第11話 未練
(何なんだよっ、さっきの! 俺を弄んで楽しんでるのか?)
好きな人から弄ばれたことに、ショックを受けていた。
好きだった人、と過去形にできないあたり、まだ
(愛未は俺を惑わすためにあんなことをしたのか?)
そうだとしたらタチが悪い。自分の身体が武器になることを理解して、千颯に攻撃を仕掛けてきたのだ。
愛未の小賢しさに腹が立つと同時に、まんまと術中にハマっている自分が情けなくなった。
頭を抱えてしばらくベンチで項垂れていると、誰かが千颯の前で足を止めた。
「どしたん?」
顔を上げると、目を丸くする
「雅……」
「また泣いとるん? 何があったん?」
心配そうな表情でハンカチを差し出す雅を見て、千颯は張り詰めていた糸が切れた。
「みやびー! 俺、もうどうしていいか……」
「ちょっ、こんなとこで号泣せんといて!」
千颯は人目も気にせず、涙と鼻水を垂らした。
それから雅に促されて、ホーム端のベンチに移動した。ここなら人の目も少ない。千颯が泣いていたとしても、不審に思われることはなかった。
「なんか飲む? 缶ジュースでよかったらおごるで?」
「……それ断らないといけないやつでしょ?」
「これは本気やわぁ」
雅の厚意に甘えて、炭酸飲料をおごってもらう。シュワシュワと弾ける炭酸を口に含むと、少し気持ちが落ち着いた。
呼吸が落ち着いてきた頃、雅は遠慮がちに尋ねた。
「木崎さんになんかされた?」
千颯は静かに頷いた。それから先ほどの出来事を包み欠かさず伝えた。
説明を終える頃には、雅はプルプルと身体を震わせながら怒りを露わにした。
「信じられへん! 人の心を弄ぶような真似して!」
雅は手に持っていた缶ジュースを強く握った。それから愛未への非難の言葉が溢れ出す。
「そんなん千颯くんの心が自分に向いてへんのが気に食わんだけやろっ! 自分から振ったくせに図々しい! 騙されたらあかんで!」
千颯が想像していた以上に激怒する雅を見て、当の本人は徐々に冷静さを取り戻した。
「ありがとう、俺のために怒ってくれて」
「千颯くんのためやない! 胸糞悪い話聞かされてムカついとんねん! これだから東京の女はっ!」
勢い余って東京中の女子を敵に回すような発言をしたが、すぐに「こんな言い方は偏見か」と反省した。
雅は缶ジュースを一気に飲み干すと、カンっと音を立てて、ベンチに叩きつけた。
「で、千颯くんはどうするん?」
「どうするって?」
「木崎さんと復縁するのか、しないのか。そんなに泣いとるんは、まだ好きやからやないの?」
愛未への想いまで見透かされて、千颯は戸惑う。
雅の言う通りだった。あの時、迫りくる愛未にときめいてしまったのは紛れもない事実だ。
遠くから何度も見つめていた愛未の横顔。それが息遣いの感じるほどの至近距離で見つめられたのだから、ときめかずにはいられない。
思い出したくなくても、先ほどの光景が何度も蘇っていた。
不埒な考えを見透かすような大きくて黒目がちな瞳、不敵に微笑むサーモンピンクの唇、首元に這ったやや温度の低い指先。思い返すだけで理性が吹き飛びそうになった。
疑いようもなく、千颯は愛未に惹かれていた。
「まだ、好き」
我ながら馬鹿なんじゃないかと思う。あんな危険な女とはさっさと距離を取った方がいいに決まっている。
頭ではそう分かっているけど、長年育んできた恋心を否定するのは簡単ではなかった。
「一途やなぁ」
雅は呆れたように目を細めていた。
愛未への恋心を否定できない千颯だったけど、これだけは言える。
雅からは「しょうもない」と言われることも覚悟していたが、自分の弱さを曝け出した。
「だけどもう、傷つきたくない」
情けないけど本心だった。これ以上愛未に深入りして、傷つくのが怖かった。
「恋は往々にして傷つくものやと思うけど?」
妙に達観したセリフを言う雅。だけど千颯を馬鹿にしているようには見えなかった。千颯は言葉を続ける。
「そうかもしれないけど、俺はありのままの自分を受け入れてくれる相手を好きになりたい」
傲慢なのかもしれない。素の状態でイケメンでもなんでもない自分が、何の努力もせずに愛されるなんて都合が良すぎるのかもしれない。多少はカッコつけなければ、土俵にすら立たせてもらえないのかもしれない。
傲慢だということは分かっていたけど、心の中ではそんな夢物語を望んでいた。
「せやなぁ、わかるで」
雅は現実を突きつけるわけでもなく、ただ共感してくれた。その優しさがとても心地よかった。
「このまま作戦続けるん?」
雅の問いかけに、千颯は小さく頷いた。
「迷惑かけてごめん……」
「ほんまやで」
雅は呆れたように笑っていた。だけど不思議と、迷惑そうには見えなかった。
◇◇◇
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