第66話 嫉妬なんて

 甘ったるい空気が消えかかってきたところで、本題に入る。


「それで、話ってなに?」


 千颯ちはやが尋ねると、芽依めいは正座をしながら話を切り出した。


「あの、お兄さん。何か悩んでいませんか?」

「え? 俺が?」

「はい。バイトが終わったあたりから、ずっと上の空だったので」


 千颯の異変は芽依に見破られていたらしい。決まりの悪さを感じながらも、千颯は笑って見せた。


「悩んでなんかないよ。ただ、初めてのバイトでちょっと疲れただけ」

「嘘です」


 即座に否定されて焦る。芽依は千颯の真意を確かめるように、じーっと瞳を見つめていた。どう返事をするべきか悩んでいると、芽依が先に口を開いた。


みやびさんのことですか?」


 悩みの種まで見破られて肝が冷える。芽依は千颯が想像していた以上に、鋭い女の子なのかもしれない。


「お兄さん、バイト中ずっと雅さんのことを見てました。気になっていたんですよね?」

「気付いてたんだ……」

「気付きますよ。あんなにあからさまに見ていたら」


 自分ではこっそり見ていたつもりだったけど、傍から見ればバレバレだったらしい。


 これ以上隠しても無駄だろう。千颯は心の内を芽依に明かした。


「雅と宗司そうじさんがあまりにお似合いだったから、つい見ちゃっていただけだよ」


 言葉にすることで、自分自身も納得させようとする。


 そうだ。二人があまりにお似合いだったから見ていただけだ。綺麗なものについ視線が奪われるのと同じように、お似合いの二人だったから注目してしまっただけに過ぎない。


 そしてあの二人と自分の間に大きな隔たりを感じて、勝手に劣等感を抱いていただけだ。


 そう納得しかけていたところ、芽依は小さな声で呟いた。


「お兄さんは、雅さんのことが大好きなんですね……」

「なっ……」


 予想外の解釈をされて、少し大きめの声を漏らす。だけどすぐに深夜であることを思い出して、慌てて口元を覆った。千颯は声を潜めながら尋ねる。


「どうしてそうなるの?」

「だってお兄さん、嫉妬しているんでしょ?」


 嫉妬。その可能性はできるだけ考えないようにしていた。自分の気持ちに説明ができなくなるからだ。


 だけど芽依から指摘されたことで、嫉妬という言葉が隠しようもないほどに存在感を増した。


「嫉妬なんてそんなこと……」

「おかしなことではないですよ。好きな人に嫉妬してしまうのは当たり前の感情です。お兄さんは、雅さんと宗司さんが仲良くしていることに嫉妬していたんです。むしろそれ以外に、理由がありますか?」


 いつになく饒舌に喋る芽依に戸惑いを隠せない。だけど言っていることは理にかなっていた。


 はっきり言われると、それが真実のように思えてくる。それでも嫉妬の感情を認めるのは、簡単ではなかった。


 自分の気持ちが分からなくなり、膝に顔を埋める。


 雅に嫉妬なんてあってはならない。自分は愛未が好き。その感情に嘘はなかったはずなのに……。


 千颯が蹲っていると、芽依が音を立てずに近付いてきた。そして小さな手を、そっと千颯の頭に乗せた。


 突然触れられたことに驚き、顔を上げる。芽依は眉を下げて、潤んだ瞳を向けていた。


「大丈夫ですよ。雅さんは、ちゃんとお兄さんのことが好きですから」

「そんなわけ……」

「そんなわけあります。お兄さんのことを信頼しているから、色々許容してくれているんです。じゃなければ私はここにいません」

「何の話?」

「……こっちの話です」


 芽依の言っていることはイマイチ理解できなかったけど、励まそうとしてくれていることだけは伝わった。そのことに関しては感謝すべきだろう。


「ありがとう、芽依ちゃん」


 その言葉で芽依は安心したように頬を緩めた。それからスッと立ち上がって襖に向かう。


「あまり長居してもご迷惑ですから、私は部屋に戻りますね」

「うん」


 芽依は音を立てないように注意しながら襖を開けた。そして振りかえりざまに、恥ずかしそうに微笑んだ。


「おやすみなさい、お兄さん」


 その表情があまりに可愛くて、思わず見惚れてしまった。


 芽依と話したことで気がまぎれたのか、布団に入ると睡魔に襲われた。蛙の鳴き声を子守唄に、千颯はゆっくりと目を閉じた。


*・*・*


 布団の中でまどろんでいると、襖がそーっと開く音が聞こえた。その音で少しずつ脳が覚醒していく。


 陽の光を感じながら音のした方を見つめると、私服姿の愛未あいみが部屋に侵入していることに気が付いた。千颯は慌てて飛び起きる。


「愛未! なんでここに?」


 千颯が目を丸くしていると、愛未は不貞腐れたように唇を尖らせた。


「あーあ、起きちゃった。千颯くんが眠っている隙に、こっそり布団に忍び込もうと思ったのに」

「なんでそんなことを……」

「朝起きたら私が隣で寝ていてドキッ、っていうイベントをやりたかったの」

「そんなことされたら大変なことになってたよ!」


 愛未の企みを阻止できたことに心から安堵した。


 万が一、布団に忍び込まれたら間違いが起こっていたかもしれない。夢と現実がごっちゃになって、キスくらいしてしまう展開が想像できた。


 千颯が慄いていると、愛未は口元に手を添えて小悪魔的に笑った。


「さすがにお友達の家でシていたら大問題だよね」


 またしても際どい発言が飛び出してフリーズする千颯。どうしてこの子は、息をするかのように人の心を弄ぶ言動ができるのだろうか?


 朝っぱらから大ダメージを受けていると、愛未はクスクス笑いながら布団の傍でしゃがんだ。


「冗談はさておき、千颯くん、早く起きないと遅刻するよ」

「遅刻?」


 そう指摘されて時計を見ると、すでに7時半を回っていた。バイトの開始時間は8時。つまり現時点で遅刻ギリギリということだ。


「やっば! 寝過ごした!」

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