第29話
「シア!今日は野菜がこんなに!」
「美味しく出来たよ!」
あれから、少しずつ活気を取り戻していると言っても、落ち込んだ心はすぐに浮上してくれるわけでもなく、心はどこか重く沈んだままだった。だけど、皆も傷ついている筈なのに明るく私を気遣う姿を見て、いつまでも落ち込んでいられないと切り替える。
昼は明るく笑顔を作って、それでも夜は涙して。……その度にフィンが子犬の姿で慰めていてくれたから、聖獣の姿は嘘であったかのように思えてしまう。
「シア!沢山狩ってきたよ!明日の仕込みをするんでしょ?」
「ありがとう、フィン」
あれからも変わらず幼い姿で接してくれるフィンだからこそ、私は態度を崩さずにいられる。
元ペットで……幼い専属従者として……元の乙女ゲームからは完全に外れてしまっている設定なのに、攻略対象の姿になったフィンにはどこか恐ろしさを感じるのかもしれない。それを機敏に感じ取ってしまっているのだろう。
「フィン様!さすがですね!」
「……フィン」
獣人達から、様付けされる事もあるが、その度にフィンは今まで通りに接して欲しいとでも言わんばかりに不機嫌な返事を返している。あまりに言っても直らない人に対しては完全無視を決め込む程で、思わずその光景に嬉しさから笑みが零れてしまう事がある。
変わらない、そんな日常がどれほど幸せなものか。今、目の前にある平穏が、どれだけ大切なものか。
「もう王太子殿下は王都に着いた頃かしら」
「とっくに着いてるんじゃないかな」
深手を負っていただろう魔獣は、怪我が治っているにも関わらず、今は私の膝でゆっくり休んでいる。思わずその毛並みを撫でて、もふもふに癒される反面、その毛艶から健康状態は悪くないという事が分かって安堵の息も漏れる。
「まぁ着いた後が大変だろうけど」
「どうして?」
不機嫌に答えるフィンへ、思わず疑問を投げ返した。
「今更、聖獣が実在していました、とか報告したところで王家が納得するわけない」
「……」
確かに、と言いそうになったが、ゲームではどうだっただろうと記憶の紐を辿る。聖獣の存在を国へ公にしたという描写もなく、特に大事になっていた事もなかったように思える。ただのゲームとしてならば、ご都合主義で終わる話でも、現実問題となれば、その裏では一体どんな事があったのだろう。しかも公爵家の従者だったのだ。
「……まぁ、俺のせいといえば、そうなんだけどね……」
ポツリと呟くようなフィンの言葉に、それ以上聞く事は躊躇われた。フィンにもフィンの事情があるのだろう。
「シア!新しい調味料が来たって!」
「本当!?」
向こうからローアンが手を振っているのが見える。一体どんな調味料が来たというのだろう。わくわくした気持ちを抑えつつ、膝に乗る魔獣をどうしようか悩んでいると、フィンがソッと魔獣を近くの木陰に移して手を差し伸べてくれた。
私だけでなく魔獣にも優しくするその姿に、心からの笑みが漏れる。
「なんなんだ……一体」
改めて見る光景に、ロドルスは驚愕の一言でしか表す事が出来ない。
人間と敵対している筈の獣人や魔獣と一緒に笑い合う人間達。その中心に居るのは、愛想笑い程度しか浮かべた事のなかった公爵令嬢。思わず自分の目を疑い、これは夢かとさえ思える。しかし、数日前に起こった現実が頭にチラつけば、目を背けるわけにはいかなかった。
――あの時に感じた違和感。
学園で笑顔を振りまくリディと、愛想のかけらもないミゼラ公爵令嬢。それが正反対と言わんばかりに破壊を命じたリディと、泣き叫ぶミゼラ公爵令嬢。
……そして……全てを何かのせいにして怒り狂うようになったリディと、幸せそうな笑顔で暮らすミゼラ公爵令嬢……。
胸を締め付けられる痛みと、魔獣や獣人の癖にズルいという気持ちが沸き起こってくる。……相手はリディじゃないのに……人間相手でもないのに……これは嫉妬という感情である事は理解している。
……家族の温もりを知らず、その温もりを未だに求め続ける自分に嫌気を感じながらも、求める事は止められない。
ロドルス・ティアド。
紫紺の髪は腰まであり、紫の目も長い前髪で隠れている。それだけでなく体つきも華奢な為、一見すると女に見間違えられる程だが、その身に宿る魔力は膨大だ。
生まれてすぐに魔力暴走を起こした為、それからずっと王宮預かりになり、ずっと魔術師団で魔力調整を行う日々だった。その為か、実の親と会った事があるのも数える程だ。たまに会えば、その目は恐怖に怯えている事が分かったからこそ、こちらからも会いたいと伝える事もなかった……。離れて暮らしていれば、実の親と言われても実感すらない。
家族って一体何なんだろうな、と思いつつ日々を淡々とこなす毎日。人生なんて所詮こんなもので、この魔力は国にとって有益らしいから、適当な駒として扱われて適当に捨てられるものだと達観していた。……けれど、学園に入る前には魔力調整が整い、入園してから目に映る世界が変わった。
――リディに出会ったから。
手を握られたり、抱きしめられたりして、人の温もりを知った。貴族のマナーとしては、はしたないとされている行為である事は理解していたけれど、初めての温もりにマナーなんてものは吹き飛んだ。初めて生きていると思えた。
人の温もりを知り、人を恋しく思う気持ちを知る。だからこそ……今までのような寂しい日々に戻りたくなくて、リディに依存して……リディが望むものは全て叶えようと思っていたけれど……。
「同じ……?」
目の前には、人の温もりを求め、与え、笑顔で暮らす人々。むしろ、たった一人にだけ依存していた自分が……そして、その残酷な願いを叶えようとしていた自分が……とてもちっぽけな存在に思え、そして重大な間違いを犯したのではないかと思えた。
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