第2話 蛙化現象

 失恋のショックから校舎裏で倒れこむ千颯ちはや


 アスファルトの硬さを全身でもろに感じながら涙を流していると、パタリパタリと足音が聞こえた。


 足音は千颯のすぐそばで止まる。


「なにしてはるん?」


 顔を上げると、京美人が千颯を見下ろしていた。


 相良さがらみやび

 今年の春からうちのクラスに転校してきた女子生徒だ。


 雪のように白い肌に、ぱっちり二重の大きな瞳。ツヤのある黒髪は、サイドのおくれ毛を残しつつ、後ろ複雑に絡み合ってまとめられていた。


 体型はやや小柄で細身だけど、ブラウスの胸元ははっきりと膨らみを主張している。ロリ巨乳って実在するんだなぁ、というのが転校初日の千颯の感想だった。もちろん本人には伝えていないけど。


 相良雅は京都出身ということもあり、京都弁ではんなり喋る。


 彼女が喋っているだけで、周囲はぽやぽやとにやけてしまう。美少女と京都弁という組み合わせは破壊的に可愛かった。


 おまけに相良雅は立ち居振る舞いも上品だった。


 ひとつひとつの動作がゆっくりで丁寧。先生にあてられて黒板に向かう時も背筋をしゃんと伸ばして流れるように歩き、黒板には形の整った美しい文字を書いていた。


 相良雅は完璧な美少女だった。あまりの美しさに、転校初日から京美人がやって来たと騒ぎになったくらいだ。


 そんな京美人、こと相良雅は眉をひそめながら千颯を見下ろしている。不審に思っているのがありありと伝わってきた。


 相良雅にまで気持ち悪いと言われたら、学校に通うことすら危ぶまれそうだ。千颯は気力を振り絞り、なんとか返事をする。


「死体ごっこ、してました」

「悪趣味な遊びやなぁ」


 相良雅は呆れたように顔を引き攣らせていた。


「藤間千颯くんやったよね? 泣いてはるん?」

「あ……うん……」


 千颯は自分が泣いていたことを思い出し、慌てて涙を拭った。


「悲しき業を背負った死体という設定なので」

「そういうのええから」


 咄嗟の言い訳は、あっさりとあしらわれた。

 それから相良雅は千颯の前にしゃがみ込む。


「何があったん? 話くらいやったら聞くで?」


 綺麗にアイロン掛けされたハンカチを差し出す相良雅。千颯はありがたくハンカチを受け取って涙を拭いた。ハンカチからは、微かにお香のような上品な香りがした。


 涙を鎮めてから、千颯は答える。


「たいしたことじゃないので、お気になさらず……」

「たいしたことやなかったら、そんな風にはならへんよ」

「いえ本当に。昨日付き合った彼女から、一日で気持ち悪いとフラれただけなので」

「そら、たいしたことやろ」


 相良雅は同情的な視線を向けていた。


 ひとまず相良雅は、千颯を気持ち悪がっている様子はない。そのことに千颯は安堵した。


 相良雅の助けを借りながら、何とか地面から起き上がる。千颯が立ち上がってからも、相良雅は心配そうに千颯を見つめていた。


 この子は純粋に自分を心配してくれている。その事実に気付いた瞬間、強がるのが馬鹿らしく思えてきた。


 千颯は相良雅の優しさに甘えることにした。


「実は……」


 千颯は先ほど愛未から告げられた痛烈な言葉を包み隠さず伝えた。

 相良雅は「それはそれは」と同情的な視線のまま話を聞いていた。


 一通り説明すると、相良雅はひとつの結論を下した。


「それは蛙化現象やなぁ」

「蛙化現象?」


 聞きなれない言葉に千颯は首を傾げる。すると相良雅は詳細を語った。


「好きな相手が振り向いた途端に、気持ち悪いって思う現象やねぇ。最近では、相手のカッコ悪い一面を見た瞬間に冷める現象もそう呼ぶらしいけど」


「両想いになった瞬間、冷めるってこと? 意味分からないんだけど」


 千颯には到底理解しがたい現象だった。


 千颯の場合は、両想いと分かった瞬間、より一層愛未のことが好きになった。これからは一生かけて愛未を守る。そんな使命感に震えるほどに愛未に夢中になっていた。


 それなのに、向こうは両想いになった瞬間冷めるって、どういう心理状態なんだ?


 百歩譲って相手の悪い一面を見て冷めるのは理解できる。千颯だって、愛未が非人道的な行為に加担していたら、変わらずに愛していられるかは分からない。


 だけど今回千颯がした行動は、どれもこれも常識の範囲内だ。誰かを傷つける行為でもない。千颯にとってはいつも通りの行動だった。それなのにフラれるって……。


 頭を抱える千颯に、相良雅が一言。


「女心は複雑やからなぁ」


 そんな言葉で片づけられても困る。振り回された男心はどうしたらいいんだ?


 ジクリと胸が痛み、再び泣きそうになった。だけど女子の前だからなんとか堪えた。


 すると相良雅は大きく溜息をつく。それから千颯の肩をぽんと叩いた。


「こんなええ男を振るなんて、木崎さんも見る目あらへんなぁ」

「ええ男?」


 意外な言葉に千颯は目を丸くする。

 まさかクラスで人気の京美人に、良い男認定されるとは。


 千颯は特段イケメンでもない。全体的に薄い顔立ちで、肌は生まれつき白い。女子からは塩顔と揶揄やゆされることもあったが、そこにイケメンというオプションが付かないのが残念なところである。


 そんな千颯も、相良雅から見れば良い男なのか?

 地に落ちた自尊心が少しばかり上昇したのを感じた。


「良い男なんて、参っちゃうなぁ」


 思わずにやけてしまう千颯。一方、相良雅はどこか白けた表情をしていた。


「ああ、社交辞令が通じひんタイプなんやなぁ」

「え? 何か言った?」

「いや、こっちの話や」


 ボソッと呟く相良雅の本音には気付かなかった千颯は、良い男と言われたことに手放しで喜んでいた。


 メンタルが回復してきた千颯を見て、相良雅は安堵したように息をつく。それから千颯の意思を確認した。


「そんで、藤間くんはこれからどうしたいん?」

「え?」

「だから、木崎さんとどうなりたいの?」

「どうなりたいって……」


 できることなら復縁したい。千颯はいまでも愛未が好きだからだ。傷つけられたのはショックだけど、それでもまだ嫌いにはなれずにいた。


 だけどいまさら復縁なんて無理に決まっている。愛未からは、気持ち悪いとはっきり言われてしまったのだから。


 一度気持ち悪いと思った男とよりを戻す可能性なんてゼロに等しいだろう。

 もう一度好きになってもらいたいけど、多分無理。


 それならいっそ、馬鹿みたいな理由で振ったことを後悔させてやりたい。逃した魚はデカかったと思い知らせてやりたい。


 愛未に後悔させたところで、状況が何も変わらないのは分かっている。大好きな愛未を傷つけるだけのように思える。


 そもそも愛未は後悔すらしない可能性もある。一度振った男がどうなろうと関係ないという考えなら、千颯が何をしたって愛未には届かない。


 復讐なんて何も生まない。


 そんなのは分かってるけど、ここで何もしなければ愛未への未練が立ち切れないように感じた。この先もずっと愛未の幻影を追って生きていく可能性すらある。


 それならいっそ、見返してやりたい。


 悲しみを力に変えて行動して、これで良かったと自分を納得させたい。愛未が後悔する姿を見れば、この悲しみも少しは癒えるような気がした。


 千颯の中に浮かんだどす黒い感情を、包み隠さず伝える。


「……愛未を見返してやりたい」


 千颯の言葉を聞いた相良雅は、フフっと口元に笑みを浮かべた。


「せやったら、元カノ以上の可愛い彼女を作るしかあらへんなぁ」


 その表情は、どこか小悪魔的に見えた。おのれを侮辱した相手を許してはおけない。そんな執念深さを垣間見た。


「愛未以上の可愛い彼女なんて……」


 いるはずがない。そう結論付けようとしたところで、目の前の京美人が視界にとまった。


 ……いた。ここに。

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