第12話(最終)  拓斗といつまでも

<体が溶けたら、千尋、どうなるんだろう? ママなら、元通りにしてくれるかな?>

 その時、玄関ドアの鍵を開ける音がした。

 誰かが、部屋に入ってくる。しかも、急いでいる様子。

 クローゼットの引き戸が開いた。

<あ! きっと拓斗だ! 拓斗が助けにきてくれたんだ!>

 水音は、まるで水道の蛇口を全開にしたくらいの大きさになって、室内に響き渡っている。


 千尋が入っている箱のフタが開けられた。

「ダメ! ふた開けたら、水が中に入っちゃうよ!」


 大きな水音は相変わらず続いているが、不思議なことに、千尋の上に水は降って来ない。

<あれ? そうか、傘がさし掛けられて、水を防いでいるんだ!>

「拓斗、ありがとう」


 千尋の体の下に手が差し入れられて、千尋の体は箱から浮き上がった。

<あれ? これは拓斗の手じゃない。拓斗より小さくて、指も細い。誰だろう? 拓斗のお母さんかな?>


 千尋は、大きくて透明なビニール袋に素早く入れられた。その人が傘を手から離したのか、ビニール袋の上にたくさんの水が落ちてきて、ボトボトと音を立てた。でも、ビニール袋が千尋を水から守ってくれた。


<お母さんより、ずっと若い人だ。もしかして、拓斗のガールフレンド、綾香さん? でも、綾香さんがここに来るはずないなぁ>


 その女の人は、ビニール袋に入った千尋を捧げ持つようにして、クローゼットから出ようとした。

「ちょっと待って下さい! 千尋がいた棚に、もう一つ箱がありますよね。細長い木の箱です。中に美鈴さんがいますから、助けてあげてください!」

 千尋は、渾身の力を振り絞って、女の人に向かって叫んだ。


<あ! 千尋の声が聞こえたのかな? 女の人が戻って、美鈴さんが入っている箱も手に取ってくれた! 良かった! どこへ行くんだろう……>


<ここは、リビングルームの隣のキッチンね。水漏れは、ここまでは広がっていないみたい。あ、この人、千尋が入っているビニール袋の外側に付いた水を、タオルで丁寧に拭き取ってる>


 千尋は、ビニール袋から外に出してもらった。

<ふー。ここは、キッチンテーブルの上ね。千尋、助かったんだ!>


<あ! 美鈴さんも来た>

「美鈴さん、大丈夫? そう、よかったね。千尋もなんとか、無事だよ。間一髪だったねー。この人が助けてくれなかったら、今ごろ千尋は、ドロドロに溶けてたよ。美鈴さん、この人知ってる? 知らないか」


 30分くらいして、拓斗が部屋に駆け込んできた。

「あ! 拓斗。お帰りなさい。もう、千尋、すんでのところで溶そうになったんですから! そこの女の人が、危ないところを助けてくれたんです。この人は誰です?」


「え、やっぱり、この人が綾香さん! マンションの管理会社から、水漏れの知らせが拓斗の携帯にあったんですね。でも、拓斗は、帰りの新幹線の中だった。だから、綾香さんに千尋の、いえ、千尋と美鈴さんの救出を頼んだんですね。見事な連係プレーでしたね。拓斗、ありがとう! そして、綾香さん、ありがとう!」


<ということは、拓斗は綾香さんに、ここの鍵を渡してあったということね。ちょっとけちゃうなー。でも、千尋は人形。人と張り合っても意味ないよね>


「拓斗、さっきから気になっていたんですけど、綾香さん、服が濡れてますよ。早く着替えないと、風邪ひいちゃいます。え? ここのベッドもびしょ濡れだから、今夜はここで過ごせない? どうするんですか?」


「今夜は、綾香さんが住んでるワンルームマンションに泊るの? もちろん、千尋と美鈴さんも一緒ですよね。他の子たちは、そのままで大丈夫みたい? プラスチックケースに入っていますからね」


「これから、綾香さんの家に行くんですね。焼き餅? いえいえ、綾香さんに焼き餅なんて……。だって、命の恩人ですから。それに、綾香さん、優しそうだし、気が合いそうです」


「綾香さん、さっき千尋や美鈴さんを見て、可愛いと言ってくれました。美鈴さんも、人形が好だそうですよ。だから、拓斗も恥ずかしいなんて、思わなくていいんじゃないですか?」


「今夜はですねー、私たち、拓斗と綾香さんとは別の部屋で寝ます。だって、私たちがいたら、恥ずかしいでしょ? 私たち、すぐ寝ちゃいますからね……」


「でも、綾香さんに夢中になり過ぎて、千尋のこと忘れちゃだめですよ、絶対に。綾香さんと同じくらい可愛がってくれないと、千尋、本気で怒りますからね。それと、時々は、美鈴さんや他の子たちもね」


「拓斗、いいですね? 約束ですよ。もし破ったら……。知ってますよね? 人形のたたり、怖いですよー」


《おわり》

 

 

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球体関節人形の千尋(ちひろ)さん あそうぎ零(阿僧祇 零) @asougi_0

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