第52話 悪者なんていない

 アイスクリーム屋の一角で、芽依めいは元彼から侮蔑の眼差しを向けられる。悪い部分を言い当てられて、消えてしまいたくなった。


 芽依は紺野こんのの怒りが少しでも収まるように謝った。


「ごめんなさい。ごめん、なさい、ごめんなさい……」


 何度も何度も謝罪の言葉を口にする。申しわけなさと恐怖心から涙が溢れ出した。

 もう許して。目を瞑りながらそう願っていた時、千颯ちはやが口を開いた。


「ちょっといいかな?」


 顔を上げると、千颯は紺野と向き合っていた。


 紺野は怪訝そうな顔で千颯を睨む。その視線に怯むことなく、千颯は言葉を続けた。


「芽依ちゃんと上手く行かなくなって、君のプライドが傷つけられたのは分かるよ。俺も好きな人にフラれた経験があるから、気持ちはなんとなく分かる」

「は? んだよ急に?」


 紺野は千颯を威嚇する。それでも千颯は怯まなかった。

 真っすぐ紺野を見つめながら伝える。


「だけどさ、君と同じように芽依ちゃんも苦しんでいたんだ。自分の感情と上手く折り合いが付けられなくて悩んでたんよ。今回のことはさ、どちらか一方だけが悪いとか、そういう問題じゃないと思うんだよ」


 棘のない口調だけど、妙に突き刺さる言葉だった。紺野は仏頂面を浮かべながらも押し黙る。


「だからさ、芽依ちゃんだけが悪いみたいな言い方をするのはやめようよ。君だって本当は、好きな子が傷つく姿は見たくないでしょ?」


 そこまで言うと、千颯は荷物をまとめた。


「俺が言いたいのはそれだけ。安心して。俺は芽依ちゃんの彼氏ではないから。やり直したいならご自由にどうぞ」


 そう告げると、千颯はチラッと芽依の反応を伺った。


 一緒に店を出るか、この場に残るか、どちらか選択するように迫られているような気がした。


 芽依は鞄をギュッと握りしめながら、千颯に近付く。そのまま千颯に続いて、店を出た。


*・*・*


「やるやん、千颯くん」


 アイスクリーム屋の隅で身を潜めていたみやびは、千颯の行動を賞賛した。

 その隣では、愛未あいみも感心したように千颯の背中を見つめる。


「千颯くんは、やっぱり優しいね」


 愛未の言葉に、雅も頷いた。


*・*・*


「ごめんね。出過ぎた真似をして」


 ショッピングセンターを出てから、千颯は気まずそうに謝った。

 すると芽依は慌てて両手を振る。


「あ、謝らないでください。私の方こそ、サイテーなんて酷いこと言って申し訳ございません。お兄さんは私の我儘に付き合ってくれただけなのに……」


 芽依は早口になりながら謝罪した。

 それから芽依は、先ほどの千颯の言動について質問した。


「なんであの時庇ってくれたんですか? 私、お兄さんに酷いこと言ったのに……」


 申し訳なさそうに尋ねる芽依を見て、千颯は庇った理由を明かした。


「少し前の自分を見ているような気になって、居ても経ってもいられなくなったんだ。俺も一歩間違えば、彼みたいになっていたかもしれないから」


 千颯が言っているのは、愛未とのことだ。


 愛未にフラれたとき、見返してやりたいと思った。振ったことを後悔させてやれば、失恋の傷も少しは癒えると思っていた。


 だけど愛未の本心を知って、彼女を悲しませるような結末にならなくて本当に良かったと感じた。


 千颯と愛未の関係も、どっちが悪いとかそういう話ではない。愛未だけを悪者にするのは筋違いだった。


 確かに酷いフラれ方をして、傷ついたのは事実だ。だけど原因が分かれば、そこまで責める気にはなれない。あれは突発的な事故だったんだと納得させることにした。


 それに千颯は最近こうも思っている。


 見返すというのは悪意をぶつけるだけじゃない。相手にもう一度受け入れてもらうことも、見返すうちに入るような気がした。


 だから芽依の元彼にも、そういう選択をしてほしかった。


 隣を歩く芽依は、力なく笑う千颯をじっと見つめていた。その横顔を見ているだけで、胸がギュッと鷲づかみにされる感覚になる。


 顔が熱くなるのを感じながら、芽依はおずおずと右手を伸ばす。そして寂しそうに揺れる千颯の手をそっと握った。


「芽依ちゃん?」


 突然手を握られた千颯は、驚いて目を丸くする。芽依はすぐに目を逸らした。


「……好きだから、触れたくなるんですね」

「え? なんて?」


 芽依の小さな声は、千颯に届くことはなかった。


 芽依はようやく、カラオケでの紺野の行動が理解できた。そして自分にも、似たような感情が宿っていることを自覚した。

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