だった。ヘアアレンジが上手く出来なくて、結局一番簡単なおさげにしていた。


 垢抜けてないのは自分でも分かっている。だけど今更可愛くなろうとは思わなかった。


 学校では十分チヤホヤされている。それに、中二の夏に宗司そうじにフラれてからは、恋愛にも消極的になっていた。異性からモテたいとは微塵も思っていない。


 そんな事情を隠しつつ、適当にやり過ごそうとしていると、由紀は小さく溜息をついた。


「もったいない。髪型をちゃんとすれば、もっと可愛くなるのに」


 それは侮辱というよりは落胆に近い言葉に思えた。


 ここまで踏み込んだ指摘をされるとは思わなかった。ちょっと失礼じゃないか、という感情を抱きながらも雅は笑顔を崩さなかった。


「そやねー。もっとおしゃれの勉強せなあかんねー」


 これでこの話は終わりにしようと思ったところ、由紀は思いがけない提案をした。


「ねえ、後でさ、髪いじらせてよ」

「え……?」


 雅は固まる。真っすぐこちらを見つめる色素の薄い瞳から目が離せなかった。

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