第73話 嘘吐き

 由紀ゆきから思いがけない言葉をかけられて、千颯ちはやは固まる。呆然としながらも由紀の言葉の意味を考えた。


みやびは本音で話してくれない? どういうことだ?)


 たしかに雅は建前で話すことが多い。千颯も雅の建前には何度も惑わされてきた。もしかして由紀はそのことを言っているのか?


 頭の中で考えを巡らせていると、雅が三人分の飲み物を持って席にやって来た。


「お待たせー。席ありがとなー」


 ぎこちない笑顔を浮かべながら席に着く雅。由紀にはアイスティー、千颯にはアイスコーヒーを差し出す。ついでにガムシロップとミルクも二個ずつ千颯の前に置かれる。見栄を張ってコーヒーを頼んだことを見透かされたのかもしれない。


「ありがとー。はいこれお金」

「ああ、俺も」


 きっちり清算してから、あらためて三人は向き合った。


「雅はもう洛中にはいないの?」

「うん、東京の高校に転校した」

「へー、生粋の洛中生だったのに外に出たんだ。親御さんよく許してくれたね」

「色々言われたけど、納得してもらえた」

「そうなんだー」


 由紀はストローでアイスティーを飲む。話が途切れたところで、今度は雅が尋ねた。おずおずと遠慮がちに。


「由紀はいま、何してはるん?」

「私? いまは通信制の高校に通いながら、嵐山のカフェでバイトしてる。渡月橋の近くにできた新しいカフェで結構繁盛してるんだよ」

「そうやったんや……」


 そこで話が途切れる。二人の関係性がイマイチ掴めない状況では、千颯が口を挟むこともできなかった。


 そんな中、由紀が思いがけない質問をする。


「雅はさ、彼氏くんのこと好きなの?」


 その質問にドキッとする。思わず雅の顔色を窺った。

 雅は一瞬目を見開いたが、すぐに完璧な笑顔を浮かべた。


「好きやよ。うちには勿体ないくらい、ええ人やから」


 この状況ではそう答えるのが正解だ。雅の本心ではないと分かっていながらも、好きと言われて内心喜んでいる自分がいた。


 彼氏を賞賛する何気ない言葉。だけどそれを聞いた由紀は、俯きながらくすくすと笑った。まるでおかしなものでも見たかのように。


 呆気に取られる二人。笑っている理由が分からず、目の前の由紀をただ見つめることしかできなかった。


 由紀の笑いが収まった頃、ようやく二人と視線をあわせた。


「驚いた。それも嘘なんだ。あー、おかしい」


 雅は訝し気に由紀を見つめる。


「なんやの?」


 雅が尋ねると、由紀はにやりと笑いながら言った。


「だって雅、彼氏くんのこと全然好きじゃないでしょ?」


 由紀は二人の関係を見破っていた。彼女の言う通り、雅は千颯に恋愛感情を抱いているわけではない。形式的な偽彼女だからだ。先ほどの言葉だって、この場を乗り切るための嘘だ。


 雅は笑顔を引っ込めて由紀を凝視していた。その表情はどこか怯えているようにも見える。そこで由紀は、自分の頬に人差し指を添えた。


「雅は嘘を吐くとき笑うんだよ。さっきみたいな人の良さそうな完璧な笑顔でね」


 雅は慌てて手で頬を覆う。その行動は、由紀の言葉が真実だと認めたようなものだった。だけどすぐに、いつもの笑顔を浮かべた。


「何言うとるん。嘘やないよー」


 そのまま雅は千颯の腕を取った。


「好きやよ。千颯くんのことは」


 場を和ませるように笑う雅だったが、由紀は白けたように表情を消した。そして氷のような冷たい視線で雅を見つめた。


「相変わらずだね、雅は。あの頃となーんにも変わってない」


 由紀の言葉からは、怒りというよりも諦めに近い感情滲んでいた。


 賑やかなカフェの中で、この席だけが凍りついているような気がする。気まずさを感じていると、不意にスマホが振動した。千颯はスマホを確認する。


なぎからLIENだ。帰りの新幹線の時間もあるから、そろそろ合流しようだって」


 千颯が声をかけるも、雅は呆然としている。そのまま視線を向けていると、ハッと我に返った。


「ああ、もうそんな時間か。遅くなったら大変やし、そろそろ行こかぁ」


 雅は笑っていた。先ほどのことなんてなかったかのように。

 にこやかな笑顔を浮かべながら、椅子から立ち上がる。


「ほなな、由紀。会えて嬉しかったわぁ」


 雅の言葉で、由紀は唇の端を引き攣らせる。再び冷ややかな表情を向けながら、去ろうとする千颯たちを眺めていた。


「嘘吐き」


 その言葉は、千颯の耳にも届いていた。

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