第75話 全部見せてよ

「どないしたんですか? また戻ってきて」


 帰ったはずの千颯ちはやが再びやって来て、雅母は不思議そうに目を丸くした。


「すいません。ご迷惑は重々承知ですが、もう一泊させてもらえませんか?」


 気まずさを感じながらも、おずおずとお願いする。戸惑っていた雅母だったが、みやびから「お願い!」と頼み込まれて納得してくれた。


「まあ、構いまへんけど……」

「ありがとうございます!」


 千颯は深々とお辞儀をした。


 それから雅は「荷物置いてくるわ」と言いながら自分の部屋に向かう。その背中を眺めながらリビングに向かおうとしたところで、雅母に呼び止められた。


「千颯くん。お願いしたいことがあるんやけど」

「はい。なんでしょう?」


 突然呼び止められたことに驚きつつも、話を聞く。すると雅母は、スマホを取り出した。


「連絡先を教えてくれまへんか?」

「え?」


 雅母との連絡先交換。この展開は予想していなかった。


「いいですけど、なんで俺と?」


 さすがに雅母とメル友になるなんてことはないだろう。理由が分からずにいると、雅母は至極まっとうな理由を明かした。


「何かあった時のために連絡できる手段があったほうが便利やないですか。千颯くんは雅とお付き合いしているようなんで」

「ああ、なるほど。緊急連絡先ってことですね」


 雅母の意図を理解した千颯は、スマホを取り出した。


「LIENでいいですか?」

「はい。構いまへん」


 お互いの連絡先を交換したところで、ガラガラと音を立てて玄関が開いた。


「ただいまー」


 気だるげな表情で帰ってきたのは朔真さくまだった。朔真は千颯の姿を見た途端、血相を変えて後ろに跳び撥ねた。


「はあ? なんでまだおるん? もう帰ったはずやろ」

「それが、わけあってもう一泊させてもらうことになりまして」


 その言葉を聞いた瞬間、朔真は絶望したような表情を浮かべた。そして、雅母と千颯が連絡先を交換していることに気付き、さらに絶望する。


「なんでおかんまで懐柔しとるんや……。相良家まるごと手中に収める気か? ホンマ恐ろしい男やわ……」


 わなわなと震える朔真。そのままくるっと方向転換し、玄関を出る。


「僕はあんたのハーレムには絶対入らんからなー!」


 そう言い残して、朔真はダッシュで家から飛び出していった。

 残された雅母は怪訝そうに首を傾げる。


「あの子は一体、何を言ってるんでしょう?」

「さあ?」


 結局最後まで、朔真の誤解は解けなかった。


*・*・*


 雅母のご厚意に甘えて、もう一泊させてもらうことになった。雅母の手料理を食べ、風呂に入り、部屋に戻る。だけどこのまま眠るわけにはいかなかった。雅と話をするためにわざわざ京都に残ったのだから。


「話に行くか」


 自らを奮い立たせるように呟いた後、千颯は雅の部屋に向かった。


「雅、入っていもいい?」


 部屋の前で声をかけると、襖が開いて髪を下ろした雅が顔を出した。


「なに?」


 雅は警戒心を滲ませながら千颯を見つめていた。夜に男が部屋に尋ねてきたのだから、そういう反応になるのも無理はない。


「話がしたくて来た」


 雅は少し考えた後、千颯を部屋に招いた。


「入って」


 促されるまま、雅の部屋にお邪魔する。雅の部屋は予想していた通り片付いていた。


 寝る直前だったのか、畳の上には布団が敷かれている。その上には、見覚えのあるぬいぐるみがあった。


「あのペンギン……」


 たしかあれは、原宿に行ったときに千颯がプレゼントしたものだ。


 雅は慌ててペンギンを布団の中に隠す。しかし一度見てしまった以上、なかったことにはできない。


「京都まで持ってきてたんだ」


 そう指摘すると、雅は真っ赤な顔で言い訳をした。


「仕方ないやん。東京の家に置いていくのは可哀そうやったから」


 可哀そう。ぬいぐるみにそんな感想を持つのは可愛らしい。千颯は思わず笑ってしまった。


 そしてペンギンが布団に置かれていたことから、ある可能性にも気付く。


「もしかして、一緒に寝てたりするの?」

「なっ、なんで……」

「だって布団の上にいるから」


 千颯から指摘されると、雅は顔を真っ赤にしながら「んーーっ!」と言葉にならない声を上げる。そのまま布団にダイブして、頭から掛布団を被った。


 そのまま悶えるようにもそもそと動く。布団の中から「しにたい……」と弱々しい声が聞こえた。


「雅さーん、大丈夫ですかー?」


 千颯が生存確認をすると、雅はバッと布団から顔を出した。そして潤んだ瞳で千颯を睨む。


「そやよ、悪い? 子どもっぽいってバカにしたいんか?」


 ムキになって怒る雅を見て、千颯は率直に感想を伝えた。


「違うよ。大事にしてくれて嬉しいってこと」


 顔が緩んでいるのを自覚しながらそう伝えると、雅に部屋から追い出されそうになった。布団から脱出した雅は、ぐいぐいと千颯の背中を押す。


「もー! うちをおちょくりに来たんやったら帰って!」


 その言葉で、千颯は本来の目的を思い出す。ここに来たのは雅が落ち込んでいる理由を知るためだ。千颯は意を決して尋ねた。


「昼に落ち込んでたのって、ユニスタで会った由紀さんが原因だよね? あの子と何かあったの?」


 回りくどい言い方はせずストレートに尋ねると、雅はスッと表情を消した。だけどすぐにいつもの笑顔を浮かべた。


「別になんもあらへんよ。昔のクラスメイトやっただけ」


 この場に及んでもまだごまかそうとする雅を見て、少し腹が立った。千颯は昼間、由紀に告げられたことを正直に話した。


「由紀さんに言われたんだ。雅はお腹の中では何を考えてるか分からないって」


 その言葉で、雅は笑顔を引っ込めた。


「そっか……由紀、うちのこと、そんな風に……」


 あからさまにショックを受ける雅を見て、しまったと焦った。この話を雅に直接伝えるのは、あまりに配慮がなさすぎる。


「ごめん……」


 咄嗟に謝ると、雅は首を振った。


「ええよ。そう言われても仕方ないことを、うちはしたんやから……」

「どういうこと?」


 千颯が尋ねると、雅はそっと目を伏せた。


「うちは昔、あの子を傷つけてたんよ」


 傷つけた。その言葉は、どうにも信じがたい。普段の雅は不用意に人を傷つけるタイプには見えなかったからだ。そこには深い事情が隠れているような気がする。


「詳しい話を聞かせてもらうことってできる?」


 雅はふるふると首を振った。


「あんまり人に言える話やない。聞いたら千颯くん、うちのこと軽蔑すると思うから」

「そんなこと……」

「うち、千颯くんには見せられるとこしか見せてへんもん。本当のうちは、たぶん千颯くんが思ってるのと違う」


 俯いていた雅はゆっくり顔を上げ、力なく笑った。


「千颯くんには嫌われたくない」


 そう話す雅からは、いつもの余裕が消え、いまにも消えてしまいそうなほど弱々しく見えた。


 雅には、自分がまだ知らない一面がある。普段見ているのは、雅のほんの一部分なのかもしれない。由紀の言っていたように、お腹の中では別のことを考えている可能性もある。


 だけど仮にそうだったとして、自分は雅を嫌いになるのだろうか?


 本当の雅がどんな姿であっても、助けられた事実は変わらない。簡単に嫌いになることはないだろう。


 作り笑いを浮かべる雅を真っすぐ見据える。そしてありのままの感情を伝えた。


「俺はさ、たとえ雅が人を人とも思わない悪逆非道のサイコパスだったとしても、そう簡単には嫌いにならないと思うよ」


 雅はぽかんと口を上げる。それから目を丸くしながら突っ込む。


「流石にそこまで酷くないわ」

「なら、許容範囲だと思う」


 雅の驚いた顔がおかしくて、千颯は笑う。雅の表情も少し柔らかくなったような気がした。


 たぶん、もう少しで引き出せる。千颯は最後の一押しとばかりに伝えた。


「俺はいままで雅に散々情けないところを見せてきた。それでも雅は引かないでいてくれたじゃん」


 雅の前では、泣いたり、落ち込んだり、ヘマをしたり、散々情けないところを見せてきた。他の女の子だったら蛙化されても仕方ないレベルだ。


 それでも雅は、引かないでいてくれた。なんだかんだ言いながらも、傍に居てくれた。そのことが本当に嬉しかった。


「だからさ、俺にも見せてよ。情けない姿も全部」


 大きく見開いた雅の瞳が、じんわり滲んでいく。ごまかすように目元をゴシゴシと拭ってから、雅は千颯を見つめた。


「たしかに千颯くんにばっかり恥ずかしい思いをさせるのはフェアじゃないなぁ。うちも晒さんと不平等やわぁ」

「その観点では考えてなかったけど、たしかにそうかも……」


 千颯が納得しかけていると、雅は意を決したように話を始めた。


「千颯くん、ちょっとうちの昔話に付き合ってくれる?」

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