第11話 千尋、絶体絶命

 土曜日の朝。

「美鈴さん、おはよう。今日は、拓斗が帰ってくる日だね。やっと、狭い箱から出してもらえるなぁ。美鈴さんは、変わりない?」


「そう。元気でよかった。ずっと箱に入れられてたあの子、拓斗の出張前に出してもらって、すっごく喜んでたね。え? 千尋が拓斗に言ってくれたからだって? だって、一度も出してもらえないなんて、千尋だったら気が狂っちゃうよ」


「あれ? みんな、何? 千尋のこと、少し見直してくれたの? 千尋、ちょっとワガママな所があるから、みんなに嫌われちゃったの知ってるよ。でも、少しでも見直してくれたんなら、嬉しいな」


「拓斗は今日帰るんだけど、何時頃なのかな? せっかく会社のお金で出張するんだから、今日、土曜日は、観光してくると言ってたね。そうすると、帰ってくるのは夜かな? 待ち遠しいよ。観光なんかしないで、すぐに帰ってくればいいのに」


 その時、クローゼットの中で、何か聞き慣れない音がした。


「あれ? 美鈴さん、今、何か音がしなかった? ……。ほらまた。そうね、雨垂れみたいな感じ。ポタン、ポタンて。何だろう?」


「だんだん、音の間隔が短くなってくる。それに、音もだんだん大きくなってきてるよ。え? 水が垂れる音? でも、クローゼットの中に水道なんかないよね、美鈴さん」


「大変だ! 美鈴さんの言うとおり、水が垂れる音に間違いないね。もう、ボタボタいってる。どこに垂れてるんだろう。え? 水漏れ? 何それ」


「この部屋じゃないけど、以前も水漏れ事件があったの? このマンションは古いから、時々配管が傷んで、水漏れするの? 上の階で水道管が壊れて水が漏れてるのかな? 私が生まれたママの家は一戸建てだったから、水漏れ事故なんて想像できない」


「あ! どうしよう! 千尋が入っているダンボール箱が、濡れてきたよ! 美鈴さんは大丈夫? 美鈴さんが入っている箱は、人形作家の銘や印がある木箱だから、千尋の箱より水に強そうだね。え? でも、防水仕様じゃないから、長くは持たない?」


「美鈴さんと千尋、二人だけ棚の最上段に置かれてるよね。水は、最上段の棚板に落ちてきているみたい。他の子たちは、下の棚だし、みんなプラスチックのケースだから、大丈夫かもしれないけど、千尋たち、どうなるのかな?」


「水の音がひどくなってきたね。水が棚板に落ちる時の振動も伝わってくる。箱の底にプチプチが敷いてあるんで、箱の下の面が濡れても、ある程度持つけど、上から水が落ちてきたら、アウトだよ。ダンボールは、水に濡れるとグニャグニャになっちゃうからね」


「千尋の体は、ほとんど全部、石塑せきそ粘土という素材でできてる。石塑粘土は、水に濡れると、溶けてドロドロになっちゃうんだ。今、相当にヤバい状況だよ。美鈴さんは樹脂粘土なの? ある程度、水に強いんだね」


「あ! 箱の上に水が落ちる音がしてきた! 天井から水が落ちてくるんだろうけどその範囲が広がってるみたい。こうなると、箱の中に水が入るのは、時間の問題だな。そしたら、千尋はお仕舞い。励ましてくれてありがとう、美鈴さん。ほかのみんなも、ありがとう。でも、もう駄目。箱の内側に、水が入ってきちゃったから」


「短い間だったけど、拓斗に可愛がってもらって幸せだったな。それに、みんなとも仲直りできたし。でも、最後に一目でいいから、拓斗に会いたかった。それじゃあ、美鈴さん、皆さん、さようなら。いつまでもお元気でね……」


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