第2話 夢の通い路 冥府魔道①
時刻は午前二時半。太陽が消えて少し経つというのに、夏終盤らしい熱帯夜だった。
少し動いただけで白いTシャツが汗でへばりつき、足元で蚊が乱舞するのを見て半ズボンなのを後悔する。
しかし着替えている時間は無い。音をたてずに家を出れたのだから。
二十四時間全て夜といっても、午前五、六時に起きて学校や会社に行く生活のサイクルは変わない。母にバレる訳にも、近所に迷惑をかける訳にもいかない。
静かに自転車に乗って目的地に向かった。
急な坂を自転車で登りながら、道路や反対の歩道に目をやる。
歩道には明らかな部屋着でコンビニの袋を持っている男性、道路には大型のトラックが流れて行く。
そんな景色に新鮮さを覚えていたが、翔の感情を占めていたのは自転車についてだった。
こんなに心地よかったっけ。
全身に突き刺さる風は、前に進むのを否定しない。熱くなった体に優しく触れて冷してくれる。
切ったばかりの髪、タンスに眠っていたシャツが嬉しそうになびくのを見て、自転車に乗って遊びに行くことが好きだったのを思い出す。
「風が気持ちいいや。」
自然と口から喜びが溢れた。塞ぎ切った心に注ぐ風のシャワーが
目的地、『晴天神社』に到着し『キュッ』という自転車のブレーキ音が静かな夜に響いた。
眼前には先の見えない階段が続いていた。丁度隣に四階建てのアパートが隣接していたがそれより高い。
真ん中には白い手すりが真っ直ぐ伸びていて行き道と帰り道を隔てる。
深夜客も視野にいれているのか足元は備え付けの電灯に照らされて明るい。
『晴天神社』は翔の住む町では少し有名だ。平安時代から存在し、土地の歴史を見守り続ける、空に一番近い場所として町一番の高台に設置されている。
年末には多くの人が参拝に足を運ぶ。翔も幼稚園児の頃祖母と父と母と来たことがある。
人工の光を目印に、二段飛ばしで登って行く。
頂上に着き、赤い鳥居をくぐり抜け晴天神社に足を踏み入れる。
入り口から本殿までレッドカーペットの様に石床が敷き詰められていた。
大木の枝に囲まれた空は月の光すら通さず真夜中の黒を更に強調させる。
それでも視界に困らないのは一本道の脇に居た狛犬の石像が蝋燭の火を咥えていたから。
道を間違えない様真っ直ぐ歩きながら、深夜の神社の異質な雰囲気を感じる。
『人間以上の力を持った者』を見た後では、神社の直ぐそばに霊園があるなど思い出さなくて良い記憶が蘇る。
風で揺れる木の枝の『ザァァ』という接触音は歓迎されてるのか、されていないのかわからない。
「へー。じゃああんたも中二なんだ。高校生位かと思った。」
「そりゃこっちのセリフだよ。中二でその金髪は気合入りすぎだろ不良女。」
「うちの学校はやることできてたら自由だから。てか不良とかあんたに言われたくないし。」
本殿近くまで来ると女と男の話し声が聞こえた。翔は自分以外にも誰か居る事に少し安心感を得て気が楽になった。
「こんばんわー。」
本殿前にたどり着き、大きすぎず、小さすぎない声量で挨拶をした。声の主を探る。
蠟燭の火に照らされていたのは一人の少年と二人の少女。
「おい。」
低い声で翔に呼び掛けたのは唯一の少年だった。
オールバックに狂暴な人相をしていた。右眉の上にある縦の切り傷が狂暴さに説得力を与える。
身長も翔より高い百八十程で、体格もがっちりしていた。
それでも学ランを着ているので学生であるのは間違いない。
右手には金属バットを持っていて一言で言い表すなら『不良少年』と呼ぶのがふさわしかった。
「お前もあの声に呼ばれてきたのか?」
翔に近づきながら不良が質問した。翔は一年程引き籠っていた。つまりこれが(親族を覗けば)一年ぶりの会話になる。
「そうだよ。三人も同じ?」
翔に緊張している様子は無かった。柄も悪く、自分より体格の大きい不良に対しても平然と会話をする。
彼は初対面の人間と話す事は得意だった。
自己開示が必要ない関係性は築くのが容易だ。
「そうなんだけど・・・・」
不良がそう言いかけた次の瞬間金属バットを両手で持ち、翔の左腕にフルスイングした。
風を切る『ブン』という音が鳴った。当たったらタダで済まないのが音でわかる。しかしこの音は人を殴った時には鳴らない。
「・・・スゲーな。」
「『スゲーな。』じゃねーよ!あぶねーな!」
上半身を後ろにそらした状態で少し声を荒げ翔が言った。
「悪かったよ。どれくらいできるか気になったんだ。これから行くところは普通じゃなさそうだからな。」
オールバックの不良は、善悪の区別はつくらしく『ごめん』と言いながら頭を下げた。
「もう少し優しめの試験だと嬉しかったけどね。俺は引島翔。十四歳。よろしくね。」
「俺は・・・
「同い年かよ。背でけぇな。」
「お前も変わんねーよ。」
差しだされた夏樹の手を取って翔は握手をした。しょっちゅうケンカしてるのかな。絆創膏が貼り巡る手と見た目でそう思った。
「ねぇ!」
さっき夏樹と話していた女の子が二人に呼び掛けた。
金髪の縦ロールが風に揺れて甘い香りが漂う。
皺ひとつない綺麗な白いワイシャツと、太腿全体が見えてしまう短いスカート丈が妙にアンバランスだったが、
モデルでも通用しそうな顔と百七十程の身長で無理矢理整合性を取らせている。
クラスにいた所謂『一軍女子』と雰囲気が同じだと翔は思った。
「いきなり人殴りかかるのはヤバくない?見た目通りの不良って感じ。あんたも頭おかしいんじゃないの?何で殴りかかって来た相手と握手してんのよ。」
縦ロールを揺らして翔に質問する。
「ああ。だって夏樹は当てる気無かっただろうから。危ない事には変わりないけど。」
「あの一瞬で俺の意図に気づけたのか。」
「昔から避けるのは得意だったから。ドッジボールとか最後まで残って避けてる子居たでしょ?投げたりキャッチするのはできない癖に。そんな感じ。」
「そういう話?まぁわかるにはわかるけど・・・。」
金髪の女の子が「あ!」と何か思い出したのを一文字で表現する。
「自己紹介まだだったね。私、
「湊ちゃんね。よろしく。」
翔にとって二人の印象は良かった。受け答えもしっかりしていて、話しやすかった。
一緒に働く仲間ならやはり良い人の方が良い。
もう一人居た少女はこちらの輪に入らず灯かりの元で静かに本を読んでいた。翔が声をかけようとした時だった、
「集まりましたか。」
本殿の中から声が聞こえた。襖に四人の視線が集まる中遠慮なくガラガラと開かれた。
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