第23話

「待ってください!」


 馬車に乗り込もうとした私達の後ろから、焦ったような声がかかる。思わず振り向くと、走ってこちらへ向かってくる王太子殿下が見えた。

 不機嫌さを隠さないお父様の眉間に皺が寄り、早く馬車に乗るよう促された瞬間……。


「大変申し訳ありませんでした!」


 いきなり王太子殿下が頭を下げた事により、呆気に取られる。


「少し話があります。ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか」


 真剣な王太子殿下の瞳に、お父様は怪訝な表情を隠しきれないというか、隠す気もないようだ。どうしようか、と言わんばかりにお父様やフィンに視線を向けるが、どちらも困惑というか怒りも隠し切れないようだ。だけど……この王太子殿下は、最初から最後まで一貫して王族に非があると理解し、行動していたように見える。


「……わかりました」

「ありがとうございます」

「シアが良いのなら」


 私の言葉に、お父様も渋々頷く。フィンはどうかと盗み見ると、何故か小首を傾げて珍しく考え込んでいるようだ。

 そんな私達を後目に、王太子殿下は、素早く城の者に指示を出したかと思うと、一緒に馬車へ乗り込んだ。



「端的に言わせていただきます。今は森で暮らしているとか……」


 開口一番、まさかの事を口にした王太子殿下へ対し、思わず眉をひそめてしまった。


「……何を?」

「いや大丈夫です!国王達は知りませんから!」


 お父様の低く冷たい声に、王太子殿下は慌てだす。そもそも療養中と言ってはあるが、森で暮らしているなんて言ってない。というか、森で暮らし始めたのだって、どちらかと言えば最近の話だ。それをもう知られているという事は、見張られているのか。

 フィンを見ると、周囲を伺った様子を見せた後、こちらを見ると首を振った。

 ……という事は、今は見張られていないと。まぁ目の前にそれを命じた人が居るなら、当然か?なんて思いながらも、淑女マナーにあるまじきジト目で、つい見てしまう。


「……いや、ホントに悪意はない。身の安全を確かめたかったから調べただけだ」

「……何故、王太子殿下が?」


 それこそ理解出来ない。王太子殿下が自ら調べる事でもない気がする。

 確かに王家に対する不信感を拭うためというのもあるだろうけれど、私の事を調べるより立て直す方が先に思える。そもそも、私の事を調べるなら、今日の感じだと国王王妃両陛下が調べるべきだろう。

 王太子殿下の真意を見極める為にも、殿下の目を、表情を見ながら次の言葉を待つ。


「……僕は、不貞が許せない。……何故だか分かるだろう?」


 そう言われ、ハッと気が付く。お父様に目を向けると、お父様もこちらに目を向け頷いている。そうだ……王太子殿下は……。

 窓の外に視線を向け、遠くを懐かしむように景色を眺める王太子殿下の瞳は悲しみに染まっていた。






 ダリス・ヴィ・アルヴァン。十八歳。

 我が国の王太子であるが、未だ婚約者もおらず、この国では珍しく独身だ。理由は上位貴族であれば知っている。

 王太子殿下も例にもれず、十歳の頃に婚約者を決めていた。しかし十五の時、花嫁修業を苦に感じたのか、当時の婚約者はまさかの不貞を働いて取りやめになったのだ。王族だからこそ、血を大事にする。そう簡単に不貞を犯し、何かあって王家の血を絶やしてしまう事になんてなれば大問題だ。

 ……実際、どの世でも托卵なんてものはあるのか、と溜息つきたくもなってしまう。

 結婚を取りやめ、相手方の家に賠償を求めたところで、既に高位貴族の令嬢達は婚約者がいる。年齢が近しい者もおらず、殿下は未だ独身だ。


「だからこそ、身の安全を確かめたかった。あくまで自分が安心する為だ。身内の無礼で不幸になっていたら助けるつもりだったが、充実した生活を送っていて安心を得る事が出来た。所詮は僕の自己満足でしかない」


 そう言い切った王太子殿下は、真っすぐな瞳をしていた。


「……ありがとうございます」


 困惑しつつも、感謝の言葉を紡ぐ。

 不貞を働かれ、私が不幸になったら本当に全力で助けるつもりだったのだろう。むしろ、未だに1人で居る王太子殿下こそ、その寂しさが募っているのではないかと邪推してしまう程だ。

 前世の記憶を取り戻したからこそ、むしろそんな早く結婚しないといけないのか、なんて思っている。本当に貴族というのは面倒臭いとも。しかし、前世の記憶がなかったら、どうなのだろう。結婚もせず半人前で、周囲は皆既婚者の中で1人寂しく仕事に励む……いや、考えただけで悲しさしかない。むしろ胸を抉られる。


「……ディアスの動きは察していた。色々怪しい所があったから。色々と背後から手を入れてはいたが、完全に止める事が出来ず申し訳ない」

「いえ、それは大丈夫です。元々嫌々ながらの婚約でしたから。王命ですよ?王命」


 思わずバッサリとぶった切ってしまう。むしろあのまま結婚していたとしても幸せはなかっただろう。

 驚きに目を見開いた王太子殿下は、その後にブハッと素の笑いを噴き出した。


「そこまで言うか?まぁ王命での婚約も珍しいな!」

「王命じゃない婚約でも不貞を働かれるのですから、本人の意思なんて全く関係ない王命ならば余計ですよ」


 これはある意味でのフォロー。王太子殿下の婚約は王命ではなかった。きちんと本人達の意思を確認した上だと言う。それは相手の令嬢が公爵家という事と、優秀であった事からだった。……それでも、王太子妃、ゆくゆくは王妃となる者の教育は厳しかったのだろう。


「……そうだね」


 王太子殿下は遠くを見つめ、僕は甘いのかもしれない、とポツリと呟いたのは実弟の事もあるのだろうか。

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