第44話 恋愛相談

 学校終わりに千颯ちはやがリビングで寛いでいると、なぎが友達を連れて帰ってきた。


「ささ、芽依めいちゃん上がってー」

「お、お邪魔しますー」


 遠慮がちに入ってきたのは、凪と同じセーラー服を着た小柄の女の子。肩の上でカットされた栗色の髪は、パーマをかけているのかふわふわとしていた。目はぱっちりしていて、まつ毛も長い。まるで西洋人形のような風貌だった。


 突如現れた可愛らしい少女に見惚れていると、凪が兄の存在に気付いた。


「あ、千颯いたの?」

「うん、いた。その子は?」

「同じクラスの芽依ちゃん。可愛いでしょー」

「ああ、うん、まあ……」


 肯定しても否定しても揶揄われそうな質問を投げかけられる。ダメージを最小限にするため、曖昧に返事をした。


 すると芽依は恥じらうように頬を赤らめた。そのまま千颯の視線から逃れるように凪の背中に隠れる。


「凪ちゃん、この方は?」

「ん? あーあ、兄の千颯だよ」

「へ、へー、凪ちゃん、お兄さんいたんだ……」


 芽依は凪の背中に隠れながらチラチラと千颯を観察する。野生の小動物のような仕草がなんだか可愛らしく思えてきて、千颯は自然と頬を緩めた。


 それが自分に向けられた笑顔だと勘違いした芽依は、さらに頬を赤らめる。そして聞き取れるか聞き取れないかのギリギリの声量で、ポツリと呟いた。


「かっこいい……」


 その言葉をすぐ近くにいた凪は聞き逃さなかった。


「かっこいい? 千颯が?」


 凪は訝しげに、千颯と芽依を交互に見つめる。凪に注目されたことで焦りを浮かべた芽依は、慌てて補足をした。


「えっと、私がどうこうとかじゃなくて、一般的にかっこいい部類に入るんじゃないかなって。ほら、凪ちゃんが好きなアイドルグループのあの人に似ている。えっと、潤ちゃん、だっけ?」

「んー、芽依ちゃん。いますぐ眼科に行ったほうがいいよ。たぶん視力が0.1くらいしかないから」


 凪は淡々とした口調で芽依に助言する。口元は笑っているが、目はまったく笑っていない。どうやら芽依は地雷を踏んだらしい。


*・*・*


 芽依がダイニングテーブルに付くと、凪がパンパンとわざとらしく手を叩いた。


「チバスチャン、お茶の準備を」

「セバスチャンみたいな言い方すな」


 凪に文句を言いながらも、千颯はソファーから立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出す。透明なグラスにお茶を注ぎ、コースターと一緒に出した。


「どうぞ」

「ああ! すいません!」


 芽依は顔を赤らめながらペコペコと頭を下げた。


 ついでに凪の分のお茶もテーブルに置く。こっちはコースターなんて洒落たものは用意してやらない。


「ご苦労」

「いちいち腹立つ言い方するな……」


 凪の頭に軽くチョップをかましてから、千颯はリビングから出て行こうとする。


「友達来てるんだったら、俺は消えた方がいいよね?」


 去ろうとする千颯を、凪は「ちょっと待って」と呼び止めた。


「ちょうどいいから千颯にも意見を聞いてみよう」

「意見?」

「うん、芽依ちゃんの恋愛相談を一緒に聞いてくれない?」


 凪の唐突な思い付きで、千颯も恋愛相談を聞かされる羽目になった。


 ダイニングテーブルには千颯と凪が隣同士で座り、正面には芽依が座っている。二人から注目された芽依は、たどたどしく話を始めた。


「実は私、蛙化現象で悩んでいるんです……」


 蛙化現象。ずいぶんタイムリーな話題が飛び出して、千颯は驚いた。


 千颯の事情を知らない凪は、芽依からの相談を「ああー……」と素直に受け止めた。


「蛙化現象って、いま流行ってるもんねー。SNSでもよく聞くよー。相手のちょっとした行動で冷めるやつでしょ?」


 凪の言葉に、芽依はコクコクと数回頷いた。


「彼氏ができても、ちょっとした言動ですぐに気持ち悪いって思っちゃうの。本当はずっと好きでいたいのに」

「ちなみに前の彼氏はどんなところに冷めたの?」


 凪が尋ねると、芽依は凪と千颯の表情を伺ってから、申し訳なさそうに伝えた。


「えっと、その……。フードコートで待っているときに、彼がお盆片手にうろうろ探し回っていた姿を見て……」

「へ? フードコートで探されるだけで?」


 凪が尋ねると、芽依はこくりと頷いた。


 これは想像していた以上に些細なことで冷めるらしい。愛未にフラれたときの理由よりも、アウト判定が厳しい気がする。


「それじゃあ、脇目も振らず一直線に秒速で現れればいいの?」

「そ、それはそれで怖いかも……」


 凪の極端なたとえを聞いた芽依は、苦笑いを浮かべていた。


 相談相手に凪を選んだのは、どう考えても人選ミスだ。芽依の表情がみるみる曇っていくのが見て取れた。


「こんな話、理解できないよね。周りからは『たいして好きじゃなかったんでしょ』とか『我儘すぎる』とか言われてきたし……」


 そう話す芽依は、いまにも泣き出しそうな表情を浮かべていた。その姿があまりにいたたまれなくて、千颯は咄嗟にフォローした。


「あんまり自分を責めなくてもいいんじゃない? 芽依ちゃんだって辛いんだよね」

「え……?」


 千颯の言葉で、芽依は顔を上げる。千颯は最近得た知識をもとに、真面目にアドバイスした。


「蛙化現象は自己肯定感の低い子がなりやすいんだって。あと芽依ちゃんのパターンだと、恋愛を美化しすぎていて相手に完璧を求めているのも原因かも」

「たしかにそうかもしれません。やっぱり私みたいな人間は恋愛をしない方がいいですよね……」

「そんなことないよ。要は慣れの問題だと思う。いまは辛いかもしれないけど、恋愛経験を積んで相手も自分も認めてあげられるようになれば、ちょっとのことでは冷めない関係性が築けるようになると思うよ」


 芽依を安心させるように千颯は笑って見せる。そんな千颯の姿を、芽依は呆然と見つめていた。


「男の人に共感してもらえたのは初めてです……。お兄さんすごい……」

「すごいなんて大袈裟だよ」


 先ほどの知識だってネットの受け売りだ。愛未との一件があってから、千颯も対処法を調べるようになったから、普通の人よりはちょっと詳しくなっただけに過ぎない。


 千颯が真面目にアドバイスすると、凪も「やるじゃん」と感心した。


 呆然としていた芽依だったが、ふと何かを思い立ったかのように鞄からスマホを取り出した。


「あ、あの、お兄さん。これからも相談に乗ってもらっていいですか?」

「え? 相談?」


 思いがけない言葉に戸惑う千颯。しかし真剣な表情でお願いしてくる芽依を見ていると、拒むに拒めなかった。


「別にいいけど」

「じゃ、じゃあ、LIEN交換しましょう」


 芽依はメッセージアプリを起動させて、QRコードを見せる。

 千颯はさりげなく凪の反応を伺ったが、とくに嫌そうにはしていなかった。


(まあ、相談に乗るくらいだったらいいか)


 千颯もスマホを出し、芽依の差し出したQRコードを読み取った。

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