第57話 浴衣ガールズ
浴衣に着替えた
「入ってもいい?」
「どうぞー」
「どうかな……?」
真っ先に感想を訊いてきたのは愛未だ。白地に紺の朝顔模様が入った浴衣を着ている。帯は可愛らしさを引き立てるラベンダーカラー。美しくて、どこか儚い。近付いたら消えてしまいそうな朧げな雰囲気があった。
「よく、似合ってる……」
鼓動が高鳴るのを感じながら、なんとか感想を絞り出す。すると愛未は、ふわりと笑った。
「良かったぁ。私、浴衣を着るのは初めてだったから、似合うか心配だったんだ」
「そうなんだ。夏祭りとかで着なかったんだね」
夏祭りのたびに、
「うん。着せてくれる人がいなかったからね……」
その言葉で、愛未の家庭環境を思い出した。愛未は浴衣を着なかったのではない。着られなかったのだ。言葉の意味に気付いたとき、自分の不用意な発言を悔やんだ。
「ごめん……」
無意識だったとはいえ、愛未に暗い過去を思い出させてしまった。罪悪感から愛未の顔が見られなくなった。
「どうして千颯くんが謝るの?」
愛未は首を傾げながら千颯に近付く。それからポンと両手を千颯の肩に置いた。
「暗い顔していたら、せっかくのカッコいい姿が台無しだよ?」
愛未の大きな瞳が、千颯の顔を覗き込む。その表情からは先ほどの憂いは一切感じられなかった。
「そういうお世辞はいいって……」
咄嗟にそう返すと、真ん丸だった愛未の目がにやりと半月状に形を変えた。そのまま千颯の耳元に顔を寄せて囁く。
「カッコいいって思ったのは本当だよ。もしここにいるのが二人だけだったら、押し倒したいくらいだもん」
「押しっ……」
際どい発言にタジタジになる千颯。妖艶に微笑む愛未を見ていると、頭がクラクラしてきた。
千颯が真っ赤になってフリーズしていると、不意に誰かから浴衣の袖を掴まれた。視線を向けると、
「お兄さん、私も浴衣着せてもらいました……」
芽依は恥じらいながら浴衣の袖を広げる。可愛らしい仕草を目の当たりにして、自然と頬が緩む。
「すごく可愛いよ」
その言葉に嘘はない。お世辞なしに、芽依はとても可愛かった。
淡い黄色の生地に色とりどりの花模様が描かれた浴衣は、芽依の柔らかいオーラとマッチしていた。帯の深緑色が締めの色になっているのもセンスを感じさせる。お淑やかでありながらも、陽だまりのような温かさを感じられた。
千颯の言葉を聞いた芽依は、頭から湯気が出てきそうなほど真っ赤になる。
「ありがとうございます……」
芽依は蚊の鳴くような声でお礼を伝えると、逃げるように凪の背中に隠れていった。
すると今度は凪がにんまり笑いながら感想を求めてくる。
「ねーねー、私は?」
「あー、はいはい。可愛い可愛い」
「全然心がこもってない! やり直し!」
千颯のおざなりな感想に、凪は頬を膨らませる。素直に褒めたのにやり直しを命じられるとは、何とも理不尽な話である。
千颯はもう一度凪の浴衣姿を観察する。白地に赤の金魚模様の入った浴衣は、明るい凪にお似合いだった。どことなくレトロさを感じさせるのも粋でいい。どこを切り取って褒めるべきか頭を悩ませていると、金魚の尾ひれが目に留まった。
「金魚が綺麗……」
「私を褒めろ!」
頭に浮かんだ感想をそのまま伝えると、凪は千颯の肩に渾身のパンチを繰り出した。「いてて……」と肩を押さえていると、クスクスと笑う声が聞こえた。
「金魚が綺麗はないやろ。褒めるの下手やなぁ」
別の部屋に居たらしい
純粋な白に一滴だけ黄色を混ぜたような淡いベージュの生地。そこに花を添えるように、真っ白な菊模様が描かれている。清楚で涼し気で上品で、まるで日本画から飛び出してきたような美しい佇まいだった。
浴衣自体はシンプルで古めかしい柄でありながらも、決して古臭い印象にはなっていない。その理由を考えてみると、淡いピンク色の帯に目が留まった。
白の浴衣に合わせられた帯は、通常の固い帯とは異なり、くしゅくしゅとした柔らかい素材だった。帯の素材を変えることで、抜け感のある今っぽい着こなしになっていた。
目の前で佇む雅は、千颯の好みのど真ん中だった。あまりの美しさに直視することすら躊躇ってしまう。
「千颯くん、息しとる?」
固まる千颯を心配して、雅が声をかける。その言葉でようやく我に返った。
「ごめ……あまりに、あれで、息を、忘れて……」
「うん。まずは日本語で喋ろかぁ」
雅は呆れ顔を浮かべる。そのまま千颯の浴衣姿を上から下まで凝視した。
「ちゃんと着付けてくれたみたいやな。衿も帯も問題なし」
事務的にチェックを済ませると、くるっと振り返って愛未たちに声をかけた。
「準備もできたことやし、行こかぁ」
その言葉を合図に、女性陣はぞろぞろと玄関に向かう。呆然としていた千颯は、ポツンとリビングに取り残された。
すると先に出て行った雅が心配して戻ってきてくれた。
「なにしてはるん? 行くで?」
真ん丸のこげ茶色の瞳に見つめられて、心臓が掴まれたような感覚になる。
「ごめん、いま行く」
動揺を隠しながら千颯は雅の後を追いかけた。
玄関で草履に履き替えてから、ふと顔を上げる。玄関から差し込んだ光が、雅の顔を照らしていた。雅は眩しそうに目を細めながら、雲一つない青空を見上げている。その姿を見て、千颯は思わず言葉を漏らした。
「綺麗……」
その言葉で雅が振り返る。浴衣を褒められたと思い込んだ雅は、袖を広げてみせた。
「浴衣のこと? この浴衣、お母さんに譲ってもらったんよ。綺麗な柄でうちも気に入ってる」
「そうじゃなくて……」
千颯は言葉を続ける。
「浴衣も綺麗だけど、雅も……」
そこまで伝えると、雅もようやく千颯の真意に気付いた。同時にカアアっと顔を赤くして目を逸らした。
「……うちのことは褒めなくてええんよ」
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