もう一人の彼女

三鹿ショート

もう一人の彼女

 頭部を踏みつけられ、私は今日も口内を土で満たしている。

 昨日とは味がどれほど異なっているのかなどと考えていなければ、この時間を乗り越えることはできなかった。

 そのとき、彼らが何やら騒ぎ始めた。

 私を踏みつける力が弱まったため顔をあげると、角材を手にした一人の少女が、私を虐げていた連中と争っていた。

 相手の拳や蹴りをいなしては角材で反撃しているために、彼女が傷つくことはない。

 一方で、私を虐げていた連中は次々と地面に倒れていく。

 追撃とばかりに彼女は連中の首や腹部を踏みつけていき、やがて立っているのは私だけと化した。

 右手で角材を担ぎ、左手で私に向かって彼女が手を振ってきたため、私は思わず、同じような行動をしてしまった。

 踵を返し、離れていく彼女を、私は眺めることしかできなかった。

 一人で連中を倒したこともそうだが、そもそも、彼女がこのような行為に及ぶとは考えていなかったのだ。

 何故なら、私が虐げられるようになった理由は、今の私のような状況だった彼女を救ったことが切っ掛けだったからだ。


***


 彼女は、弱々しさを絵に描いたような人間だった。

 常に俯きながら猫背で歩き、声をかけられれば動揺を露わにし、聞き取ることが不可能なほどに小さな声で喋る。

 学業成績や運動能力は底辺に位置し、およそ褒められるような人間ではなかった。

 ゆえに、彼女は弱者をいたぶる連中の標的と化してしまった。

 人目も気にすることなく虐げられていたが、彼女に手を差し伸べる人間は存在していなかった。

 彼女を助けたところで、得をするようなことが無いことは、明らかだったためだろう。

 だが、私にとっては異なっていた。

 私が救うことで、他者から優しくされたことなど無い彼女は、私に対する想いを強くすることだろう。

 虐げられる彼女には申し訳ないが、異性に縁が無い私にしてみれば、逃すことが出来ない好機だったのである。

 しかし、結果は見ての通りだった。

 連中の個々の能力がそれほど高くは無いとはいえ、それが集まれば、大きな力と化す。

 だからこそ、私は敗北することになってしまったのだった。

 苦しんでいる彼女を利用しようとした罰なのだろうと考えたため、私は連中の暴力を受け入れていた。

 何時しか飽きるときが訪れるだろうと諦めていたが、まさか彼女に救われるとは、想像もしていなかった。

 だが、彼女が彼女と同一人物であると考えることは、出来なかった。

 腰まで届くような長髪が短くなり、それに加えて金色に変化していた。

 肌が露出することを避けていたが、今では胸元や太腿を強調するかのように衣服を着崩している。

 言葉を聞き取ることが可能と化したが、言葉遣いが乱暴であり、以前の彼女の姿を考えれば、元々そのようなものだったと思うことは出来なかった。

 全てにおいて、彼女は別人のように変化していたのである。

 ゆえに、私は救ってくれた感謝の言葉を告げるついでに、

「これまでと比べると、随分と姿が変化したが、何かあったのか」

 私の問いに、彼女は天気の話でもするかのような様子で、

「私は、きみの知っている私ではないからだ」

「どういう意味だ」

 彼女は自身の胸に手を当てると、

「元々の私にとって、この現実は苦難の連続だった。当然ながら、精神状態は悪くなる一方である。だからこそ、私のような別の人格を生み出し、現実から逃れようとしたのだ」

 私は、言葉を失った。

 彼女にとって、それほどまでにこの世界は生き辛い場所だったのだろうか。

 そのような彼女を利用しようとした自分が、恥ずかしくて仕方が無かった。

 私が返事をせずに立ち尽くしていると、彼女は口元を緩め、私の肩を軽く叩いた。

「きみがそれほど気に病むことはない。あのとき、きみが救ってくれたことは、彼女も喜んでいた。ゆえに、私は彼女の代わりに、きみに恩返しをしたというわけだ」


***


 それから私は、彼女ではない彼女と同じ時間を過ごすようになった。

 彼女ではない彼女を通じて、辛い現実の中にも私のような味方が存在するのだと知ってもらうことが目的だったのである。

 しかし、半年ほどが経過しても、彼女が戻ってくることはなかった。


***


 ある日、私は彼女ではない彼女に、自宅に呼び出された。

 話したいことがあると告げていたが、改まって何を語るというのだろうか。

 自宅を訪れた私を出迎えた人間を見て、私は己の目を疑った。

 彼女が、二人も存在していたからだ。

 厳密に言えば、その外見は全く異なっている。

 一方は以前の彼女であり、もう一方は彼女ではない彼女のそれだった。

 私が阿呆のように口を開けていると、彼女ではない彼女は笑みを浮かべた。

「騙していて悪かったが、我々は双子なのだ」

 彼女は顔を赤く染めながら、口を動かしていた。

 おそらく謝罪の言葉なのだろうが、聞き取ることはできなかった。

 状況を理解することができない私を前に、彼女ではない彼女は、隣に立っている彼女の肩に手を置くと、

「私は学校に通ったところで意味が無いほどに出来が悪かったため、学校に通っていなかった。同時に、他の人間などどうでも良いと考えていたが、姉のことは大事に思っていたのだ。虐げられていることを知ったとき、私は姉の敵を討とうとしたが、そこを救ってくれたというきみのことを嬉しそうに語る姿を見て、考えを改めた」

 彼女ではない彼女は私を指差すと、

「優しくされることに慣れていない姉が騙されないためにも、私がきみのことを査定しようと考えたのだ。姉として学校へ通った理由はそのこともあったが、しばらく姉には休んでもらいたかったということもある。まさか、もう一つの人格という話をこれほどまでに信じていたとは思わなかったが、これまで共に過ごしたことで、きみが良い人間だということは、充分に理解することができた」

 彼女ではない彼女は、私に向かって手を差し出すと、

「きみならば、信用することができる。これからは、共にこの姉を支えていこうではないか」

 状況をようやく理解することができたため、改めて眼前の姉妹を見つめる。

 彼女ではない彼女である妹がこれほどまでに美しいのならば、彼女も努力すれば、周囲を見返すことができるのではないか。

 彼女を利用しようとした詫びとして、その努力の一助となることに抵抗はなかった。

 あわよくば彼女を自分の恋人とするようなことは考えず、彼女が自信を持つことができるようになるために、真剣に彼女と向き合うことを決めた。

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もう一人の彼女 三鹿ショート @mijikashort

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