第十五話 泥沼のA地区
A地区はB地区とは違い、住宅が密集している地域だった。一階だけの背の低い建物が隙間なく詰め合っている。貧困地域であるため、
B地区と同様にA地区はクラードファミリーの支配から逃れるように存在している、いくつかのギャングのたまり場である。
ギャング同士のにらみ合いが毎日のように続き、いつ抗争に発展してもおかしくない状態は、スラム街でもっとも危険な香りを発している地域だった。
「ここからは慎重に行くぞ、どこに敵が潜んでいるか分からない」
先頭を行くプジョルは
銀司らは住居を一つずつ慎重に通り過ぎてゆく。ここに住んでいる人間は全員ギャングなどの犯罪組織の関係者だといっていい。各ギャングのグループが混同して生活しているA地区では、クラードファミリーは彼らの共通の敵になってしまう可能性が高く、戦術的に囲まれてしまえば、いくら実力者であろうと逃げ出すことは容易ではない。
とある住居の前でプジョルはウマから降りると、そそくさと建物の中へ入ってしまった。それに続いて、銀司とパウルもウマから降りる。住居を覗くと中は、テーブルだけが置かれた、生活感の無いワンルームの小さな空き家だった。そして、部屋の真ん中にはバレットの姿があった。
「バレット、お前も来てたのか」バレットを見てプジョルが言った。
「たまたま近くにいたんでね」
「俺らはいま着いたところなんだ。状況は把握できてんのか?」
「どうやら巡回中に数人がひどくやられたらしい。詳しいことは俺も知らん。今は怪我人をここまで運んでいる
「犯人に目星は」
「さぁな、現場にいた奴が戻ってこないと」
「チッ、相手にしてやられたってわけだ」
プジョルの舌打ちは周りにも分かるほどだった。
「なんだ、そっちでも何かあったのか」バレットが聞いてきた。
「ああ、ちょっと足止めを喰らってな」
バレットの他にも構成員が二人、部屋の隅にいた。二人とも顔を隠しており、表情は読み取れないが、心配と不安が身体から滲み出ていた。
話によると、この二人はA地区の住民でありながら、クラードファミリーの協力者で、A地区で騒ぎが起こると状況をいち早く共有するファミリーの工作員だった。
B地区に飛んできた黒い鳥も彼らによる救難信号だった。
B地区で襲ってきたギャングたちは、大した戦力ではなかったことと、ウマが狙われたことを踏まえると、店への襲撃はA地区で犯行するための足止めに過ぎなかったとも考えられる。
「ギン、お前も参加するのか?」意外そうな顔をしたバレットが銀司に聞いてきた。
銀司は「うん」と、うなずいた。
いつも挑発的で、思い切りの良い性格のバレットが、今回に限っては物事を静かに判断しているようで、普段の雰囲気とは違うような気がした。
しばらくすると、部屋に怪我人が運ばれてきた。頭から血を流し、顔面の半分が血で染まっている。大怪我だ。そしてもう一人、腕を抱えた構成員が部屋の中に入って来た。自らの足で歩けているが、上腕からは大量の血が流れている。
彼らは数人の構成員に支えられながらやってきて、とても辛そうにしていた。血が地面に垂れ続けて、歩いてきた道が血で分かるようになっている。床に
銀司はその光景に、背筋に寒気が張り、身体が思うように動かなかった。異世界に来てすぐの頃、部屋に怪我人が運び込まれてきた出来事が蘇ってきたのだ。
「どうやってやられた?」と、怪我人を抱えてきた構成員にプジョルが
「家の中からいきなり打たれました」
「誰にやられたか分かるか?」
「家族が住んでいる普通の住居から打たれました。恐らく、その家の家主だと。今、他の奴らが追っかけてます」
「家主……ということは、周辺が縄張りの奴か?」
「場所的にBストだろうな」バレットがそう横から口を出した。
「Bストねぇ……」と、プジョルはそう呟いた。
A地区とB地区では、いくつかの犯罪集団が息を潜めているが、中でも最も勢力が大きいのが、若いギャング集団である通称:Bストだった。現在、二つの地区の主導権を握っており、今回襲撃した実行犯も恐らくBストの一員だという。
Bストを
ルルーGは、路頭に迷っているスラム街の青年たちを憧れになっており、その名前はスラム街では有名人だ。クラードファミリーと直接ぶつかったことはないが、ファミリーに手を出せる組織として、まず名前が挙がるのはBストなのだ。
怪我人の応急処置を終え、ファミリーの得ている情報をまとめたところで、プジョルとパウル、そして怪我人を運んできた数名は、犯行が起きた現場へと向かった。
A地区は治安が最も不安定な地域であることから、B地区へ出向いた銀司たちのように少人数ではなく、十人以上で行動することが必要だった。現場の近くにはすでに何人かの構成員が待機している。犯行した人物は逃走中で、
銀司は戦闘に参加せずに、バレットと共に拠点に残って、指令役として現場から離れたところで、
「頭を撃って、助けを遅らせるよう足止めまで使うとは、これは宣戦布告と受け取ってもいいんだよな」とバレットが銀司に言った。
「何せ、計画的だからね。(相手は)否定はできないな」
銀司はバレットと共に拠点に残ったバレットは二人は建物の屋根に登って、高いところから戦況を見守っていた。先ほどまで冷静だったバレットの眼にはバキバキ感が戻っていた。
「問題は……A地区、B地区に俺らが向かうタイミングを何故知っていたのかということだ」バレットが神妙な面持ちで言った。
「まさか仕入れの日程を掴んでいたとか」
「そうであってほしくないけどな。その可能性はある」
他国の商人との貿易は、日時はおろかその貿易それ自体もファミリーの一部のみで共有されている秘密事項だ。もし外部に漏れていたとすると、ファミリーにとって大問題だ。
Bストはクラードファミリーと同じくスラム街の犯罪組織なので、この密輸がすぐに王都へ報告されるという心配は低いが、今回の襲撃のように、情報を元に何かファミリーの身に危険が及ぶきっかけを与えてしまうことには変わりない。
たとえ、Bストが貿易の情報を掴んでいなかったとしても、ファミリーの大まかな動きは把握されていた可能性が高く、この事件を解決しても完全な解決にならなそうなのが、今回の騒ぎの嫌な点である。
遠くのほうから、銀司たちの元へ一点の光りが届いた。その光りは三回に
これは、プジョルたちが犯人を発見したという合図だった。それを見ていた銀司とバレットは目を合わせた。
「いつでも(攻撃を)開始していいと伝えろ」バレットが銀司に指示を出した。
銀司は手のひらサイズの長方形の箱を取り出し、それを二回点灯させた。
これは、光源を鏡で反射させて遠くにいる味方に届かせるための装置で、魔術が使えない銀司でも使うことができる必需品だ。
携帯電話の無い異世界では、相手と意思疎通できる魔術を除いてこの方法が遠くの相手と連絡を取るのに最も適しているやり方で、そのほかには、音を使った合図や匂いを使うものまである。
合図の種類は簡単で、モールス信号のように文章が表現できるわけではないが、速さに優れており、使い慣れていない銀司でも簡単に使いこなすことができる。
信号を受け取ったプジョルらA地区担当の構成員たちは、実行犯が逃げ込んだとされる建物を特定していた。まだ犯人の顔を正面から確かめた者こそいないものの、背中を追い続けてやっと見つけることができた。
バレットと銀司から攻撃許可が出ているから躊躇することはない。
建物の周りに、構成員が配置してそれを確認すると、プジョルが先頭を切って住居のドアを破って侵入した。
しかし、そこには、赤子を抱えた母親が一人、わが子の子守をしていた。母親は驚いていた。プジョルは予想外の光景にあっけに取られてしまった。
「この家に、誰か逃げ込んでこなかったか?」プジョルが母親に聞いた。
「いいえ、私の家ですから」
「そうですか、少し前に危険な人物が侵入した可能性があるので、中を調べさせてください」
「ええ、どうぞ」と母親は赤子を抱きしめて、立ち上がった。
「この家に入ったことは確かなんだ。ちょっとした形跡でもいい、探し出せ」
プジョルが後ろにいるパウルと他の構成員らに中を調べるよう指示を出した。
家の外の見張り役を一人、家の前に置いて、その他の構成員で家の中を
襲撃時に現場に居合わせた構成員の一人が、外に出ようとした母親をチラッとみて、数秒経った後に何か考え込むような仕草をした。
「あそこにいる子連れの女性は?」構成員はプジョルに訊いた。
「この家の親子だ」と、プジョルが答える。
「……」
構成員が後ろを振り返る。
「まさか……」プジョルは構成員は目が合うと、構成員は自信なさげに頷いた。
「この家の母親はどこだ?」
プジョルが焦った様子で、入り口に立っていた構成員に聞いた。
「どこって、そこに———。あれっ」
構成員はあたりを見渡したが、子連れの女性は既にいなかった。
それを見たプジョルはすぐさま住居を飛び出していった。それを見たパウルもすぐさま家の外に出た。
「ちっ、小細工に惑わされちまった」
プジョルが既に小さくなっている女の後ろ姿を目で捉えた。犯人は入り組む住居の角を使いながら逃げる。パウルはプジョルが走っているのをみて、住居の屋根に登って上から実行犯を追った。
屋根の上を伝って走るパウルの様子は、銀司とバレットからも見ることができた。
「始まったな。鬼ごっこでアイツに勝てるやつはいない」とバレットは言った。
「何者なんだ、パウルって。さっきはB地区で10人くらいのギャングを一瞬で倒してしまった」
「ああ、アイツはとにかく早いんだ。一度でも目を付けられれば、距離なんか関係なく一瞬で近接戦になっちまう」
「近接戦……」
「アイツは短距離攻撃特化型だからな。力と速さで何もかも押すタイプだ」
パウルは爽やかな顔をして意外と能力任せの戦い方をするらしい。
確かに遠くから見るとそのスピードが分かりやすい。
パウルは屋根の上で急に止まったかと思うと、屋根から飛び降りた。遠くから姿が見えなくなってしまった。
あたりに砂煙が舞う。住居が入り組んだ細い道で、パウルは女の首根っこを掴んで地面に抑えつけていた。着地した勢いで砂の地面の粉じんが舞った。
急に上から男が降ってきたため女は慌てふためいたが、パウルががっちりと女の肩を抑えて動かないように固めていた。
「喧嘩を売った相手が悪かったな」パウルは余裕そうに笑った。
「私を殺したところで何もならないぞ」
「どうした、まさか命乞いか。あ?」
まもなくしてプジョルも追い付いた。肩で息をしている。プジョルが口を開く前にパウルが「なぁ、コイツ殺すか?」と聞いた。
「仲間がやられたからな。殺しても良いが、捕まえたなら生け捕りもいい。何か利用できるかもしれない」
「コイツにそれほどの価値があるのか?」
「でもまあ、こりゃ、まだ若いぜ」プジョルが地面に抑えつけられている女の顔を覗き込む。
「おい、誰の下についてんだ?あんた」プジョルが質問した。
しかし、女は答えない。
「雇われか?」パウルが問う。
「ふん」と女は気味の悪い笑顔を浮かべた。
「おい、頷くか、振るかにしろっ」
プジョルが女の頭を地面に叩きつけた。
女は歯を食いしばって痛がる。
「っ……お前らに言うことは何もない」
「なんだと?」
女の眼から発せられる眼光は、パウルたちの問いに応える気がまるで無い意思表示のようだった。
「この野郎」
パウルはもう一度、顔を地面に叩きつけた。すると、女は気絶した———。
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