第22話 気持ち悪い/愛未side①

 昔から愛未あいみという名前が嫌いだった。


 愛に未満と書いて愛未。それはまるで、自分が愛されないことを暗示しているようだった。


 実際に愛未は、親から愛された記憶がない。


 愛未の母親は事あるごとに愛未を邪魔だと罵った。

 仕事の邪魔。遊びの邪魔。恋愛の邪魔。人生の邪魔。


 そんなに邪魔に思うなら産まなければ良かったのにと反発したら、2、3発殴られた。


 父親には一度も会ったことがない。母親は未婚のまま愛未を出産したため、面識はなかった。


 親戚にも会ったことがなく、愛未は誰にも助けを求められずにいた。


 小学生の愛未は、男の子のような姿だった。リサイクルショップで調達した男の子向けの古着を着せられて、髪を短く切られていたからだ。


 周囲の女の子と比べると少し異質だった愛未は、女の子達からいじめられた。

 学校にいる時間は苦痛だった。だけど家にいるのも苦痛だった。


 昼間は母親の彼氏が我が物顔で家を占拠する。怒鳴られるのが怖いから、愛未は部屋の隅で小さくなっていた。


(私のような人間は誰からも愛されない)


 愛未はずっとそう思っていた。


 しかし、中学に上がった頃、ある人物が愛未に光を与えた。


 藤間ふじま千颯ちはや


 入学式で席が隣になった男の子だ。


 千颯は人懐っこい笑みを浮かべながら、愛未に名前を尋ねた。愛未と名乗ると、漢字はどう書くのかと訊かれたから、手のひらに指でなぞって字を教えた。


 すると千颯は、こう言った。


『愛に未来って書いて愛未って素敵だね。希望に満ち溢れてるじゃん』


 愛未は「は?」と思った。口には出さなかったけど。


(そんなポジティブな解釈をする人間がこの世にいるなんて)


 信じられなかったけど、目の前で笑う千颯は揶揄っているようには見えない。本心からそう言っているんだと気付いた。


 その日を境に、愛未は自分の名前がほんの少し好きになった。


*・*・*


 愛未は千颯に興味が湧いて、観察するようになった。


 家族構成は両親と妹の四人家族。血液型はO型。誕生日は6月14日。身長は162センチ。体重は不明。好きなタイプは清楚な女の子――。


 愛未は千颯と接触するため、髪を伸ばして清楚な女子を演じた。


 中学校は制服があるからいい。おかげで愛未の素性がバレずに済んだ。髪型と制服のシワにさえ気を付けていれば、簡単に清楚を装えた。


 千颯とは同じクラスだったこともあり、時々会話を交わすことがあった。


 男子は女子の笑顔に弱いと聞いたことがある。だから愛未は、千颯と話すときは笑顔でいることを心がけた。


 千颯もよく笑う男の子だった。


 無邪気な笑顔を浮かべる千颯の周りには、大勢の人が寄ってくる。男子からも女子からも愛される千颯は、みんなから下の名前で呼ばれていた。


 千颯は純粋だ。だけどその純粋さは時として周囲からズレることもあり、クラスの男子からいじられるようになった。


 クラスメイトからの罵倒なんて言い返してやればいいのに、千颯は争い事を好まない性格なのか、周囲のいじりに反発することはなかった。


 千颯が反発しないことを都合よく思ったのか、周囲からのいじりは次第にエスカレートしていった。


 無邪気だった千颯の笑顔が、少しずつぎこちなくなっていくのを愛未は感じた。


 そんな時だった。千颯が愛未のことを可愛いと言っていると知ったのは。

 好みの女の子を演じてきた努力が実ったのだ。作戦が成功したことは素直に嬉しかった。


(だけど、所詮は見た目だけ)


 愛未はそう自覚していた。


 それから千颯は、愛未をネタにしていじられるようになった。


 千颯は愛未に被害が及ぶこと気にしていたようだったけど、愛未本人はクラスメイトからの揶揄いなんてどうでもよかった。くだらないガキの言葉に一喜一憂するほど、愛未は感情豊かではなかった。


 そんなある日、愛未の下駄箱の中にラブレターが入っていた。

 差出人は千颯。だけどその文面は、どう考えても千颯が書いたものとは思えなかった。


 状況はすぐに理解した。愛未は手紙に従って、放課後の教室に向かった。


 教室に入ると、千颯は心底困った表情をしていた。その表情を見て、自分が好かれているわけではないと思い知った。


(やっぱりそうだよね。千颯くんが私を好きになるなんてありえない)


 薄々察していたことだったけど、目の前で現実を突きつけられるとやっぱりショックだった。


(ああ、私は千颯くんのことが好きだったんだ)


 この段階になって、ようやく自分の気持ちに気付いた。

 憂さ晴らしにクラスメイトに冷たい言葉を放った。そして千颯にも一言。


『好きでもない相手に告白しちゃダメだよ』


 その言葉は、愛未の心を深く抉った。

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