第十三話 早朝取引き

 まだ太陽が顔を出していない頃、銀司ぎんじはベッドからのそっと起き上がり、冷たい水で顔を洗ったあと、地下にある食糧倉庫からパンと果物を一つずつ口に詰めて、事務所の裏口から外に出た。あたりはまだ暗く夜明け前の空の上で月が堂々としていた。


 銀司はファミリーの厩舎きゅうしゃへせっせと歩いて向かった。肌の上をかすれるような線の細い向かい風が薄着の銀司に当たる。日中にっちゅうは立っているだけでも汗が出てくるような暑さだが、太陽が出ないうちは布団を体に巻きつけていたいほど温度差が激しい。


 厩舎に着くと、鍵を外して銀司はシャベルを持って掃除を始めた。フンと一緒に古いわらなどを砕いたくずいて、そこにフカフカの新しい屑を入れる。餌場のバケツいっぱいに餌を入れて、飲み水も新しいものに変えた。ウマもその間はソワソワしだしていた。ウマたちの意識がすべて銀司に注がれているような気がしてやりにくい。


 目的の二頭が餌を食べ終わったのを確認すると、そのウマたちの柵を外し、手綱を引いて外に出した。厩舎の外に止めてある馬車にウマをくくり付けて、馬車を引きながら厩舎を後にした。


 馬車を事務所の裏に着けて、少しの間待っていると、三人の構成員が馬車の元へやってきた。


 「助かる、ありがとな」と、銀司に先に礼を言ったのは、プジョルという男だ。タンクトップ姿でボディビルダーのような筋肉のよろいで覆われている。濃い目のアジア風の顔に長いコーンロウの髪型は、体格にとても似合っており、漢強さ満載な見た目をしている。


 銀司は全員に簡単な会釈をして、ファミリーの他の一人に手綱を譲り、馬車の荷台に移動した。ウマの手綱を引く馭者ぎょしゃと、荷台に三人を乗せた馬車は静かな明け方前のスラム街を通り抜ける。


 荷台には銀司とプジョルの他に、パウルが一緒だった。

 パウルはイギリス出身のモデルのような顔立ちをしていた。少し焼けた感じのある白い肌に、口周りから輪郭まで髭を生やした顔は、野暮やぼったく見えるが、それ込みで彼の顔の良さが際立っている。白が濁ったようなアイボリー色(象牙色)のYシャツ姿は、アスリートのようにスラっと引き締まった身体にとても似合っていた。


 プジョルとパウルの二人は、銀司がファミリーに加入した当初から特に世話になっている顔なじみだった。二人とも若いながらも(年齢的にはプジョルが上)、ファミリーの中での戦闘力は上から数えた方が早く、銀司の事を異世界人と認識している数少ない内の二人だった。


 スラム街を通る道中、クタクタの冒険者パーティーの一行とすれ違った。泥だらけの防具を身に着け、重い足取りで、全員が下を向いていた。ダンジョン帰りだろうか、この時間に森を抜けてスラム街に帰ってくるということは、何かあったのだろう。帰ってこれたかと言ってスラム街も安全ではない。彼らのような冒険者を見ていると、この後、スラム街で誰かに襲われないか心配になってしまう。


 スラム街を抜けて森に入ってからは、緑が剥げて、かろうじて人が通れるような道が続いた。この道はスラム街の住民もあまり使わないような古い林道りんどうだ。ガタガタと激しく揺れる馬車に、銀司は酔わないように必死で外を見ていた。


 少しすると馬車は通って来た林道を外れて、草むらの中を進んだ。腰の高さほどある草木をウマは躊躇なく踏んづけなが前進する。

 荷台に乗っているからいいものの、人間が歩いていけばとんでもない労力を要するだろう。


 やがて、馬車は何の変哲もない森の中で停まった。草木がひらけた場所とかそういったものではなく、本当にただの森林の中だった。ここは、今回の目的の集合場所だ。


 明け方のこの時間、馬車でわざわざやってきたのは、他の国の商人との秘密裏に行っている貿易が目的だった。クラードファミリーは、王都で手に入らない珍しい品物を他国の商人たちから買い集め、それを王都に売りさばくをしていた。この貿易はファミリーが資金源を得るためのかなめであり、得意分野の一つだった。


 王都で国外の商人との取引きをする場合は、通常、王都政府の管理下にて行っている。王都が輸入品のリストを管理し、余計なものが王都に入ってこないよう貿易品に規制をかけていた。

 しかし、ファミリーが行う貿易は、政府の許可を受けずに無許可で行う違法行為であった。取引の実態が発覚すれば、厳しい処分のほかにも、ファミリーは王都に目をつけられ、他の活動に支障が出かねない。 明け方にこうして密かに出発するのはこのためなのだ。

 

 ファミリーと取引する商人の中には、違法業者も含まれるが、ほとんどは王都と正規に貿易をしているちゃんとした商人が相手だ。

 王都が確認できていない珍しい産物や、輸入を認めていない危険な商品を高値で売ることができるため、危険を冒してでもモノを売りたい商人と王都では並ぶことのない品を高値で売りさばくことができるファミリーの双方にとってメリット(もうけ)のある取引きなのだ。

 銀司はファミリーの貿易ぼうえきや商売を仕切る、幹部のハリーという男に命じられ、馬車に乗っていた。この取引きに銀司は、既に何回も同行しており、仕事には慣れていた。


 「そろそろ来る頃だ」


 荷台から降りて草の上でくつろいでいた三人に、手綱を引く馭者ぎょしゃが声をかけた。

 やがて、東のほうから朝焼け光と共に二台の馬車がやってきた。貨物を乗せた荷台がとても重そうだ。


 商人の馬車が停まると中から一人、髭をたっぷり生やした背の低い男が降りてきた。茅色かやいろ(くすんだ黄色)をしたフード付きのマントの頭から被っている。

 この商人たちも王都に物を売りに来た正規業者の一つである。王都の門をくぐる前に、ルートを外れて、秘密裏にこうしてファミリーに売りにやってきたのだ。


 「どうもどうも、お疲れ様です」


 プジョルが長旅のろうをねぎらった。


 「ええ、どうも。そちらも朝早くからご苦労様ですわ」


 彼の多少のガラガラ声は、商人の雰囲気とぴったり当てはまっている。


 「どうですか(商売の)調子は?」


 「まずまずですな。ほら、最近ここら辺にモンスター増えてきたでしょ。王都へ商売に行くのも、逃げられるよう身を軽くしないといけない」


 「我々もモンスターを狩ってんですが、なかなか解決しない」


 「最近は王都に商売に来る人の数も減りましたね。立派な社会問題ですわ」


 「彼は役に立ってます?」


 「それは、それは、とても心強い」


 と、この二人の会話の途中で、商人の馬車から全身に入れ墨を彫った、ボサボサの金髪頭をした半裸の男が一人、プジョルに挨拶しに来た。


 「よう、元気にやってか?」プジョルは彼とハグを交わした。


 「楽しくやってます」と彼も応える。


 男はファミリーの構成員の一人で、本格的に商売を学ぶためにファミリーと繋がりのある商人の下で学びながら、道中のモンスター対策の用心棒も兼ねてこうして働いている。銀司とは銀司がファミリーに入る前に商人の元で働き出したので、こうした取引きの場でしか顔を合わせたことはない。

 はたから見れば、ヤ〇ザのようにしか見えないが、中身も大概なんだとか。商人には相手に信頼されるための礼節れいせつと、時には人に舐められないような見た目の圧力が必要らしいが、礼節など皆無で、会うたびに体の入れ墨が増え圧力だけが増しているような気がする。


 「色々と世話になってますから、おたくに融通ゆうずうをきかせようと思って、ウチでできる最大限の品、持ってきましたよ」


 商人は自慢げに言った。


 「ほぉ、それはありがたい」


 プジョルは商人から紙切れを受け取ると懐に手を入れた。下が重さで垂れた巾着袋きんちゃくぶくろを取り出して、それを商人に手渡した。


 「これでお願いします」


 商人が中身を確認する。「毎度あり」と返した。


 「あと、そうだ。これも」


 プジョルは荷台から一本のボトルを持って商人に手渡した。


 「いいですかい?もらっても」


 「もちろんですよ。お世話になっていますから。なかなか旨いのでぜひ召し上がって」


 二人が話している間に、銀司らはせっせと荷物の積み下ろしをしていた。

 運んだ木箱のなかにやけに重たい箱があった。中身が気になった銀司はチラッと確認すると、そこに入っていたのは色鮮やかな鉱物こうぶつだった。それらは、布に包まれているわけではなく、すべて裸のまま入っていた。何に使うのか知らないが、これを王都で売りさばくと思うと、傷を付けてしまわないように、そっとフタをして慎重に運んだ。


 こうして、ファミリーは王都で売りさばく品物を手に入れることができた。これらの商品の多くは、王都の上客じょうきゃくに向けて高値で売られていく。


 商人たちはクラードファミリーと売り買いを終えると、その足で王都へ正規の品を売りに、通常の道へ戻って行った。

 王都に入る前にファミリーと商談することで、危ないことは王都へ入る前に片付けてリスクヘッジしていた。


 事務所近くにあるファミリーの流通の拠点に馬車が戻る頃には、空はすっかり明るくなっていた。拠点には、他の構成員たちが待ち構えていた。馬車を停めると、一斉に荷台から荷物を降ろしはじめた。銀司も休まずにそれを手伝う。


 クラードファミリーは王都だけではなく、スラム街でも商店を開いていた。そこでは王都で売ることができない、破損した部品や硬いモンスターの肉など欠陥商品ともいえる品々が並んでいる。

 しかし、こうした商品のほとんどを加工して使われるためモノとしてはそこまで問題ないないらしく、格安で手に入るとあって意外と人気が高い。


 銀司はプジョルとパウルの三人で、拠点から離れた所にあるファミリーの系列店に商品をおろしに向かうことになった。普段この仕事は幹部の顔も名前も知らないようなファミリーの下っ端が担当する仕事なのだが、店の状況と周辺の治安を把握するために、時にはこうして中心ともいえるメンバーが動くのだ。


 店がある場所は、スラム街で最も危険な地域の一つで、ファミリーからスラム街の覇権を奪おうと企む、敵対勢力のたまり場でもあった。名はB地区と呼ばれ、この場所はいくつかの若いグループによって抗争が絶えず繰り広げられていたが、最近になって、台頭する若いギャング集団が制圧に成功して、縄張りとなっていた。


 このようにクラードファミリーはスラム街の多くの部分を支配下に置いているが、すべてが管轄下というわけではない。

 スラム街では小さな抗争が後を絶たず、スラムの住人の殆どがどこかのギャング等の関係を持ち、縄張りを張っているため、クラードファミリーであってもスラムを気軽に移動することはできない。


 三人はそれぞれウマにまたがり、B地区に足をみ入れた。銀司は念のために、鼻から口を覆う黒のマスクを付けていた。他の二人も、商人との場とは違い、多少なりとも変装はしていた。マフィアである以上、他人に自分がマフィアとして顔をさらすのは避けなければいけないのだ。マフィアは必要なとき以外、闇に紛れていなければいけない。


 B地区は同じスラム街といえど事務所周辺とは異なり、草原に崩壊しかけた廃墟の建物が点在てんざいしているような場所だ。激しい抗争の跡が、生々しく戦場の跡のように残っている。人々が住んでいる様子はなく、静かさが恐怖を余計に高まらせた。


 三人が着いたのはファミリーが運営する小さなショップだ。最上階が崩壊したボロボロの三階建ての建物の一階を使って、店を開いている。


 「邪魔するぜ」とプジョルが店に入る前にはっちゃけた声を出す。


 狭い入り口を通ると、店には様々な品が並べられていた。しかし、どれも粗悪品そあくひんと分かるものばかりだった。


 プジョルのあいさつに店主からの返事がなかった。プジョルは再び、邪魔するぜ、と奥まで聞こえるように言うと、店の裏から出てきたのは、ツルっとした頭に入れ墨を彫った男だった。片手には刃物が握られている。明らかに店の人間ではなかった。

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