第17話 京美人が家にやってきた

「お、お邪魔します~」


 みやびは警戒心を滲ませながら家に入る。玄関に放置された靴と室内を見比べながら、そわそわと様子を伺っていた。


「大丈夫、この時間は誰もいないから」

「逆に大丈夫じゃないわぁ。誰もいないお家に二人きりやなんて」


 雅は落ち着きなく視線を泳がせながらツッコミを入れた。


 あの後二人は電車に揺られて千颯ちはやの家にやって来た。時間つぶしの意味合いもあるが、コーヒーをぶちまけられたシャツを洗いたいという事情もあった。


 最初は千颯の家に来るのを拒んでいた雅だったが、時間を潰すあてのない雅は渋々ついて来てくれた。


 警戒する雅に、千颯は伝える。


「指一本触れるつもりはないから安心して」

「ほんま頼むで? うちいま、そういうの過敏になってるから、変なことされたらほんまに嫌いになるで?」

「分かってるよ。俺だって雅に嫌われたくない」


 その言葉は本心だった。家に連れて来たのもやましい気持ちは一切ない。単純に雅を放っておけないという思いからだった。


「とりあえず、俺の部屋で待ってて。二階だから」

「うん、わかった……」


 雅は通学バッグを両手で抱えながら、遠慮がちに階段を登る。千颯の部屋入ると、雅は「ほえー」と感心したように目を丸くした。


「千颯くんのお部屋、案外片付いとるんねぇ」

「まあね。散らかしてると親に怒られるから」


 六畳の洋室は人から咎められない程度には片付いていた。


 床に洋服が散乱していることもなければ、漫画やゲームはきちんと棚に収納されていた。ベッドの上にはスウェットが丸まっているが、それくらいは許容してほしい。


「適当に座ってて」

「は、はーい」


 雅は遠慮がちにちょこんと床に正座した。


 千颯はコーヒーの付いたシャツを脱ぐため、ボタンに手をかける。インナーにまで染みていたことに気付いた千颯は、そのまま全部脱いだ。そこで雅からストップが入る。


「ちょっ! 何しとん?」


 上裸になった千颯は、首を傾げる。


「何って、着替えてるだけだけど?」

「そんなんレディーの前でやらんといて! はしたない!」

「男の裸なんて隠すもんでもないでしょ」


 とくに気にせず服を脱いだ千颯だったが、雅は顔を真っ赤にして眉をひそめていた。仕方ないから、千颯は適当なTシャツを一枚手に持って部屋から出た。


 そのまま洗面所に向かい、洗面器に水と液体洗剤とシミの付いた衣類をぶちこむ。付け置きしておけば落ちるだろう。落ちなかったらその時はその時だ。


 その足で冷蔵庫から2Lのペットボトルのお茶とガラスのコップ、買い置きしてあったチョコレート菓子を持って部屋に戻った。


 部屋に戻ると、雅は緊張した面持ちでちょこんと正座をしていた。


「楽にしていいよ」

「そんなん言われても……うち、男の子の部屋入るの初めてやし」

「俺だって、クラスの女子を部屋に入れたのは初めてだよ」

「そうなんやぁ……」


 気まずい空気が流れる。女子と部屋で二人きりなんてシチュエーションは初めてだったため、どう時間を潰していいか分からなかった。


 間を繋ぐように千颯はお茶をコップに注ぐ。雅は「おおきに」とお礼を言ってから、お茶をくぴっと飲んだ。


 沈黙が流れる。


 このまま千颯の部屋にいても時間を持て余すだけだ。それならと、こんな提案をしてみた。


「せっかくだしさ、どっか出掛ける? 東京観光したいなら案内するよ」


 その言葉で雅の目の色が変わった。


「え? ほんまに?」

「うん。どこか行きたいとこある?」

「あるある! めっちゃあるわぁ!」


 雅が誘いに乗ってきてくれたことで、千颯はホッとした。

 雅は普段よりも三割増しテンションを上げながら楽しそうに話す。


「東京観光はなぁ、家族で行ったんやけど、お寺とか美術館とかそんなんばっかやったからなぁ。うちのお母さん、教養を身に付けなあかんゆう人やから、堅苦しいとこばかりに連れて行きたがるんよぉ。でもほんまは、もっと栄えとる街に行きたかったんよ」

「栄えてる街って、具体的には?」

「渋谷とか新宿とか池袋とか、いろいろあるやん。でも一番行ってみたいのはあそこやなぁ」

「どこ?」

「原宿!」


 雅はビシッと指をさしながら言った。


「原宿かぁ」


 原宿なら千颯の家から三十分ほどで行ける。ときどき妹の買い物の荷物持ちとして連れて行かれることもあったから、多少は案内もできた。


「うん。じゃあ行こうか原宿」

「わーい! おおきに!」


 雅が楽しそうにしているのを見て、千颯は安堵した。

 しかし、気がかりなことがひとつ。


「さすがに制服で行ったらマズいんじゃない? 学校サボってるのバレバレだし」

「あー、せやなぁ」


 雅は唇を尖らせながら制服を見つめた。


 一度雅の家に寄ってから出かけるのは現実的ではない。そもそも雅は家に帰ることを躊躇っていたから、千颯の家までやって来たのだ。


 考えた末、千颯はある提案をした。


「じゃあ、妹の服を貸そうか?」

「え? いいの? てゆうか、千颯くん妹おったんや。いくつ?」

「年子だからいまは高一。学校は違うけどね」

「そうなんやぁ。勝手に服借りて大丈夫なん?」

「平気じゃない? あんまり細かいこと気にする奴じゃないし。怒られたら俺が謝っとくよ」

「えー、迷惑やなかったら、お言葉に甘えさしてもらおうかなぁ」

「うん。全然いいよ」


 千颯は立ち上がり、妹の部屋に向かった。


 千颯の部屋と同様にキレイに片付いた妹の部屋。千颯は何のためらいもなく侵入し、クローゼットを開けた。


 クローゼットには、ワンピースやらブラウスやらがハンガーにかかって整列している。サイズ的には問題なさそうだったが、センスの面では自信がなかった。


 一度自分の部屋に戻り、雅に確認する。


「服、どういうのがいい? スカートとかズボンとか希望があれば」

「なんでもええよぉ。千颯くんの好きなの選んで」


 センスを試されるような発言に若干戸惑う。だけどこんなことで時間をかけるのは馬鹿馬鹿しく思えたため、さっさと選ぶことにした。


 再び妹のクローゼットを開け、適当な服を見繕う。


 いくつかの服を手に取ると、ウエスト部分で切り返しの入った水色のワンピースに目が留まった。膝下丈でカットしたスカートは、ふんわりと広がっている。全体的に清楚な雰囲気のワンピースだった。


(これなら雅に似合いそう)


 千颯はワンピースと、寒さ対策の白いカーディガンを手に持って、自分の部屋に戻った。ワンピースとカーディガンを差し出すと、雅はニヤニヤと意味深に笑った。


「へー、千颯くん、こういう清楚系がタイプなんやねぇ」


 おちょくられていることに気付いて、千颯は顔を赤くしながら視線を逸らした。


「そういうわけじゃ、ないよ」

「言っとくけど、清楚なんて幻想やで?」

「夢を壊すようなこと言わないで!」


 千颯の反応が面白かったのか、雅はケラケラと笑っていた。


「じゃあ、着替えさせてもらうから、向こう行っとってくれる?」

「ああ、うん。終わったら声かけて」

「覗いたらあかんよ?」

「覗かないって!」


 千颯は足早に部屋から出て、リビングに退避した。


 当然だが覗くつもりはさらさらない。リビングのソファーに身体を預けながら、声がかかるのを待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る