第21話
「なんだと!?リディが抜けだした!?」
クロアド・エルズ公爵令息は、肩まである水色の髪を靡かせながら、その茶色い瞳を見開いた。報告を聞けば聞く程に、自分への情けなさや、未だに状況把握の出来ないリディへの怒りに身体が震えていく。
――自分はとんでもない間違いを犯したのではないか。
その事だけが頭の中を駆け巡る。
五歳で神童と呼ばれた。大人になれば凡人、という事もある中で、どんどん才覚を表して脅威の記憶力を誇るようになった。既に頭の中には王城にある本の半分は詰め込まれている、生きた書物とも言えよう。
そんなクロアドでも、次男という理由だけで家督を継ぐ事は出来ないからと、その記憶力を発揮する為に宰相補佐として働く道を見つけたのだ。そして、第二王子の側近にも選ばれた。
「くそっ!」
机に自分の拳を叩きつける。書類やインクの事など、頭の中にはなかった。ただただ、自分の行いを悔いるような……夢から覚めた諦めが心を占めた。
「貴族令嬢の嗜みくらい……簡単に出来るようになると思っていたが……」
自分は簡単に理解し実践出来た為、そこまで危機感は抱いていなかった。けれど、リディは全く出来ないどころか、授業さえマトモに受けようとしないのだ。挙句、城を抜け出した。
「しかも、あの二人とか……」
自嘲気味に笑うと、人払いをして部屋の中で1人、物思いに馳せる。
書物から得られる知識は素晴らしいというのに、それを吸い込む自分がとてもつまらないものに思えていた。感情が動く事もなく、表情も乏しかったからこそ、本当にただ知識として理解するだけで共感等一切出来なかった。
そんな中で、リディに出会った。表情がコロコロ変わる様は羨ましくもあり、尊敬もした。自分にないものを持っているリディから目が離せなくなるのは、あっと言う間だった。だからこそ、リディが幸せそうに笑うなら、リディの幸せの為ならばと第二王子と共に断罪劇まで行ったのだが……。
「大きな間違いだったというのか……っ!」
断罪劇から今日までの事を思い起こす。
学園に居た頃は可愛らしい我儘でも、一国の王子妃となるには許されない事も多かった。リディには辛く厳しい道のりになるだろうが、それでもリディなら頑張ってくれると思っていたし、それに対して最大限協力するつもりだった……。
しかし、その気持ちも空しく、日々リディは癇癪を起こして我儘を言うばかりだった。
山のような書類に目をうつす事もせず、ただ項垂れた。自分の犯した過ちに苛まれていた。
謹慎中とは言っても、クロアドのしている宰相補佐の仕事は重大な為、仕事だけは閉じ込められた空間でせねばならなかった。それだけクロアドの頭の中には資料とも言える膨大な情報量がつまっていたのだ。
「落ち込んでる暇もない……か」
国の為、民の為。自分の間違いで荒れてしまっている国に対する罪滅ぼしかのように、それから必死でクロアドは仕事をした。
空の下。側近の二人と抜け出したリディに対する気持ちは、もう憐れむ気持ちだけとなっていた。
「これは一体どういう事だ?」
謁見の場に響く、低く鋭い声に、集められた者は身体の震えを隠せなくなる。
壇上には国王夫妻と王太子が並び座っており、跪いているのは第二王子とリアレス、クロアドだ。
「リディア・ファルス伯爵令嬢は城から抜け出したと聞くが?」
国王の声に、事の重大さを理解しているリアレスとクロアドは顔面蒼白になるばかりだ。
「一体これから、どうしていくつもりだ」
あえて何も言わず、こちらに問いかけられ、リアレスとクロアドは返す言葉もない。王妃に至って扇で口元を隠してはいるが、眉間に寄せた皺を隠そうともしない。本来であれば表情を読み取らないようにする筈だが、言葉に出来ない分、表情に出して嫌悪感を見せつけているようだ。
「お言葉ですが!真に愛する者同士の方が手に手を取りやすく……」
「逃げ出しておるではないか。教育はどうなっている?」
馬鹿が。まだ事の重大さを理解していないのか。
クロアドは、そんな言葉が口から出そうになるのをグッと堪える。チラリとリアレスを見ると、呆れたような表情をしていた。
「リディなりに頑張ってくれております!」
「全く進んでないと報告に上がっておるが?」
国王陛下の冷たい目線に気が付く事もなく、ディアスは食って掛かっている。
「レティシア嬢であれば……」
「あんな性悪、王家に迎え入れるのには相応しくありません!」
「マナーが出来ていないものを受け入れる方が恥ずかしいでしょう。王族を何だと思っているのです!」
王妃陛下の零した言葉にも、ディアスは食ってかかる。実際、マナーが出来て知識もある方を迎え入れるべきではある。王族は国の顔なのだ。性悪だろうが国の為、民の為に動ける人物が最適なのは当然だ。
「陛下、ミゼラ公爵とレティシア嬢がお見えになりました」
ただ跪き続けるリアレスとクロアドは、陛下達がミゼラ公爵を呼びつけた理由をすぐに理解した。最低でも貴族をまとめ上げるにはミゼラ公爵と王族が仲たがいをしていてはいけない。しかし、それに反するかのようにディアスは驚きと怒りの表情に満ちた。
「何でシアが!」
「ディアス。……後はないぞ。自分で考えろ」
ディアスの声を遮り、国王はそれだけ言うと、王妃や王太子殿下と共に謁見の場を去っていく。全員、これからミゼラ公爵達と会うのだろう。
残されたのは、最後通告を受け、自分の過ちをただ悔やけ懺悔するかのように膝をついているリアレスとクロアド。そして……怒りの表情に燃えるディアス。
「何で……何で俺が……俺のせいじゃない……」
ブツブツ呟いているディアスに、自分の主はここまで愚かだったのかと言う思いと、止めきれなかった自分達の愚かさを思いながら、リアレスとクロアドも謁見の場を去っていく。
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