第30話 お忍びデート

「あーあ、なんでこんなことになったんだろう……」


 放課後、千颯ちはや愛未あいみとの待ち合わせ場所に向かいながら己の境遇を嘆いていた。

 愛未から放課後デートに誘われたことに対してではない。もっと根本的なことだった。


 愛未との距離が縮まったことは千颯にとっても喜ばしいことだが、愛人という関係性はどうにも厄介だ。


 雅の許可を得ているとはいえ、堂々とデートをすることはできない。愛未とデートしている現場をクラスメイトに目撃されたら、浮気の容疑がかけられて断罪されるに決まっている。それだけは避けたかった。


 問題はそれだけではない。愛未との距離の詰め方も慎重になる必要がある。


 蛙化現象に悩む愛未のことだ。千颯からぐいぐいアプローチをかけたら、再び「気持ち悪い」と突き放されてしまう可能性がある。


 だからこそ、あからさまに好き好きアピールをするわけにはいかなかった。愛未からアプローチをされても、自制心を保って大人な対応をするしかない。


 好きな相手から好意を向けられているのに、こちらからは歩み寄れない状況はどうにももどかしかった。


(このままでいいのかな?)


 愛未の蛙化現象が治るまでは、この奇妙な関係を続けていく約束だったが、果たして本当に治る日が来るのだろうか? 先行きの見えない関係性に疑問を抱いていた。


 悶々とした気持ちを抱えながらも、愛未に指定された待ち合わせ場所に到着する。人の目を避けられる場所という希望から、「二人きりになれる密室で会おう」と愛未から誘われた。


「ここか……」


 愛未から指定されたビルを見上げる。

 スマホを確認すると『205号室で待ってるね♡』と、メッセージが送られていた。千颯は高鳴る鼓動を抑えながら、ビルの中に入った。


 愛未の待つ205号室に入る。薄暗い部屋の中で、愛未はソファーに腰掛けていた。千颯の姿を見ると、愛未は妖艶に微笑む。


「千颯くん、待ってたよ」


 ガチャンと入り口の扉が閉まると完全に密室になった。狭い部屋で愛未と二人きりという状況を意識すると、心臓が爆発しそうになった。


 心なしか部屋の中が愛未の甘い香りで包まれている気がする。


 緊張のあまり入り口で突っ立っている千颯を見て、愛未はクスクスと笑った。ソファーから立ち上がり、千颯に歩み寄った。そのまま千颯の肩に手を乗せて、甘ったるい声で囁いた。


「じゃあ千颯くん、入れていいよ」

「いいの? 入れちゃって」

「うん。私からは恥ずかしいから」

「俺、あんまり上手くないけど大丈夫?」

「上手いとか下手とか気にしないでいいよ。大事なのは気持ちだから」

「わかった。じゃあ入れるね」


 愛未に促されて千颯は入れた。曲を。

 千颯はマイクを握って歌った。


 おかしな行動でも何でもない。なぜならここはカラオケだからだ。


「あはは! 高音苦しそう。でも千颯くん、良い声だね」


 愛未は千颯の歌を聞きながら、ニコニコと楽しそうに笑っていた。


 正直歌はあまり自信がなかったけど、良い声と褒められたことでホッとした。とりあえず、歌が下手すぎるという理由で冷められるのは回避できた。


 千颯が歌い終わると、愛未も曲を入れる。アップテンポのイントロが流れて歌詞が表示されると、愛未はアイドルのようなキラキラスマイルを浮かべながら歌い始めた。


 その姿は破壊的に可愛かった。千颯は目を細めながら可愛く歌う愛未を眺めていた。


 この姿を見られただけでも、カラオケに来た甲斐があった。一曲歌い終わると、愛未は恥ずかしそうにマイクを置いた。


「こんなんで良かった? もっと落ち着いた曲の方が千颯くん好みだったかな?」

「そんなことないよ! すごく良かった! めちゃくちゃ可愛かった」


 千颯が素直に感想を伝えると、愛未はポッと頬を赤らめた。


「千颯くんにそう言ってもらえると嬉しい」


 それからも二人は交互に歌い続けながらカラオケを楽しんだ。


 千颯と愛未の音楽の趣味は結構被っていることが発覚して、アーティストの話題で盛り上がるシーンもあった。かなりコアなバンドの話題を出しても愛未はついて来てくれた。そのことで、千颯のテンションは一気に上がった。


 和やかに過ごしていると、あっという間に退室5分前になった。千颯はマイクやストローの袋を片付けながら愛未に話を振る。


「今日は楽しかったね。愛未がこんなに歌が上手いなんて知らなかったよ」

「私なんて全然だよ。千颯くんの歌も良かったよ。一生懸命歌っているって感じて、応援したくなった」

「それ、あんまり褒めてないでしょ?」

「ふふふ、どうだろう?」


 お会計を済ませてから、二人はカラオケ店を出る。

 空はすっかり暗くなっていたが、居酒屋やカラオケ店の看板が夜の街を明るく照らしていた。


「じゃあ、帰ろうか」


 そういって駅に向かおうとした時、不意に愛未が千颯の袖を掴んだ。千颯が振り返ると、愛未は上目遣いで囁いた。


「まだ帰りたくないって言ったら、どうする?」

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