第56話 とんでもない誤解

「なんで僕がこんなことを……」


 朔真さくまはぶつくさ文句を言いながら、千颯ちはやに紺色の浴衣を着せる。


 意外なことに朔真はちゃんと着付けをしてくれた。あれだけ嫌われていたのだから、めちゃくちゃな着付けをされることも覚悟していたが、鏡に映った浴衣姿はプロに着付けてもらったかのような仕上がりだった。


 衿は開けすぎることなく鎖骨のすぐ下で綺麗に合わせられており、帯は腰骨の位置で締められていた。丁寧に着付けをしてくれたことに、千颯は驚きを隠せない。


「ちゃんと着付けてくれるんですね」

「当たり前やろ。変な風に着せたら僕の信用がなくなる」


 千颯のためというよりは、自分のためと聞いて納得。朔真の魂胆を知った千颯は、思わず苦笑いを浮かべた。


「完成や。ちょっとは男前になったんやないの?」

「おおー……ありがとうございます」


 千颯が素直にお礼を伝えると、朔真はわざとらしく舌打ちをした。


「別にあんたのことを認めたわけやないから。誤解せんといてな」


 素でツンデレ発言をする朔真を見ていると、なんだかおかしくなってしまう。みやびの言っていた通り、本質的には悪い人ではないのかもしれない。ただ、愛情のベクトルが大幅に間違っているだけなのだろう。


「朔真さんは、妹想いなんですね」


 雅の話題を出すと、不機嫌そうにしながらも視線を合わせてくれた。


「妹は大事な家族や。守りたいって思うのは当然やろ」

「一応、俺にも妹はいますけど、そこまでの熱烈な愛情は持っていないので。別に彼氏ができても、どうでもいいですし」

「あんたやっぱり妹の彼氏なんか? 許せない……」

「そういう意味じゃなくて……」


 勝手に言葉を切り取って、勝手に誤解する朔真。もはや訂正するのも面倒になった。


 否定しない様子に苛立った朔真は、千颯の胸ぐらを掴もうとする。が、浴衣が着崩れると判断したのか、代わりに肩を掴んだ。


「言っておくけどなぁ、妹にいかがわしいことしたらただじゃおかんで! そういう関係になりたいなら、僕を倒してからにしいや」


 その発言はなんとも妙だ。千颯はフッと笑ってから、肩に置かれた手を引き剥がした。


「それってつまり、妹を押し倒したければ僕を押し倒してからにしろ、という意味ですか?」


 千颯としては単なる冗談のつもりだった。「そういうことやない」というツッコミ待ちだった。


 しかし朔真の反応は、千颯の予想とはまるで違った。


 不機嫌そうな表情が、スンっと真顔に戻る。数秒の沈黙の後、朔真はバッと千颯から距離を取った。そのまま両腕を抱えながら、ガタガタと震えはじめる。


「もしかして……あんた両刀なんか?」

「……はい?」

「はい!?」


 意味が分からず聞き返した千颯だったが、錯乱した朔真は千颯の言葉を肯定と受け取った。とんでもない誤解をした朔真は、さらに顔色を悪くした。


「あかんあかん! 僕はそっちの趣味はない! いくら妹が好きやからって、僕にも手を出すゆうんは節操なさすぎやろ……」

「何を言ってるんですか? というか逃げないでください」

「こんなん逃げるわ! いままで舐めた口聞いてすいませんでした! 僕のことはもう放っておいてください!」

「どうしたんですか、急に?」


 千颯が一歩近付くと、朔真は大袈裟にびくっと肩を跳ね上がらせる。


 恐怖を浮かべている朔真に戸惑いつつも、千颯は自分が敵意を持っていないことをアピールした。


「別に俺は朔真さんのこと嫌ってないですよ?」

「嫌ってないって……」


 千颯が一歩近付くと、朔真は一歩退がる。近付く、退がる、近付く、退がるの攻防戦の末、朔真は障子まで追い込まれた。そこで千颯はトドメと言わんばかりに微笑む。


「朔真さん、これからは俺とも仲良くしてください」


 朔真は声にならない悲鳴をあげる。次の瞬間、勢いよく障子を開けて、部屋から飛び出した。


「東京の男、怖すぎやろーー!」


 開かれた障子からそんな捨て台詞が聞こえてくる。部屋に一人取り残された千颯は、きょとんとしながら首を傾げた。


「なんで俺、逃げられてんの?」

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