第31話 朝まで一緒に!?

 突然「まだ帰りたくない」と言い出した愛未あいみ。思いがけない言葉をかけられて、千颯ちはやは固まった。


 黒目がちな瞳にじっと見つめられて、心臓が掴まれたような感覚になる。


「帰りたくないっていうのは、ご飯も食べて行こうって意味?」


 冷静を装いながら尋ねると、愛未はふるふると首を振った。そして、妖艶な笑みを浮かべながら囁いた。


「違うよ。朝まで一緒にいようって話」

「朝まで!?」


 朝まで一緒になんて、どう考えたってエロいシチュエーションしか思い浮かばない。想像するだけでクラクラしてきた。


「千颯くん、いまエッチな想像しているでしょ?」

「そんなことは……」

「いいよ、千颯くんだったら、そういうことシても」

「ええ?」

「だって私、千颯くんの愛人だし」


 愛人と口にする愛未は、いつになく大人びて見えた。

 愛未の甘い毒に侵された千颯は、だんだん正常な判断ができなくなる。


(愛人ならいいのか? 雅だって俺のことが好きなわけじゃないから、愛未とどうなろうが知ったこっちゃないだろうし。あれ? これは一線超えてもいいやつなんじゃ……)


 千颯は愛未を見つめる。


 上目遣いでうるうると見つめる黒目がちな瞳。ぽってりとしたサーモンピンクの唇。ほんのり赤く染まる頬。そのすべてを手に入れたいという衝動に駆られた。


 長年片想いをしてきた相手から、こんな風に誘惑されたら冷静でいられるわけがない。


(俺はやっぱり愛未のことが好きだ)


 千颯はあらためて自分の感情を再認識した。


 それなら何も迷うことはない。お互い同意の上なんだから、問題はないはずだ。

 自制心を手放して欲望のままに手を伸ばしたとき、不意にポケットに入れていたスマホが振動した。


 その瞬間、我に返る。


「ごめん。LIENが……」


 千颯はポケットからスマホを取り出す。画面を確認すると、雅からメッセージが届いていた。


『デートどうやった(・∀・)? ちゃんと愛未ちゃんを楽しませてあげられたん?』


 心配してくれているのか信用がないだけなのか分からないが、雅が気にかけてくれていたことは伝わった。ゆるい顔文字も雅らしくて、思わず笑みがこぼれた。


 その一方で、愛未は不機嫌そうに唇を尖らせる。


「私と話しているのに急にスマホ弄り出すってどうなの?」


 そう指摘されて、自分が無礼な行動を取ったことに気がついた。


「ごめん! いつもの癖で!」

「もう、せっかくいい雰囲気だったのに」


 愛未は溜息をつきながら千颯から一歩離れた。


 雅からのメッセージがきっかけで、先ほどまでの甘ったるい雰囲気はすっかり消え失せていた。愛未は千颯のスマホを見つめながら尋ねる。


「LIEN、雅ちゃんから?」

「そうだよ。よく分かったね」

「分かるよ。千颯くん、嬉しそうな顔してたし」

「嬉しそうな顔なんて……」


 千颯は咄嗟に両手で顔を抑える。嬉しそうな顔をしたつもりはなかったけど、愛未にはそう映ってしまったらしい。


「ごめんね。話の途中だったのに」

「いいよ。雅ちゃんが一番で、私が二番手なのはもともと分かっていたことだし」

「そういうわけじゃ、ないんだけどなぁ……」


 本当は愛未のことが一番好き。そう伝えたかったけど、蛙化現象のことがあるから正直には伝えられずにいた。ここで好意を伝えたら、再び気持ち悪いと逃げられてしまう可能性があるからだ。


 想いを正直に伝えられないもどかしさに、千颯は溜息をついた。

 それから愛未はくるっと回転して、千颯に背を向けた。


「まあ、いきなりお泊りってのは急展開過ぎたね。ごめん、さっきのは忘れて」

「うん。さすがに泊まるのはマズいよ。俺達高校生だし……」

「そうだよね。高校生じゃラブホも入れないし」

「ラ、ラブホって……」


 愛未の口から直接的なワードが飛び出して、千颯の方がタジタジになっていた。

 振り返った愛未は口元に笑みを浮かべながら、ひらひらと手を振った。


「じゃあね、千颯くん。また明日」


 駅とは反対方向に歩き出す愛未を咄嗟に呼び止めた。


「どこいくの? 駅まで一緒に帰ろう?」


 千颯と愛未は最寄り駅が同じだ。だから当然一緒に帰るものだと思っていた。


 千颯の誘いを受けた愛未は、「あー……」と何かを考え込んでから、気まずそうに苦笑いを浮かべた。


「私、今日は帰らないつもりだから」

「え? 帰らない?」

「うん。正確には帰りたくないかな」

「そんな……どうして?」


 思いがけない事情を明かされて、千颯は目を丸くした。すると愛未は視線を落としながら言葉を続けた。


「ちょっと、家でいろいろあってね……」


 その言葉で、愛未の家庭環境を思い出した。

 愛未は母親と二人で暮らしている。親子関係は決して良好とは言えなかった。


 その辺りの事情は、愛未から蛙化現象の事実を明かされたときに聞かされていた。


 愛未の言う「いろいろ」には、千颯が想像しているよりもずっと根深い問題があるような気がした。


「帰りたくなかったから、俺と朝まで一緒にいようとしたの?」


 先ほどの愛未の行動の意味が、少し見えてきた。図星だったのか、愛未は気まずそうに笑った。


「あはは、ごめんね。私、千颯くんを利用しようとしていたんだ。ホント、ごめんね。私の都合に巻き込もうとして」

「それはいいけど、帰らないでどうするつもりなの?」

「漫喫だったら入れるかもしれないし、朝まで適当に時間潰しているよ。千颯くんは気にしないで」


 愛未はこれ以上千颯を巻き込むまいと壁を作っているように見えた。


 だけどそんな話を聞いたら放っておくことはできない。女子高生を夜の繁華街で一人にするなんて危険すぎる。


「ばいばい。千颯くん」


 千颯に背を向けて歩き出す愛未。その背中を追いかけて、咄嗟に腕を掴んだ。


「放っておけるわけないだろ」

「え?」


 愛未は目を丸くしながら固まる。戸惑う愛未に、千颯は告げた。


「行くあてだったら俺が作るから! 一人になろうとしないで!」


 揺るぎない視線を向ける千颯に、愛未は釘付けになる。愛未の瞳に微かに光が宿った。

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