第40話 お泊り

なぎ、どういうことか説明しろ」


 ダイニングテーブルで千颯ちはやと凪が向かい合って座る。怒られることを察した凪は、顔を引き攣らせていた。


「そ、そのー、今日はみやびさんと虎の子のライブDVDを見る約束をしていてー」

「聞いてないんだけど?」

「言い忘れてました! ごめんなさい!」


 凪はテーブルに頭を擦りつけて謝罪をした。その様子を見て、千颯は溜息をつきながら脱力する。


「そもそも俺に何の相談もなく話を進めることがおかしいだろ」

「だって、千颯にとって雅さんは彼女だけど、私にとっては推し友なんだよ! 千颯抜きで遊んだっていいじゃん!」

「遊ぶだけならいいけど、泊りっていうのは……」


 千颯は頭を抱える。怒りよりも呆れが上回ってきた。

 そして呆れの先にあるのは諦めだ。


 千颯と凪が話し合いをしていると、髪を乾かした雅がひょっこりリビングの扉から室内を覗いていた。


「お取こみ中?」


 その姿を見て、千颯は光の速さで土下座をした。


「さっきはごめん! 覗くつもりはなかったんだ!」


 頭を床にこすりつけて誠心誠意謝った。そういえば、雅に土下座をするのは二回目だなとぼんやり思った。


 千颯の反応を見た雅は、慌てふためく。


「ちょっと顔上げて! びっくりしたけど、あれは事故みたいなもんやろ?」


 雅は怒っている様子はない。男に下着姿を見られたら、怒りに任せて思いっきり引っぱたかれるのがお約束だろう。


 だが実際には、千颯に制裁が下ることなく、何喰わぬ顔で千颯の横を素通りした。


「忘れよ、お互い」

「……うん、分かった」


 意外にもさっぱりしている雅。お咎めなしと下されたことで、千颯も頭を上げた。

 それから雅は千颯と凪を交互に見る。


「揉めとったみたいやったけど、どしたん?」

「そ、それがぁ……」


 凪は千颯にお泊りの情報が伝わっていなかったことを説明した。

 話しを聞き終えた雅は「あー……」と気まずそうに苦笑いをしていた。


「凪ちゃんから話がいっとると思って、うちからは千颯くんに伝えへんかったからなぁ。これはうちの落ち度でもあるわぁ」

「そんな! 雅さんは悪くないです!」


 凪がフォローするも、雅は苦笑いを浮かべるだけだった。


「そんなら今日は帰った方がええ?」


 凪と話していた雅が、ちらっと千颯に視線を向ける。その顔はがっかりしているように見えた。


 あらためて雅を見る。


 風呂上がりの雅は、すでにパジャマに着替えている。前に突然自宅に訪問した時とは違う、アイスクリームの柄がプリントされた淡いオレンジ色のワンピースだ。


 髪型もいつものまとめ髪とは異なり、低い位置のツインテールでゆるっと結んでいた。結び目には紺色の小さなリボンが付いていた。


 パジャマでありながらも完璧にコーディネートされた姿から、今日のお泊りのためにわざわざ準備してきたことが伺える。


 そして雅の鞄の隣には、大量のライブDVDが入った紙袋。これから始まるであろう鑑賞会のために持ち込まれたのだろう。


 雅がお泊りを楽しみにしていたことはすぐに分かった。そんな状態で追い返すのは忍びなかった。


「いいよ、帰らなくて」


 千颯がお泊りを許可すると、雅は目を丸くした。


「ええの?」

「だって楽しみにしてたんでしょ? いまさら帰すなんてできないよ」


 初めは戸惑っていた雅だったが、千颯が迷惑そうにしていないと分かると、少しずつ頬を緩めた。


「ありがとう、千颯くん。うち、友達の家にお泊りって初めてやったから、すっごく楽しみにやったんよ」


 無邪気に笑う雅を見ていると、微笑ましい気分になった。すると凪が千颯の腕に絡みつく。


「さっすが千颯! 心が広い!」


 調子に乗り始めた凪にイラっとしたが、それ以上は何も言わないでいた。


*・*・*


 パジャマ姿の女子二人がキッチンで仲良く料理をしている。


 黄色のロゴワンピースに着替えた凪は、じゃがいもの皮むきをする雅を感心したように見つめていた。


「ピーラー使わずに皮むきできるんですね。というか皮むくの早っ!」


 ソファーから遠目に眺めていた千颯も、雅の手際のよさに感心していた。これは普段から料理をしている人の手付きだ。


「こんなん褒められることでもなんでもないわぁ」


 雅は謙遜していた。たしかに普段からクオリティの高いお弁当を作っているんだから、じゃがいもの皮むきなんて造作もないだろう。


 雅はテキパキと野菜の下ごしらえを終えて、鍋で鶏肉を炒める工程に入った。


 我が家のキッチンで雅が料理をしているのは、なんとも不思議な光景だ。ぼーっと眺めていると、ニヤニヤしている凪と目が合った。


「雅さん、なんだか新妻みたいだね」


「たしかに」と同意しかけた千颯だったが、すぐに我に返った。


「何言ってるんだよ! そんなこと言ったら雅に失礼だろ!」

「またまた照れちゃってー」


 ムキになる千颯を見て、凪はさらにニヤニヤと笑った。一方、雅は怒るでも照れるでもなく、凪の戯言をさらりと受け流していた。


「あはは! 凪ちゃんはおもろいこと言うなぁ」


 やっぱり雅は大人だ。


 その後も順調にカレー作りは進み、千颯の出る幕もなくテーブルには美味しそうなカレーが並んだ。


「いただきます」


 三人で手を合わせてからカレーを食べる。一口食べた瞬間から自然と笑みがこぼれた。


「美味しい!」


 市販のカレールーを使っているからある程度食べなれた味だったが、それでもいつもより美味しく感じた。にんじんやじゃがいももほとんど煮崩れしていない。


 千颯が夢中で食べていると、凪が美味しさの秘密を明かした。


「今日はね、たまねぎを炒める時にバターとにんにくを入れたんだよ。あとじゃがいもは先に柔らかくしておいたのを後入れしたの、だからどろどろに溶けてないんだよ。全部雅さんが教えてくれたんだぁ」

「なるほど。そんな裏技が」


 市販のルーを使ったカレーでさえも、とびきり美味しく作れてしまう雅の腕前に感心してしまった。


「喜んでもらえて嬉しいわぁ」


 二人が美味しそうにカレーを食べるのを見て、雅は嬉しそうに微笑んでいた。

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