第26話 本当の自分
穏やかに微笑む
「やっと見つけた!」
千颯はぜえぜえと肩で呼吸をしながら、二人の前に駆け寄った。
「二人とも、喧嘩は、やめて」
「喧嘩なんかしとらんよぉ」
息絶え絶えに喋る千颯とは対照的に、雅はしれっと答えた。
雅の意外な反応を見て、千颯は「ええ?」と間抜けな声を上げた。
「二人で話し合うって言うから、てっきり大喧嘩しているのかと。殴り合いにも発展するような……」
「そんなんしいひんよぉ。女の子同士やで?」
「それも、そうか……」
二人の無事を確認できた千颯は、安堵したように脱力して、その場にしゃがみ込んだ。そんな千颯を横目で見ながら、雅は愛未に問いかける。
「なあ、愛未ちゃん。蛙化現象のこと、千颯くんに言わんでもええの?」
突然の問いかけに、愛未は固まる。しかしすぐに攻撃的な視線を向けた。
「言えるわけないでしょ? 自分でもよく分からない感情なのに、理解してもらえるわけがない!」
そう叫ぶと愛未は俯いた。
「え? 蛙化? なんの話?」
話が読めない千颯は、愛未と雅を交互に見つめる。そんな千颯を見て、雅はクスっと柔らかく微笑んだ。そしてもう一度愛未と向き合う。
「千颯くんなら、理解するまではできひんでも、理解しようと努力はしてくれると思うで?」
雅の言葉からは、千颯への信頼を感じた。
いまだ話の展開が見えない千颯に、雅は近付く。そしてその場にしゃがみ込んで、千颯と視線を合わせた。
「千颯くん、前に言っとったなぁ。本当の自分を受け入れてほしいって」
千颯は過去の記憶を遡る。愛未から強引に路地裏に押し込まれた日、雅に慰められながらそう打ち明けたのを覚えている。
その言葉に嘘はない。千颯は頷くと、雅は穏やかに微笑んだ。
「本当に欲しいもんはなぁ、まずは自分からあげなあかんよ?」
「自分から?」
「せやで」
雅は頷く。それからぽんと千颯の肩を軽く叩いた。
「千颯くん、本当の愛未ちゃんを見たってな」
そう告げると、雅はゆっくり立ち上がる。それからくるっと半回転し、愛未の方に向き直った。
「ほな、後は二人でちゃんとはなしーやぁ。部外者のうちは退散するわぁ」
雅はひらひらと手を振りながら、千颯と愛未を残して去っていった。
小さくなっていく雅の背中を眺める千颯。呆気に取られていると、愛未が緊張を滲ませながら千颯の前にやって来た。
「あのね、千颯くん。聞いてほしいことがあるの」
それから二人は、コンクリートの階段に並んで腰かけた。そしてあの日伝えられなかった話をした。
過去のこと、愛未自身のこと、本当はずっと好きだったことも。
たどたどしくて上手くは話せなかったけど、千颯は真剣な眼差しで話を聞いてくれた。
あまりに悲惨な内容だったせいか、千颯は辛そうに目を伏せる場面もあった。優しすぎる千颯にはショッキングな話だったのかもしれない。
それでも、千颯は最後まで話を聞いてくれた。
話が終わると、千颯は愛未と向き合った。
「正直に話してくれて、ありがとう」
千颯は笑ってはいなかった。笑って流してはいけないと思っていたのかもしれない。
愛未はゆっくり頷く。顔を上げられずに俯いていると、優しい手の感触が頭に伝わった。
「ごめんね、気付いてあげられなくて」
その瞬間、愛未は感情の制御ができなくなった。
子どものように声を上げて泣く。涙は簡単には止まらなくて、全身の水分が失われるんじゃないか思った。
たぶん、いままで抑え込んできた涙が、一気に溢れ出したのだろう。
取り乱す愛未を前にしても、千颯は逃げなかった。
過去の記憶も、背負いきれない感情も、全部全部包み込むように、愛未の頭を優しく撫でていた。
*・*・*
二人のもとを去った雅は、校門の前でうーんと伸びをした。
「あーあ、これでうちの役目もおしまいかぁ」
千颯に頼まれて引き受けた偽彼女だったけど、二人がよりを戻すならお役御免だ。大役を終えて、雅は安堵の溜息をついた。
偽彼女なんて厄介ごとは、正直引き受けたくなかった。だけど千颯があまりに必死だったから、ちょっとだけ付き合ってあげることにした。
それに朝一緒に登校してくれる人を探していたところだったから、なんでも言うことを聞くという交換条件は雅にとっても好都合だった。
同情と私益から始まった関係。それだけだった。
雅へのストーカーが捕まったいまとなれば、ボディーガードも不要だ。こちら側の問題は解決したのだから、偽彼女から解放されるのは喜ばしいことだった。
だけど、なぜだろう?
雅はどこか寂し気な表情をしていた。
(面倒やったけど、なんやかんやで千颯くんとおるのは楽しかったなぁ)
それは本当だ。千颯と話している時間は、雅にとっても楽しかった。
(これで終わりっていうのも、なんだか寂しいなぁ)
寂しい。胸につかえていた感情の正体に気付いたとき、雅はひとつの可能性に気がついた。
(あれ? もしかしてうち、千颯くんのこと……)
雅は胸を抑える。心臓の音はいつもよりも早くなっているような気がした。
まさかこの感情は恋とでもいうのか?
とんでもない可能性が脳裏によぎったが、すぐにぶんぶんと頭を左右に振った。
「いや、ないない」
誰に聞かせるわけでもなかったが、思わず口に出して否定していた。
「うちは推しがいれば十分なんやぁ」
雅は両手を上げて空を仰いだ。
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