第5話 憎悪と恐怖に満ちた雲の世界①

窓の無い廊下は陽ざしが差し込まないのでひんやりとしていた。


真昼だからか、電気はついておらず薄暗い。


壁を優しく撫でると指が白くなる。


こういう所は普通の学校と同じで翔は調子が狂いそうになる。


しかし絶対に起こらない異常事態が翔の調子を正常に戻した。


さっきからずっと誰かに見られてる。一人じゃない。大勢に。これが真奈美まなみさんの言ってた謎の視線か。


一階の探索を終えて図書室へ戻ろうとした時からだ。


まるで大人数の中心に居るかのような視線を受けていた。


勿論急に足を止めて振り返っても誰も居ない。上を見ても、下を見ても視線の正体は姿を現さない。


『真奈美さんはこの視線をうけて一人で行動するのをやめた』という考えを踏まえ自分はどうするか翔は考える。


一度真奈美さんと合流するか。いや・・・。


翔の本懐が正常な判断を押しつぶした。

視界に木製の椅子が目に入る。廊下に意味もなく一つだけ配置されていた。

こんな所に誰が座るのだろうか。

ただ翔には都合が良かった。


「まだ五分すら立ってないんだよ。時間潰さねーといけないしな。」


視線の嵐の中、翔は木製の椅子に腰かけその場にとどまった。


まるで歩き疲れて公園のベンチに座るような軽い気分で。


恐ろしい事に翔はこの時点で視線の事を完全に頭から消してリラックスする事に成功していた。


『ふぅ・・』と気を抜くように息を吐いた。


椅子の足が少しズレているのか、体を揺らすと椅子もガタガタと揺れる。座り心地はあまり良くなかった。


「暇だなぁ。」


脱力し、だらんとした体制で椅子にもたれかかる。


今の翔にできる事と言えば廊下の隅に溜まった埃を見て掃除して無いのかなと思う事だけだった。


翔は暇が嫌いじゃなかった。


暇な時間があれば、様々な物に考えを張り巡らせる事ができるから。


目を瞑って世界の情報を遮断し、自分の世界に潜り込む。


そうしているといつも翔の元には彼が来る。


四階から飛び降りて機能しなくなった右足を引きずる鈍い足音。


その足音は座っている翔の前で止まった。


目を開かなくても翔はそれが誰なのか、どんな見た目をしているか知っていた。


彼が翔と同じ中学の制服を着ていて、銀の十字架のネックレスを首から下げ、全身が赤い液体で濡れているのを。


その赤色は全部少年自身の体から出た物。少年が笑いながら翔の前で語り始める。


『翔君。神社では随分楽しそうに喋ってたねぇ。新しいお友達ができて満足?』


少年は彼の頭に恨みの言葉と血を垂らす。翔はその行為を受け入れる様に聞き続ける。


『そもそも君は人間を知ってるはずだ。何で仲良くしようとするの?人と関わるのが嫌で引きこもってた癖に。そうやって目の前の事しか考えて無いからあの時俺を見捨てたんだろ?』


翔は言い返さない。言い返す権利が無いから。


『なんで何も言ってくれないんだよ。』


「・・・・。」


『おい‼』


無言を貫く翔に少年が大声を上げた。顔をゆがめ、目を見開いて怒りの感情をぶつける。


『お前は所詮『あっち側の人間』だ!何も変わる事なんて無い!引きこもって逃げた所で全部意味なんて無いんだよ!そして翔君だってそれを一番わかってるだろ!母親の為に雲の上に来たとか言ってたな?それも本心なんだろうが一番の理由は・・・・・・』


「何してんの?」


その声に翔は目を開いた。自分の世界から脱却すると、目の前には少し不機嫌そうな真奈美まなみが立っていた。首に巻かれた毛糸のマフラーを落ち着きなく触っていた。


「五分で帰ってこいって言ったのにこんな所でお昼寝?」


謎の視線もなくなっていたので、真奈美も自然体で翔と話していた。


「あー。ごめん。遅刻しちゃったからもう一時間寝ても良い?」


「はいはい。ふざけてないで早く立って。」


翔の冗談を大人の対応で受け流し、真奈美は話を再開する。


「で、収穫はあったの?」


「その前にまず報告しないと行けない事がある。真奈美さんが言ってた謎の視線と遭遇した。座ってたら急に見られてる気配がしてさ。」


「嘘⁉何も無かった?」


「まぁね。気味が悪いけど意外と無害なのかもね。俺は何ともないし。」


嘘である。翔は気味が悪いなど感じていなかった。


素直に『何も感じなかったから視線の中で休んでた』何て言って驚かれるのも面倒だと考え事実と結果だけを強調して伝えた。


「無害・・・か。」


「何で?何かおかしなこと言った?」


真奈美が何か意図を含んだように呟いたのが気になった。


「いやまだ考察の段階だから確信に変わったら言うよ。一階の他教室はどうだった?」


「そうだった。結論から言うとほとんど何も無かった。詳しく説明するね」


翔は自分の探索結果を説明した。一階には図書室以外に七つの教室があった。


しかしそのうちの六つの教室は扉が開かなかった。


唯一開いた教室は保健室だけだったので一階の探索はすぐに終わらす事ができたのだ。


「保健室は特に怪しい物は無かったよ。図書室みたいな歪な作りにはなってなくて、皆が想像する普通の保健室って感じだった。」


「そう。ありがとう。」と真奈美が感謝を述べそのまま続ける。


「一応私も保健室見てみたい。案内してくれる?」


「じゃあ行くか。」


そう言って翔が椅子から立ち上がり、保健室の方を向いて歩こうとした。


「あ。」


「え?うそ?」


翔と真奈美が保健室の方に体を向けたと同時に驚きを口にした。二人の視線の先に

信じられない者が映っていたから。


「人・・・?居たのか?」


少し離れているが目で確認できる。保健室前で立ち尽くす人影があった。


別れた夏樹と湊の可能性も考えられるが、身長や服装が一致しないので恐らく違うだろう。


翔は何も考えず人影に歩こうとして、常識が体にストップをかけた。


何故あんな所に人が居るんだろう。人が居る気配なんて居なかった。

いやそもそもこの廊下は静かだから音が響く。足音が聞こえれば気づく筈なんだ。

どうして気づけなかった。


人影は未だに保健室の前で立ち尽くし微動だにしない。


生きている様には見えずただ不気味だった。しかしだからこそ翔は近づくべきだと思った。


「あの子に話しかけてみない?見た感じ制服っぽいの着てるし同い年だから話しやすいと思うしこの場所について何か聞けるかもしれない。」


「いや絶対にやめた方が良いよ。」


真奈美は即座に翔の申し出を断った。


「見ただけでわからない?あの子普通じゃないよ。まずは夏樹君と湊さんと合流しない?」


「人を見た目で判断するの?」


正論を言われ真奈美は少し狼狽えた。いや理由はそれだけじゃない。

発言には血が通っていて何処か重く感じた。

たったその一言が真奈美にまとわりつくように重くのしかかる。


「それに俺達は情報が足りなすぎる。もしかしたら彼が雲を払う鍵を持ってたら?これ以上ない貴重なチャンスを逃す事になるかもしれないんだよ?」


「そんな根拠の無いデタラメには付き合えない。一回落ち着かない?」


「この世界がデタラメなんだからデタラメから目を逸らして信じないでどう生きろって言うんだよ。」


「それは・・・そうだけど・・。いや!それとこれとは全然関係無いよ。」


真奈美は翔に対して違和感を感じていた。ここまでは受け答えもしっかりしていて、自分の意見も言いつつ相手の意見を聞き入れて物事を考えられ、自分が役に立つ場所が此処では無いと理解すれば自分で仕事を探し課題クリアに貢献できる。


つまり論理的に物を考えられる冷静な人間だと思っていた。


『動けない人間と行動し、自分の負担が増えて願いを叶えられなかったらどうしよう。』


という不安は翔と行動するうちに消えていた。だからこそわからなかった。


彼はどうしてあの得体の知れない人影にこだわるのだろうか。他にも調べる場所は二階、三階とあるのだからそこに行けば良いのに。


「何か引島君おかしくない?言ってることも滅茶苦茶だよ。一旦戻って・・・」


「大丈夫。何かあったら俺が守るから。」


その言葉天に付きあがるように高く登っていき、静かな廊下に溶けた。


結局自信満々で発言する姿勢に押され真奈美は溜息を付きながらも渋々折れた。


「わかった。そこまで言うなら。けど何かあったら速攻逃げるから走る準備しといてね。」


翔は真奈美を強引に説得する事に成功し、二人は保健室前に歩を進めた。



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