第1話 心体性矛盾理論は無限の極夜によく溶ける④


「今空がどうなってるかご存知ですか?」


「知らない人間は居ないんじゃないですか?雲に覆われて朝昼関係無く深夜の様に空は真っ暗。異常事態ですよね。」


「では最終的にあの雲がどうなるかわかりますか?」


「どうなるって・・・世界から太陽の光を奪うこと以上の何かが起こるんですか?すいません。質問を質問で返して。」


「ちょっと難しかったですね。結論から言いましょうか。太陽の光を奪う以上の事が起こります。」


ハレの声が緊張を帯び始めた。


「最終的にあの雲は地上まで降りてきて土地や人類全てを飲み込み自分たちのエネルギーにするんです。」


「どうして言い切れるんですか?」


「千年前に、日本の小さな集落で同じことが起こったんです。」


「千年前?」


普通の会話では使わない表現に翔は思わず聞き返す。

おかしな発言をした自覚は無いのかハレはそのまま続ける。


「はい。今と同じように夜以外が無くなり、雲が降りてきてその土地は歴史と地図から姿を消しました。勿論教科書にも載ってません。」


「その後はどうなったんですか?」


「対処する為に私が雲の中に出向きました。しかしそこで雲は地上から奪ったエネルギーを元に防衛生命体を作り、私と交戦しました。結構強くて苦戦しましよ。生命体は化物みたいな見た目してて戦って疲れました。」


ハレは半笑いでそう言った。


「だから今回も同様排除を試みました。しかし、あの雲には透明で強固なバリアが展開されていました。千年前にあんなもの無かったのに。人類が未だあの雲の正体がわからない理由もバリアに阻まれ調査できないのが原因でしょう。秘密裏にあのバリアを壊そうと各国は努力しているそうですが無理でしょうね。僕の力でも壊せなかったので。」


「そうなんですか。じゃあどうしようもないですね。」


翔は他人事のように呟く。


「それがそんな事も無いんですよ。実はあのバリア唯一の欠点を見つけました。あのバリアは何故か十三歳から十五歳、いわゆる中学生だけは出入り自由だったんです。」


そこまで言われればハレが何を言うのか想像に困る事はない。


「お願いします。私の代わりに君があの雲に行っていただけませんか?勿論全力でサポートもしますし報酬も払います。」


そして間を置いて言葉を足した。


「人類の為に力をかしていただけませんか?君じゃなきゃダメなんです。」


翔にはハレがわざとその言葉を付け足したようにしか聞こえなかった。


「いやです。そんな所に行きたくない。滅びるなら滅びればいい。俺はいきたくありません。」


翔はこの世界が嫌いだった。


一貫性も無く、その場その場で好かれる言葉を吐く人間が優遇される。


例えばイジメは駄目だと言ったその口で他者に罵詈雑言を浴びせたり、酷い目にあってる人間に必ず守ると言ったのに、肝心な時に自分可愛さに裏切る人間がのうのうと生き残る世界。


けどそういう自分が嫌いな人種程成功して笑って過ごしている。


つまり世界というのは『そういう人種』の所有物だ。そんな奴らの所有物の為に、どうして危ない場所に行かなければならないのだ。


「なら君は何処に行きたいんですか?」


ハレの声もはっきり言い返してきた。親に子供が説教するような。


その態度が言い返す気の無かった翔から言葉を引き出させる。


「頼んでる側が説教ですか?俺は今の生活に満足しています。何処にも行く必要なんてない。早く俺の部屋に戻してください。」


「満足しているか。それが本音ならどうして母と死んだ祖母に後ろめたく感じてるんですか?」


「やっぱりまだ心を読んでいたのか。」


話題を変えてハレの不義理を攻めた。ハレの言い分には言い返す事ができなかったから。


「会った時偶々聞こえただけですよ。心の三分の一を占めていた大きな叫び。無視なんてできません。君がそうやって誰とも関わらずに過ごす事を母が、そして死んだ祖母の佳恵さんが望んでいると思いますか?」


その言葉は翔の心に突き刺さり古傷を抉った。治る事のないその傷口から祖母との思い出がポタポタと流れ落ちる。


翔の祖母は今年の七月一日に亡くなった。


悲しみに暮れた翔だったが、二日後に決まった葬式には出席しなかった。


中一の夏から約一年引きこもっていた彼は親族と合わせる顔が無かった。


いつもいつも心配して連絡をくれる祖母に『これから頑張ります。』と何回送っただろうか。


その内容を大層に見せる無駄な肉付けと体裁の取れた文章だけが上手くなっていく。


おばあちゃん。俺は何も頑張って無かったんだよ。期待にもこたえられてない。


『翔君は六年生で身長が百六十八センチもあるんだ!凄いね!きっと将来は大きくなるよ!』


ごめん。確かに中二になった今身長は百七十六あるけど俺は何も大きくなってない。


『翔君は顔がカッコいいから髪は短めの方が良いよ!』


ごめん。外に出て無いから前髪は目にかかってるし耳が隠れるくらい伸びてる。


『貴方のお母さん、お父さんと別れてから一人で貴方を育てるって気を張ってると思う。だからずっと仲良くしてあげてね。』


ごめん。おばあちゃんの葬式の日。母さんと大喧嘩してそれ以降気まずいままだ。


あれは・・俺が初めて母さんに怒鳴られた日でもあったんだっけ。


「あんた葬式来ないって本気で言ってるの⁉」


「合わせる顔が無い。」


あの日の部屋は荒れていた。洗い物は溜まっていて、脱いだ服が散乱し、机には何かの書類が整理されず散らばっていた。


喪服を着ている母さんの目は腫れていて、声は前日に大声を出し続けた後の様に枯れていた。


きっと俺の居ない何処かで泣いていたんだと思う。


「自分の事ばかり考えていい加減にしてよ!おばあちゃんいつも翔の話してたんだよ!自分の病状は悪化するばかりなのに『翔君は大丈夫なの?』って翔の心配ばっかり!その想いに応えようとすら思えないの⁉」


「それでも行けない。俺はおばあちゃんみたいな優しい人には会えない。」


「わかった!じゃあ母さん一人で行くからね!」




最悪の一日を思い出し終え、自然とため息を漏らした。


「亡き祖母の願いを叶え、お母さんを安心させたいとは思いませんか?事情はどうであれ貴方が自分の部屋から一歩踏み出して外に出る。それだけで二人の期待に応えていると言えます。だからついでにこの世界を助けてくれませんか?」


ハレの正論が揺れかかっている翔の思考を打ち切らせた。


悩んでいる人間を諭すときに正論を持ち出す奴はクソだ。


正論と言うのは自分の身勝手な理由を正当化させるための物だ。


例えばこんな事を言っている奴が居た。


『イジメられるのはイジメられる側に原因がある。イジメられたくないなら本人が変わるしかない。』


その通りだと思う。この意見を支持するかは別問題だが間違った事は言って無い。


だがこういう台詞は決まってイジメを、理不尽を行う側が言っている。


・・・・いや言っていた。


この『人の心を読む人外』が何故人類の味方をしているのか知らないが、こいつにも立場があって俺を利用しなければ立場が危ういから、情に訴えかけるなど、とにかく必死なのだろう。


そうに決まっている。お前の事情も、人類の事情も知った事か。


それが嘘偽りの無い翔の本心だった。ならば言い返す言葉は決まっている。


「良いですよ。貴方に協力しても。だからこれからの事を教えて下さい。」


「え!」


ハレが少し狼狽える様な反応を示した。まるで予想外の反応が返って来た様に。


「そうですか・・・・。本当にありがとうございます。」


相変らず視界は暗黒のままだった。翔はハレの顔は愚かの自身の指先すら見えない。


それでも安堵と喜びを帯びたハレの声からは誠意が伝わり、相当切迫した状況なのは伝わった。


俺が応じてくれたから一安心って感じなのかな。何を期待されてるかは知らないけど。


翔は直前までは断るつもりだった。しかし断れなかった。


母や祖母に抱いていた申し訳無さは本物で、安心させたいという気持ちも本物だった。


「今更だけどかなり危険です。本当に大丈夫ですか?」


「本当に今更ですね。別に良いですよ。引きこもっててやることも無かったので。」


「嘘をつかなくても良いですよ。君が引きこもって何をしていたか。僕は知ってます。それはあの雲の上で必須の物となるでしょう。」


確かに翔は引きこもって何もしていなかった訳では無い。彼自身『それ』に心当たりはあったが、戦いの役に立つとは思えない。


「意味が分からないです。」


「あの上に行けばわかります。」


そう言い終わるとハレは『さて』と会話の終わりを予見する発言をした。


「丁度時間切れですね。私はこれから予定があるのでこれ以上は説明できません。集合場所など必要最低限の情報は戻ったら勝手に頭に入っています。なのでまず集合場所に時間通り来て下さい。それではまた会いましょう。」

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