第5話 憎悪と恐怖に満ちた雲の世界②

「こんにちは。少し聞きたい事があるんですけど大丈夫そうですか?」


「あの・・・聞こえてる?」


立っていたのは黒いブレザーに灰色のズボンを身に着ける男子学生だった。背中から話しかけても、二人の声には反応せずに振り向かない。


礼儀正しく聞き取りやすい声で話しかける翔と恐る恐る警戒しながら話しかける真奈美。

同じ行動をしながらも二人の様子は対照的だった。


「ねぇ。やっぱりおかしいって。」


真奈美が翔に耳打ちするが、翔は気にせず話しかける。


「今僕ら訳あってこの学校について知りたいんです。何か知ってることとかあれば教えてくれたら嬉しいんですけど・・・。」


未名庫谷みなこだに中学校。」


「⁉・・・喋れたの⁉」


「そりゃ喋れるだろ。人間なんだし。」


真奈美の発言を指摘し男子学生の話を聞き続ける。喋り始めたが依然として二人の方を振り向かず保健室の扉を見ていた。


「ここは未名庫谷みなこだに中学校です。皆仲が良くて、いつもいつも楽しい学校生活を送っています。先生は生徒全員と平等に接してくれて、生徒同士も仲の良い素晴らしいクラスです。運動会では僕たちの所属する白組が見事優勝する事ができました。これも全て皆との絆の力です。」


今まで喋らなかった男子生徒は驚くほど流ちょうに喋り始めた。まるでこの質問に対して準備していましたと言わんばかりに。


「なるほど。仲の良いクラスだったんだ。それは良い事だね。」


とって付けた様に言った後、翔は次の質問をしようと考えていた。


『君は誰?』

『どうしてこんな所にいるの?』

『太陽の光を遮る雲とは関係があるのか?』


質問したい事はたくさんあったが翔は質問しなかった。


いや質問できなかった。


隣の真奈美の異変でそれどころでは無くなったのだ。


「未名庫谷中学校・・・平等・・・運動会の記述は無かった・・・やっぱり参加しなかったのかな?・・・絆・・・流ちょうな質疑応答・・・。」


「真奈美さん?どうしたの?」


なにか確かめるように真奈美がぶつぶつ独り言を呟き始めた。


そうして黙ったかと思えば男子学生に近づき彼の肩に手を置いて『ねぇ!』と少し強めの口調で問いかけた。


「貴方『斎藤実知佳さいとうみちか』って子知らない?」


斎藤実知佳さいとうみちか


急に知らない人名を出され翔は困惑する。


しかし割って入らない方が事情を理解できると考え翔は真奈美の行動を静観する事に決めた。


「知っています。友達です。元気で活発な良い子でした。」


男子学生は相変らず振り返らない。


「・・・・・。そうだね。私も彼女と仲がよくて休日は友達とショッピングに行った話を聞かせてもらったわ。」


「はい。彼女はアイスクリームが好きでよく食べていました。」


真奈美はそれを聞いて頭を抱えた。


「行ってない。」


今までテンポよく返答していた男子学生の言葉が真奈美の発言で止まった。


その言葉は淡々としていたが静かに怒りを帯びていた。


「彼女は休日にショッピングなんて、ましてや友達となんて行かない。友達が居なかったから。」


悲しげな表情を浮かべながら真奈美は続ける。


「元気で活発でも無い。いつもどうやって喋って良いか悩んでたし、アイスクリームとか甘いものは好きじゃない。」


「ちょっと待って。なんの話してるの?」


聞いていれば理解できると思った翔だったが、なにもわからなかったので真奈美に質問を求める。


「今は待って。ちゃんと全部説明するから斎藤実知佳の事とか・・・。」


真奈美は自信満々に言葉を繋げる。


「此処がどういう場所なのか。」


「・・・!わかったの?ここの秘密が⁉」


真奈美の視線は既に男子学生に移っていて翔の質問には答えない。


大人しく待つしかないか。


真奈美が男子学生を睨んでいるの見ながら翔は思った。


「貴方の事も・・・いや貴方達の事もわかって来たわ。本当に気持ち悪い。そうやって口裏合わせてたんだ!」


「真奈美さん俺全然ついていけない。詳しく説明し無くて良いからこいつらが何なのか簡単に教えてくれない?」


流石に蚊帳の外と言いたいくらい翔は会話に入れなかったので話の腰を折る。事情を知って居た方が協力しやすいと思ったから。


「そうだね。ごめん。こいつらは・・・・」


真奈美は最後まで喋らなかった。


男子学生が真奈美の視界から消え驚いたから。


男子学生はその場に大きく屈み、右腕を後ろに引き、勢いよく真奈美の腹部に向かって握りこぶしを押し付けようとした。


その手には何処から出したかわからない刃渡り十センチ程のナイフを持っていた。


え?


ナイフが迫りくる中、真奈美は後悔した。


遠くでこの男子学生を見た瞬間に異質な雰囲気は感じていた。


でも根拠は無くて、きっと本能でこうなると理解していたんだと思う。


それなのにこの学校について全てを理解した高揚感で緊張感を忘れていた。


全部私のせいだ。


人並みの運動能力しかない真奈美がこんな不測の事態でキレイに避けれるハズもなかった。彼女にできるのは目を瞑って現実逃避をする事位。


「・・・・・!」


ドラマとかで襲われる人って悲鳴をあげてるけど、本当に怖いと声って出ないんだ。


目を瞑って痛みを待つ。ナイフが真奈美の体を刺すのは一瞬で、待つ必要のない事象。


しかし一秒経っても、二秒経っても・・・十秒経っても体に痛みは訪れない。


「ギリギリ・・・セーフか?」

その声に真奈美が目をゆっくり開けると翔が目の前に立って男子学生と対峙していた。


真奈美は声が出なかった。彼女を刺すハズだったナイフの行く先が翔の右腕になっていたから。


地面に赤い斑点がポタポタと作られた。


「ん?あー。これ?大丈夫。」


心配する表情を浮かべる真奈美を諭すようにヘラヘラしながら翔は言う。


男子学生はどこか楽し気な表情で無言でナイフを押し続ける。


「力を入れ続けるか。衝動で『やっちまった』って感じでは無いな。それなら悪いけど手加減できないよ。」


翔が思い切り足を払い男子学生がバランスを崩しその場にふらついた。


そのまま男子学生の背後に周り、ナイフを持つ手を背中まで引っ張り無力化した。


男子学生は必死に暴れ無理矢理解こうとするが単純な力比べで勝てないので状況は変わらない。


「悪い。君当分歩けなくなるかも。」


翔は膝裏に衝撃を与え、もう一度バランスを崩す。所謂『膝カックン』のように。


背後から体重をかけながら膝から落とすと、膝と地面が衝突する『ゴッ』という音が鳴った。


うつ伏せに倒れた男子学生の頭を押さえ、腰にまたがる様に座って完全に拘束した。


「中一の時授業でやってたのが生きたな。」


これは授業で教わった護身術を応用した技だった。翔はこれだけは得意だった。先生の教え方が良かったのだと思う。


ずっと黙っていた真奈美がかろうじて冷静になって翔の元に駆け付けた。


「腕大丈夫なの⁉」


「大丈夫。平気平気。」


翔が来ていた白シャツの右袖がどんどん赤色に染まっていく。その赤は留まる事を知らない。上に上にと赤色の面積が肩側にじわじわ広がって行く。


「ああ、どうしよう。ごめんなさい。私がもっと冷静だったら・・・。ごめんなさい。」


真奈美は相当狼狽えていた。


彼女は優秀だった。勉強では全国一位しかとらず、何十秒で200ページの本を読み、一度読んだ本の内容を忘れなかった。周りから神の如き頭脳を褒められ続けた。その結果彼女は自分の働きの大きさを理解するようになり常に責任感を持って行動していた。


『失敗したら全部自分のせい。』


それが彼女の行きついた生き方だった。


だからこそ今彼女は翔が傷を負った事に対して、負い目を感じ自責思考に身を焼いていた。


「いやいや。心配し過ぎじゃない?一回落ち着こうよ。彼から話も聞きたいし。」


翔はそんな真奈美の気持ちを知る由もないので話題を変えてでも冷静に成って欲しいと考えた。男子学生の背中に座って居た翔が立ち上がる。そうしてうつ伏せに倒れた男子学生に目をやる。


「悪いけど手加減できなかった。当分立てないと思うよ。凄い危ない落とし方したから膝にひびが入って・・・。」


しかし翔の予感は外れる。男子学生は平然とその場に立ちあがった。


「嘘だろ・・・?彼の体重と俺の体重全部合わせた重さを乗せて、膝を地面に叩きつけたんだぞ・・・?何で立てる?」


男子学生が初めて笑った。口元を耳まであげた歪んだ笑顔は二人をこわばらせるのに十分だった。


更に追い打ちの様に、今度は顎部分をつまみ顔の皮を無理矢理上部に引き裂き始めた。


まるでパーティー用の変装用マスクを脱ぐような。


しかし男子学生のそれは紛れもなく自分自身の顔で無理矢理剥がすたび『ぴちゃぴちゃ』と血が地面に飛び散る。


髪の付いた顔の皮をはぎ取ると二人の足元に放り投げた。


『べちゃ』という生々しい音は翔と真奈美の耳のこびりついた。


しかし翔はその音で理解した。


「ああ。アニメとかに出てくる自分より大きい鬼みたいなの想像してた。」


「な・・なんのこと・・・?」


辛うじて絞り出した声で真奈美が質問する。


「ハレさんが言ってた化物ってこいつの事か。」


黒い制服に灰色のズボン。輪郭は人間の物なのに顔は黒いクレヨンを握って円を描いたような雑な頭部を持っていた。


黒く渦巻く頭部の代わりは、二人の常識を全て飲み込む星の死骸みたいだった。




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