第67話 この人には敵わない
その後も
その間にも、夏風邪で倒れていたパートさんが少しずつ店に戻ってきた。そしてバイト最終日を迎える頃には、千颯たちの仕事は大幅に減っていた。
バイト最終日。千颯と
「今日は15時から6人来る予定や。二人とも頼むで」
「はい、よろしくお願いします」
最終日だからこそ、しっかりと仕事をまっとうしたという気持ちもあったが、それ以上に宗司にみっともない姿を見せたくないという意地もあった。
どうして張り合っているのかは、自分でも分からない。だけど
(雅の初恋の人と張り合ってるなんて、馬鹿みたいだな)
自分の愚かさに嘆きながら、そっと溜息をついた。
15時を少し過ぎた頃、6人組の大学生風の男が現われた。学生旅行なのか到着早々からテンションが高かった。わいわいがやがやしながら店内を見渡す。
「お! ここの店員さん、めちゃくちゃ可愛いじゃん」
男達は興奮した様子で雅たちを見つめている。そんな彼らに、千颯はさっと近寄った。
「和菓子作り体験を予約された方ですよね? 体験コーナーはこちらになります」
営業スマイルを浮かべる千颯を、男たちは興味深そうに見る。
「君、高校生? バイトしてて偉いね」
なんだか馬鹿にされたような気がするが、深く考えないようにした。千颯は笑顔を崩さず対応する。
「はい、高校生です。夏休みの間だけ、ここで働かせてもらっています」
千颯の言葉を皮切りに、男たちは再び盛り上がる。
「ここって高校生も雇ってんだ。ってことは向こうの女の子たちも高校生ってこと?」
「俺、体験終わったら声かけてみようかなー」
どっと笑いが起きる。その様子を見て、高校生だと明かしたのは失敗だったと感じた。
(ナンパみたいなことにならないといいけど……)
密かにそう危惧していた。
6人組を体験コーナーに案内すると、さっそく和菓子作り体験が始まる。宗司は人懐っこい笑顔を浮かべながら、体験内容を説明した。
しかし男たちは説明をろくに聞かず、芽依をチラチラと見ていた。それだけにとどまらず、コソコソと会話まで始める。
「あの子、めちゃくちゃ可愛いじゃん。絶対高校生でしょ!」
「俺、あとでLINE聞いてみようかな」
男たちの声は、千颯の耳にも届いた。恐らく芽依にも聞こえているだろう。その証拠に、芽依は怯えたように顔を引き攣らせていた。
宗司の説明が終わると、千颯と芽依が材料を配りにいく。芽依がテーブルに材料を置いた時、危惧していたことが起きた。
「お姉さん、めちゃくちゃタイプです。良かったらLIEN教えてくれませんか?」
一人の男がナンパを始めた。声をかけられた芽依は。驚いたように目を丸くする。そして助けを求めるかのように千颯に視線を向けた。
芽依の怯えた顔を見て、咄嗟に身体が動く。苛立ちや嫌悪感が渦巻きながらも、なんとか笑顔を取り繕った。
「すいません。そういうのはちょっと……」
千颯が注意すると、男は表情を曇らせた。
「君にとやかく言われる筋合いはないと思うけどなー。俺は彼女に聞いてるんだけどー」
男たちは顔を見合わせながら千颯を鼻で笑った。
芽依は怯えたように千颯の後ろに隠れる。男からのナンパに恐怖を感じているのは明白だ。
一部始終を見ていた宗司は、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべている。その笑顔のまま、千颯たちに手招きをした。
「千颯くん、芽依さん、ちょっと」
呼ばれるがまま宗司に近寄ると、こそっと指示をされた。
「芽依さん、ここはええから、売り場の方を手伝ってください」
「は、はい。分かりました」
宗司の言葉で芽依は売り場に引っ込んだ。その様子を見た男たちは、がっかりしたように肩を落とした。
「お姉さん行っちゃった……」
「ざーんねん」
そんな彼らに、宗司は屈託のない笑顔を見せる。
「ちょっと売り場の人手が足らんようだったので、向こうを手伝ってもらいました。男だけになってしまって申し訳ないですが、進めさせてもらいますー」
男たちは文句を言っていたけど、それ以上芽依に執着することはなかった。
ほっと一安心したところで、宗司がこそっと千颯に指摘する。
「千颯くん、お客さんを怒らせたらあかんで」
宗司の言うことはもっともだ。客商売である以上、揉め事は避けたい。言いたいことはいろいろあったが、千颯は素直に頷いた。
「分かりました……」
「頼むで」
宗司はポンと千颯の肩を叩いた。
それから宗司はみんなの前で手本を見せる。その
先ほどまでの笑顔を引っ込めて、真剣な眼差しで餡を成形する宗司。色の異なる餡を絶妙な力加減で組み合わせてから、三角べらで表面に線を入れていく。すると、ひまわりの上生菓子が完成した。
それはまさに職人技。近くで見ていた千颯は、思わず息を飲んだ。ひまわりが完成すると宗司は再び笑顔を浮かべる。
「それでは、みなさんも体験してみましょか」
その言葉を合図に、男たちは餡をこねはじめた。なんとか体験が始まったことに安堵していると、体験していた男の一人が口を開いた。
「粘土こねてるみたいで面白いな。俺、将来和菓子職人になろうかな」
その言葉で周りの男たちはどっと笑う。「マジかよー」とか「影響受け過ぎだろ」などと揶揄っていた。
すると、言い出しっぺの男が宗司を一瞥しながら言った。
「だってさ、あんな学生でもできるんだから、俺らでもよゆーでしょ」
男の言葉で千颯の笑顔が消える。その言い方はあまりに失礼だ。
たしかに宗司は外見が幼く見えるから、高校生や大学生に勘違いされるのは仕方ないのかもしれない。だからといって、本人を目の前にそんな発言をするのはあんまりだ。
それに彼らは先ほどの宗司の手捌きを見ていなかったのか。あれを見せつけられれば、自分でも簡単にできるなんて発言は到底できない。あの技術は、宗司が10年かかって手にした財産なのだから。
宗司の努力までも踏みにじられた気分になって、
「そんな言い方って、あんまりじゃ……」
そう口にした瞬間、宗司がさっと止めに入る。千颯を静止するように手を伸ばしていた。千颯は思わず言葉を飲み込む。
それから宗司は、いままでとは違う低い声で千颯に注意した。
「あかん言うたやろ」
その言葉で一気に肝が冷える。千颯はそれ以上何も言うことができなかった。
呆然としていると、宗司はいつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。そして先ほどの無礼な発言をまったく気にしていない素振りで対応する。
「そら、心強いですわぁ。甘夏屋は若手の職人が不足しとるんで、お兄さんが来てくれはったら嬉しいわぁ」
不穏な空気が宗司の笑顔でかき消される。男たちの表情からも余裕が生まれた。
しかし宗司の言葉はそこでは終わらなかった。笑顔を浮かべながら、スッと目を細める。
「せやけど、調理場に入ったらビシバシしごくんで、覚悟してくださいね」
その言葉で、千颯は首筋にひやっとした刀を突きつけられたかのような錯覚に陥った。宗司は表面上は笑っているけど、目はまったく笑っていない。
目の前の宗司を見て、千颯は確信した。
(宗司さんも怒ってるんだ……)
しかしその事実に気付いたのは千颯だけだった。男たちは宗司の本心になんて気付いておらず、呑気に笑いながら作業を続けていた。
*・*・*
体験が終了し、6人組はわいわいがやがや談笑しながら去っていった。きっと彼らは宗司の怒りを買ったことなど、微塵も感じていないだろう。だからこそ、つつがなく体験を終えることができた。
お客さんのいなくなった体験スペースで、千颯は道具を片付ける。すると宗司が隣にやって来た。
「千颯くん、さっき怒っとったね」
いまの宗司からは、先ほどの圧は感じられない。初めて会ったときと同じように、人の良さそうな笑顔を浮かべていた。
「すいません、勝手に暴走して……」
「謝ることやない。ちょっとヒヤッとしたけどな」
屈託のない笑顔を浮かべる宗司を見て、千颯は思わず訊いてみた。
「言われっぱなしで、良かったんですか?」
千颯の言葉で、宗司は驚いたように目を丸くする。適当にはぐらかされることも覚悟していたが、宗司はスッと目を細めながら心の内を明かした。
「あの人らは余所さんや。余所さんはこの世界を知らなくて当然や。別にこっちも理解してもらおうとは思っとらん。この世界の綺麗な部分だけを見て、気分よく帰ってくれればそれでええんよ」
「でもそれじゃあ、宗司さん達の努力が……」
「言葉で伝える必要なんかあらへん。へし折られたプライドは、腕で見返せばええ」
宗司の瞳には、静かなる闘志が燃えている。その姿を見て、千颯は直感的に悟った。
(ああ、この人には敵わない……)
宗司は自分の仕事にプライドを持っていて、進むべき道がはっきりと見えている。こんなに強い人には、どう足掻いたって叶わない。諦めにも似た感情が、胸の内を支配した。
「宗司さんは、カッコいいですね……」
敗北を認めながらそう呟くと、宗司はにやりと笑った。
「年下の男の子に惚れられるのも悪くないなぁ」
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