第74話 このままじゃ帰れない

 なぎたちと合流してから、5人はユニスタを出た。帰りの新幹線のことを考えると、あまり遅くまでは遊んでいられない。


「あーあ、もう東京に帰るのかー。もっと遊びたかったなー」

「気持ちはわかるけど、いつまでも雅ちゃん家にお世話になっているわけにはいかないからね」

「名残惜しいけど、東京に帰りましょう」


 凪、愛未あいみ芽依めいは横に並んで仲良く会話している。心なしか今朝よりも打ち解けているように見える。もしかしたら別行動していた間に、意気投合したのかもしれない。


 そんな三人の後ろを千颯ちはやみやびが追いかける。隣にいる雅は、感情が抜け落ちたようにぼーっとしていた。


「大丈夫?」


 千颯が声をかけると、雅は驚いたように顔を上げた。そしていつものように明るく笑う。


「ん? 大丈夫、大丈夫。ちょっと疲れたから、喋られへんかっただけ」

「なら、いいけど……」


 笑顔で大丈夫と口にする雅だったけど、どこか取り繕っているように見えた。


 だけどみんなのいる前で先ほどの話を蒸し返すわけにもいかない。結局、それ以上は何も聞けなかった。


 電車を乗り継いで新大阪駅に到着し、券売機に向かった。


 雅は夏休み中は京都の和菓子屋を手伝うらしい。だから東京に帰る千颯たちとは、ここでお別れだ。


 券売機に並びながら、千颯はちらっと雅の様子を伺う。雅はやっぱり感情が抜け落ちたような顔をしていた。


「千颯くん、券売機空いたよ」


 愛未に声をかけられる。


「ああ、うん、分かった……」


 促されるまま券売機に向かい、財布を取り出す。お金を入れる直前に、もう一度雅に視線を送った。


 雅もこちらを見つめている。目が合うと、雅はにっこりと完璧な笑顔を浮かべた。そこで千颯は確信する。


(ダメだ。このままじゃ帰れない)


 千颯はそのまま財布をしまった。その様子を見ていた凪は、怪訝そうに首を傾げる。


「千颯、新幹線って切符買わないと乗れないんだよ?」


 当たり前すぎる指摘をする凪に突っ込む気力もない。凪の言葉をスルーして、雅のもとに向かった。


 千颯は雅の瞳を真っすぐ見つめながら伝える。


「もうちょっと、一緒にいたい」

「へ?」


 相当驚いたのか、雅は素っ頓狂な声を出す。大きな瞳は、ぱちぱちと瞬かせていた。


 一方、千颯の発言を聞いた凪は、両手で口元を覆って目を輝かせている。


「なにこれ? 恋愛ドラマのワンシーン?」


 驚いたのは凪だけでなく、愛未と芽依も目を見開いていた。


「千颯くん、それって一緒に東京に帰らないってこと?」

「京都に残るんですか?」


 みんなが戸惑っているのを感じながら、千颯は自分の意思をはっきり伝えた。


「勝手なこと言ってごめん。だけど雅と二人で話したいことがあるんだ」


 愛未、芽依、凪は顔を見合わせる。突然の申し出に三人とも複雑そうな顔をしていた。


 当然の反応だ。団体行動の輪を乱して、一人で勝手をしようとしているんだから。

 勝手なこと言わないで、と怒られることも覚悟していた。


 すると、愛未がゆっくりと目の前までやって来くる。何を言われるのかと身構えていると、愛未は挑発的な眼差しで千颯の瞳を覗きこんだ。その口元には僅かに笑みが浮かんでいる。


「貸し1ね」

「へ? 貸し?」

「本当は一緒に帰りたかったけど、今回は大目に見てあげる。だから貸し1」

「その貸しはどうすれば返せるの?」

「それは追々考える」


 愛未の言葉に戸惑っていると、芽依もおずおずと手を挙げた。


「わ、私も貸し1でお願いします……」

「芽依ちゃんまで?」

「はい。だから今日はここでお別れします」


 謎の流れができたところで、凪も乗ってきた。


「いいねえ! 面白そう! それじゃあ私も貸し1」

「お前もかよ!」

「だって千颯が一人で京都に残るなんてことになったら、お母さんたちビックリするでしょ? 口裏合わせておくから私にも貸し1で」


 気付けば、借り3になっていた千颯。だけどそれくらいで済むなら安いものだ。


「分かった。この借りはちゃんと返す」


 そう宣言すると、三人は満足そうに笑った。


*・*・*


「それじゃあね、千颯くん」

「お兄さん、いろいろありがとうございました」

「じゃあねー、千颯! 雅さんと仲良くね」


 切符を買った三人は、ひらひらと手を振りながら改札に入っていく。千颯は勝手を許してくれた三人に感謝しながら、姿が見えなくなるまで手を振り返した。


 完全にみんなが見えなくなったタイミングで、改めて雅と向き合う。雅はいまだに呆然と固まっていた。


「そういうわけだから、ちょっと時間を貰えるかな?」


 そう声をかけると、雅はハッと我に返った。


「何言うとるん? はよ帰りや。まだ間に合うやろ!」


 雅はぐいぐいと千颯の背中を押して、券売機に誘導する。しかし千颯は動かなかった。


「やだ。帰らない」

「なに子どもみたいなこと言うとるん? はよ帰り!」


 雅の口調が強くなる。怒られたってここで引き下がるわけにはいかない。

 千颯は雅の手を掴み、正面から向き合った。


「弱っている雅を放っておけないよ」


 雅は目を大きく見開きながら固まる。焦げ茶色の澄んだ瞳は、千颯の真意を確かめるようにじっと見つめていた。


「なんで……」


 震える声で尋ねる。信じられないと言いたげな表情だ。

 理由を知りたがる雅に、自分の気持ちを正直に明かした。


「俺はいままで雅に助けられてきた。だから今度は、俺が雅の力になりたい」


 愛未にフラれて落ち込んでいた時、雅は声をかけてくれた。偽彼女なんて面倒な役回りも引き受けてくれた。


 それからも雅には何度も助けられた。だから今度は、自分が助ける番だ。


 雅の瞳がじんわりと滲む。堪えるように奥歯を噛み締めながら俯いた後、千颯の手を払った。そのまま千颯の胸元を、ぽんと拳で叩く。


「アホちゃう? そんなんで帰るのやめたん? ホンマにアホや。アホ、アホ、アホ……」


 雅は何度も罵倒する。アホと言うたびに、千颯の胸元を拳で叩いた。

 その攻撃はまったくもって痛くない。


 俯きながら罵倒する雅だったが、何度か叩かれたところで攻撃が止まった。そして潤んだ瞳で千颯を見上げた。


「でも、ありがとう……」


 本気で怒られているわけではないと知り、千颯は頬を緩めた。


 そこからは、もう帰れとは言われなかった。代わりにこんな提案がされる。


「そんなら、もう一泊してく?」

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