第41話 流されるのも悪くない

 夕食を終えて、風呂を済ませた千颯ちはやがリビングに戻ると、みやびなぎはテレビにかじりつくようにライブDVDを観ていた。


 ご丁寧に推しの名前入りうちわまで用意していたのは笑ってしまった。


 千颯はダイニングテーブルから二人の様子を見守る。アップテンポの曲が流れると、ライブ会場はおろかリビングまでも大いに盛り上がりを見せた。


 雅の推しである潤ちゃんがアップで映し出される。こくりと首を傾けながらキラキラの笑顔を浮かべると、雅はノックアウトした。


「はうわぁ……しゅき……」


 普段は決して見せることのないとろけた笑顔。その表情はまさに恋する乙女だ。


 自分にそんな表情を向けてくれる日は一生来ないだろうと思うと、ちょっぴり切なくなった千颯だった。


 雅の隣に座る凪も、ワーキャーと言葉にならない声援を送っていた。こっちは通常営業だから、とくに驚くことはない。


 ライブDVDに熱中している二人は、千颯が戻ってきたことにすら気付いていない。変に声をかけて邪魔しては悪いから、遠巻きに二人を眺めていた。


(楽しそうでなによりだ)


 千颯は目を細めながらしみじみと見守っていた。



 しばらくすると仕事を終えた両親が帰ってきた。母親はケーキ、父親はプリンの入った紙袋を持っている。


 どうやら両親は、雅がうちに泊まることを知っていたようだ。つまり今日のことを知らなかったのは、千颯だけということになる。


 凪は雅のことを千颯の彼女と紹介したらしく、両親はいつも以上にハイテンションになっていた。息子の彼女が泊まりに来るというビッグイベントに浮足立っている。


 貢ぎ物がケーキとプリンの二つになっているのは、両親ともに雅を心待ちにしていた証拠だ。「それはどっちかでいいだろう。事前にすり合わせとけ」という千颯のツッコミは軽くスルーされた。


 つい先ほどまでテレビにかじりついていた雅だったが、両親を前にした瞬間、余所行きの笑顔を浮かべながら礼儀正しく挨拶をした。


 その所作も両親の好感度を爆上げする要因になったのは言うまでもない。


*・*・*


 賑やかだったリビングも12時を過ぎると落ち着きを見せた。両親はすでに寝室に行き、凪はソファーでうとうとしている。


「凪、自分の部屋に戻って寝ろよー」

「部屋まで行くのだるい」

「そんなところで寝てると風邪ひくぞ」

「ぬー……。じゃあ千颯、部屋まで連れてって―」


 凪は目を閉じたまま一向に動こうとしない。その様子を見て、千颯は深々と溜息をついた。


「仕方ないなぁ……」


 千颯がソファーの前でしゃがむと、凪はのそのそと起き上がって千颯の背中に乗った。軽視できないほどの重みを感じながら、千颯は凪を二階の部屋まで運んだ。


 一仕事を終えてリビングに戻ってくると、雅から感心したような視線を向けられた。


「千颯くん、いいお兄ちゃんやねぇ」

「いいように使われてるだけだよ」


 千颯は自嘲気味に笑った。


 さっきだって凪にごねられるのが面倒だから運んだだけだ。100%の親切心でやったわけじゃない。


「俺は流されやすいタイプだから」

「うん、知っとる」


 千颯の言葉にあっさりと同意する雅。その反応に拍子抜けしてしまった。


 もうちょっとフォローするとかあるだろう。いつもの建前はどこにいった?

 力なく笑う千颯を見つめながら、雅は言葉を続けた。


「まあ、うちもおんなじかもなぁ。偽彼女になってほしいっていう千颯くんの頼みを聞いてはるからねぇ。今日だって千颯くんのご両親に挨拶する流れになった」

「その件に関しては、本当に申し訳ありません……」


 偽彼女の話を持ち出されると、申しわけなさでいっぱいになる。雅には現在進行形で厄介ごとに巻き込んでいるのだから。


「そんな謝らんといてー。本気で嫌やったらとっくに断っとる」

「そうなの?」

「せやで」


 雅の焦げ茶色の瞳が、まっすぐ千颯を見つめた。


 千颯はずっと気になっていた。雅はどんな気持ちで偽彼女を演じてくれているのか?


 雅は表面上では嫌そうな態度は見せないから、本心が読めずにいた。だけど先ほど発言から、そこまで嫌がっているわけではないことが読み取れた。


 雅はまっすぐ千颯を見つめながら続ける。


「うちなぁ、千颯くんとおるの結構楽しいんやで。流されるのも悪くないなぁって、最近は思ってはるんよ」

「俺といるのが楽しい? 別に俺は何もしていないような……」

「何かしてるとかは関係あらへんよ。一緒に学校行って、お弁当食べて、しょうもない話をしながら一緒に帰るだけでうちは楽しいんやから」


 一緒にいるだけで楽しい。雅からそう言ってもらえたことは素直に嬉しかった。


「この関係もいつかは終わりが来るかもしれへんけど、それまでは楽しく過ごせるとええなぁ」

「うん、そうだね」


 自分たちは本当の彼氏彼女ではないから、いつかは終わりが来ることは分かっている。だけどそれまでは、お互い楽しく過ごせたらと考えていた。

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