第58話 はぐれてしまうので

 浴衣に着替えた千颯ちはやたちは、清水寺まで続くゆるやかな坂を登る。


 通りには土産物屋がずらりと軒を連ねていた。和菓子屋や和小物の店を通り過ぎるたびに、女子達はキラキラと目を輝かせる。


「八つ橋、抹茶アイス、わらび餅……」


 なぎはすでに和スイーツの虜だ。甘いものに吸い寄せられていく凪を見かねて、みやびがさりげなく手を取った。


「凪ちゃん、よそ見してるとはぐれんで?」

「はーい、お姉ちゃん」


 しっかり者の雅の助言をすんなりと聞き入れる凪。そのままにっこり微笑みながら、雅の腕に擦り寄った。


 その一連の行動に、真っ先に反応したのは千颯だった。


「お、お前……俺のことはお兄ちゃんなんて呼ばないくせに、雅のことはお姉ちゃん呼びするのか?」

「どこで張り合っとんねん」


 呆れ顔でしれっとツッコミを入れる雅。つい熱くなってしまったことに恥じていると、凪はこちらを見下すように笑った。


「千颯をお兄ちゃん呼びするのは、なんか負けた気がする」

「なんだよ、その理屈……」


 凪の理屈は分からなかったが、見下されていることだけははっきり伝わった。自分の不甲斐なさに嘆いていると、前を歩いていた凪が弾んだ声を出した。


「あれ見てください! 串和菓子だって! 宝石みたいでキレー!」

「ちょっと、凪ちゃん!?」

「ああ! 二人とも待って!」


 凪は雅の手を引きながら走り出す。そんな二人を追いかけるように愛未あいみも走り出した。


 突然の出来事に、千颯と芽依めいは取り残される。呆気に取られているうちに、三人はあっという間に人混みの中に消えていった。


「行っちゃいましたね……」


 芽依は苦笑いを浮かべながら人混みを見つめる。はぐれることを危惧した千颯は、咄嗟に追いかけようとした。


「芽依ちゃん。ちょっと走ろうか」

「ああ……お兄さん。待ってください……」


 走り出そうとしたが、肝心の芽依はその場から動こうとしなかった。不審に思って振り返ると、芽依はもじもじとその場で俯いていた。


「どうしたの? 芽依ちゃん」

「その……走るのはちょっと……」


 芽依は俯きながら、もそもそと足の指を動かしている。少し観察していると、芽依が草履の鼻緒を気にしているのに気が付いた。


「もしかして、足痛い?」


 千颯は尋ねると、芽依は俯きながらコクリと頷いた。慣れない草履を履いていたせいで靴擦れを起こしてしまったのかもしれない。


「大丈夫? 歩けそう?」

「はい。ゆっくりだったら何とか……」


 芽依は申し訳なさそうに俯いている。千颯は芽依を安心させるため、笑って見せた。


「じゃあ、ゆっくり行こうか」


 その言葉で芽依は顔を上げる。


「でも、凪ちゃんたちとはぐれちゃいますよ?」

「大丈夫だよ。よく考えたらみんなスマホ持ってるんだし、はぐれても後で合流できる」


 急いで追いかける必要がないことを伝えると、芽依は「たしかにそうですね」と笑った。


 それから芽依は、千颯の手にそっと触れた。


「め、芽依ちゃん?」


 突然のことに驚き、千颯は咄嗟に手を離そうとする。が、芽依は千颯の手をギュッと握って離そうとしなかった。


「いいんです……」

「え?」

「このままでいいんです……」


 芽依は林檎のように真っ赤に頬を染めながら、千颯を見上げていた。その表情があまりに可愛くて、千颯はドキッとする。


 芽依は真っ赤な顔のまま、この状況の正当性を訴えた。


「手を繋いでないと、はぐれてしまうかもしれないので……」


 芽依の言っていることは、あながち間違っていない。千颯たちの周囲は、観光客で賑わっていたからだ。


 だからといって手を繋ぐのは、あまりに軽率すぎる。形式的には雅と付き合っているのに、芽依とも手を繋いだら軽い男だと思われる。


 頭ではダメだと分かっているけど、千颯は芽依の手を振りほどくことができなかった。


 理由ははっきりとは説明できない。ただひとつ言えるのは、浴衣姿で恥ずかしそうに微笑む芽依がとてつもなく可愛いということだ。


 もう少し、この可愛い姿を見ていたい。そんな欲に支配されていた。


「それなら、仕方ないか……」


 ずるい心が、この状況を正当化させた。

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