第20話 慈愛の心は自棄の元②
翔と美羽はリビングのテーブルに向かい合って座った。
「ごめんね。もう大丈夫だから。」
そう言った美羽の表情は、翔がいつも見ている弱さを見せない頼もしい物だった。
「一々謝らないで欲しい。悪いのは俺なんだから。」
翔は美羽の自分より他者を優先する気質に尊敬と少しの不安を抱いていた。自分の感情に蓋をして、ぶつける場所も無く自傷行為に走る。
まるで傷つけるより傷つく方が良いと言わんばかりの生き方。一体本人にどれだけ負担がかかっているんだ。
今すぐにでもやめて欲しい。
それなら学校に行けと無神経に怒鳴られた方がマシだ。
いやむしろ怒鳴られたい。
だからこそ翔は、不登校になった結論から話すと決めた。
「俺、友達を殺したんだ。」
「うん。」
美羽は眉一つ動かすことなく即答した。
ああやっぱりこの人には叶わないな。
先程泣いていた表情が嘘みたいにどんな事を言われても受け止める覚悟を持った強い目つき。
まさしく母親の顔つきだった。
カッコいいな。しっかり覚悟を決めて人の秘密を受け止められる人は。
俺にはそんな覚悟は一生ないと思う。
いや・・・・無かった。
「でも、まさか包丁でぶっ刺したとかそんな直接的な話では無いでしょ?」
「ああ・・・・うん。」
翔は話の続きを始める。
「俺のクラスメイトで自殺した子がいたでしょ?
美羽は静かに頷くだけだった。
「偶々席が近くで色んなことを話す仲になったんだ。漫画とかゲームとか・・・・なんのYoutube見てるかとか。血の気が多く無くて、少人数が好きで、物静かで落ち着いてる奴だった。俺は彼のそう言う所が好きだったんだけど、他のクラスメイトはそうじゃなかったみたい。」
翔がせわしなく指を触りながら続ける。
「クラスメイトは『どんなにひどい事言われても言い返さず、友達も少なくて、気弱で影の薄い奴』だって決めつけて彼をイジメるようになったんだ。最初は無視だとか、靴を隠すとかだったんだけど・・・ドンドン内容がエスカレートしていって暴力まで振るわれるようになってた。ズルいのが皆、顔は絶対殴らないんだ。だから静夢はいつもお腹とか腕抑えて唸ってた。授業中もそんな感じだから気持ち悪がられてもっと学校内での立場も悪くなってた。」
一年前のことだが翔は鮮明に覚えてた。詳細に語ることは難しくない。
「静夢も周りに相談してた。けど静夢の両親はいつも夜中に帰って来るし、担任も彼の相談をまともに聞かなかった。」
当時、翔は静夢の相談を蔑ろにした先生に絶望したが今になって振り返ってみれば、先生もどうして良いかわからなかったんだと思った。
大人は忙しいんだから一人の生徒を全力で助ける暇なんてあるわけない。
勿論、だから仕方ないとは簡単に割り切れない。
「そうして最後に助けを求めたのが俺だった。絞り出すような声で『助けて』って手を伸してさ。全てに裏切られて最後の頼みの綱を掴みに行くみたいに。」
翔は美羽の顔を見るのをやめた。指をくねくねと弄り続ける。
「でさ・・・それを俺どうしたと思う?」
唾を一回飲み込んで、冷たい飲み物を飲んだ後みたいに小声でアァと唸る。それから翔は答えを続ける。
「知らねーよ。って言って彼の手を振り払ったんだ。自分の為に。心も体も傷ついてる静夢を見捨てたんだ。」
翔は体の震えが止まらなかった。冷房なんて付いて無いのに歯がガチガチ鳴るのを止められなかった。
「母さん・・・俺は・・・・駄目なんだ。」
声は震え切っていて、言葉の余白をガチガチと歯が当たる音が埋めた。
「それから他の友達ともうまく行かなくなった。あんな事して周りと仲良くできる訳なかったんだ。だから逃げるように引きこもった。あの時どうしたらよかったのか。何をすれば良いのかずっと考えてた。」
結局答えは出ない。先の斎藤美知佳にも翔は気の利いた事なんて一つも言えなかったと嘆いている。
「これが俺の不登校になった理由だよ。忙しかったのに俺みたいな駄目な奴の話聞いてくれてありがとう。母さん。」
美羽は何も言わない。
翔は席を立って自分の部屋に戻ろうとした時だった。
後ろから母に抱きしめられた。
力いっぱい、絶対に離さないと言われた気がした。
「駄目なんかじゃない・・・。」
翔を後ろから抱きしめながら、美羽は呟いた。
「いや・・駄目だったんだ。俺は・・・」
「駄目なんかじゃない。」
美羽の抱きしめる力が更に強くなった。
「だって俺は・・・」
「駄目なんかじゃない。」
言葉を被せる様に翔の発言を遮る。翔は少しムッとした。だから少し息を吸って大きな声で言い返す。
「俺は静夢を救えな・・・!」
「駄目なんかじゃない!!」
それを更に上書きする大きな声量・・・。
部屋が反響して耳がキーンとする。
流石の翔も呆気に取られて何も言う気か無くなった。
母に怒鳴られたのは、これが初めてだった。
「貴方は立派だよ。それをずっと一人で抱えて苦しんでた。・・・もう良いんじゃないの自分を許して。」
「・・・・許せないよ。俺は静夢君を殺したんだ。」
「そんな事言ったらお母さんは何十人も殺してる。その中におばあちゃんだって入ってる。」
「え。」
美羽は翔の前に移動して、両肩を持って話す。
「おばあちゃんが具合悪くて入院してた時、毎日仕事の悩みとか、・・・・・色んなこと相談しに会いに行ってたの。人の愚痴を聞くのって大変じゃない?それが負担になったから死んじゃったってずっと後悔してる。」
「そんなことは・・。」
「あるんだよ。でも一度の失敗も許さなかったら人間は皆死ぬしか無くなっちゃうよ。お願い。自分を許してあげて。」
再び抱きしめられて翔は冷めた目で天井を眺めた。
一度の失敗は許してあげてか・・・。
勿論頭では理解してる。母さんの言う事も納得できる。
自分の幸福の為に、自分の失敗を許す事は必要な事だ。
けれど・・・静夢は納得するのか?
両親や教師に助けを求めて、
『仕事から帰って来たばっかで勘弁してよ。また今度にして。誰の為にこんな遅くまで働いて来たと思ってるの?』
だとか、
『私のクラスにイジメはありません。面倒事を押し付けないで下さい。』
と大人に見捨てられた彼の絶望はどんなものだっただろうか。
俺もそうだ。
『困った事があるなら俺に言え』
なんて漫画のヒーローみたいな事を静夢に言って、本当に困ってる時は何も助けになれなかった。
自分が信じていた全てに裏切られて、一人で死ぬことを選んだ彼は、
学校の屋上から飛び降りた時何を思ったんだろう。
明るい感情なんて間違っても抱かなかっただろう。この世界を・・手を払った人間を恨みながら死んだに決まってる。
・・・せめて俺だけは彼の望み通り生きなきゃ、彼は何の為に死んだんだ?
だから母さん・・・。俺はそうやって生きれない。それに・・・やっぱりその考えは静夢を見ていなくて好きになんてなれないよ。
「母さん。」
翔はそっと美羽に呼び掛け、自分の気持ちを伝える準備をする。
「そうだね。俺が気にし過ぎてたみたい。でもいきなりはそんな前向きになれない。だから・・・ゆっくり・・ゆっくりまた学校に行けるように頑張るよ。」
そう、少し憂いを帯びた笑みで母に返事をした。
「・・・本当?」
美羽が明るい未来の期待を確かめるように翔に尋ねる。
「本当だよ。実はさっき外行ってたのもその準備っていうか・・・練習って言うか・・・。危ない事はしてないから安心してよ。」
「・・・・そう。なら信じる。でも気を付けてよ。今本当に物騒なんだから。全くいつになったら太陽が昇るんだが・・・。」
「直ぐにまた昇るよ。あと太陽が昇ったら俺行きたい場所があるんだ。」
「どこ?」
「おばあちゃんの墓参り・・・駄目かな。あの時本当にごめんなさい。俺行きたかったんだけど・・・・。」
「うん。わかってるから大丈夫。お母さんもごめんね。あの時はちゃんとお母さんできてなくて。」
母は笑って続ける。その表情からは翔に対する不安は消えているように見えた。
「絶対行こう。おばあちゃんも会いたがってると思うから。」
翔は力強く頷く・・・・フリをした。翔は美羽と話し終え、部屋に戻った。
久しぶりに母さんの出来立てのご飯を食べた。
ふぅ。ふぅ。冷ましながら食事をするのはいつぶりだったか。
誰かとご飯をするのはいつぶりだったか。
楽しかったなぁ。・・・楽しんじゃったなぁ・・。
本当に母さんは優しい人だ。
俺が何をしても絶対に味方でいてくれるという安心感がある。俺は本当に良い母親を持った。俺は・・俺は・・恵まれている。
それから迷いなく真っ直ぐ机に向かって行き、そのまま机の角を思いっきりぶん殴った。
拳が真っ赤になってジンジン痛かった。
それがたまらなくおもしろくて翔はクックックッと暫く一人で笑ったあと眠りについた。
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